「梁丘拠」(りょう・きゅうきょ ? ~ ?)とは、中国の春秋時代の斉国の王「景公」に仕えたイエスマンにして益友(ただし景公に限る)。
同僚のちびっ子宰相「晏嬰」の言行録である「晏子春秋」では、晏嬰を引き立てる比較対照な名脇役(笑)として、景公に媚び諂うイエスマンを演じている。
兄である荘公が父から王の座を奪い、ライバルになりそうな兄弟たちを次々と始末していった中で、まったく見向きもされなかったボンクラっぷりと、桁外れの豪遊癖と、それでも暴君ではなかった斉の景公が、ある時、趣味の狩猟から帰ってきて、宰相の晏嬰と一緒に寛いでいたところに梁丘拠がやってきた蔡に、景公は、
梁丘拠は私と和する存在だ。
と晏嬰に言った。
晏嬰は、
梁丘拠は、王の意見が如何様なものであってもすぐそれに賛成します。
ですから、あの男は「同」であって、「和」ではありません
「和」とは、王が可だとしても、不可なる点があれば、臣下はその不可なる点を進言して王の可とすることを更に完成させ、王が不可としても可なる点があれば、臣下はその可なる点を進言して、王の不可とすることを可に変える事を言い、政治は礼儀に背かず民に争奪の心がなくなるのです。
ところが梁丘拠は、王が可とされれば同じく可と言い、王が不可とされれば不可と言い、水で水を調理して水をつくっているだけで、建設的でも生産的でもありません。調味料や食材を使って初めて料理になるのです。
と説明した。
こんな夜中に御成りになったのはどういう訳でしょうか?
国家に何事か起こったのでしょうか?
酒はうまいし音楽も良いもんだから、お前と一緒に飲みたくなったんだよね。
宴会の相手ならば他に人がおります。私の出る幕ではございません。
と言い、空気を読んでみたつもりの景公は、今度は軍を任せている田穰苴(司馬穰苴)の家を訪ねる事にした。
景公が家に来るとだけ聞かされた田穰苴(司馬穰苴)は、武装して門前に出て景公を迎え、
諸侯が兵でも挙げましたか?
それとも大臣が誰かが謀叛を起こしましたか?
酒はうまいし音楽も良いもんだから、お前と一緒に飲みたくなったんだよね。
ならば他に相手がおりましょう。私の出る幕ではございません。
と言い、またもや空気を読んでみたつもりの景公は、仕方なく梁丘拠の家に向った。
晏嬰と田穰苴(司馬穰苴)の二人がいなければ、斉を治めることはできないだろう。
だが君の様な者がいなければ、私が楽しむことが出来ない。
と言い、酒宴を楽しんだ。
この故事から生まれたのが「交際することによって、有益な結果がえられるような友人」と言う意味の「益友」である。
ま、一度しかない人生楽しまないとね・・・って景公は自重しろ!
梁丘拠がある時、晏嬰に対して、
貴方は、霊公・荘公・景公と三人の君に仕えていますが、三人の君は心が同じわけではないのに、貴方は三人全員に従順ですが、仁人(晏嬰の尊称の一つ)とは多心な人物の事を言うのでしょうね。
民を愛する心に従って努力すれば、人民を扱うことができます。
強暴不忠であれば、一人も扱うことができません。
一心があるのであれば、 百君にでも仕えることができます。
三心を以てしては一君にも仕えることはできません。
と三人の君に対して別々の気持ちで仕えるのではなく、いつも同じ志の元に仕えていたと返して、小物な梁丘拠を黙らせた。
梁丘拠はある時、晏嬰に対して
わたしは一生あなたには及ばぬでしょう
と言った。晏嬰は、
私は人と異なるところはありません。
ただ、成す者は常に成り、行く者は必ずそこに至り、常に成して休まず、常に行って休まないのです。
それだけのことです。
と答えた。
諦めたらそこで終わりですよ。って事ですね。解ります。
▼斉景公や晏嬰と共に阿斗ちんの軍に初期配備された「春秋戦国三国志」
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最終更新:2024/05/04(土) 11:00
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