さみながとは、「艦隊これくしょん」における駆逐艦娘、「五月雨」と「長波」のカップリングを示す表記である。
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概要
ことのなりたち
もともと五月雨には有力なパートナーとして夕張や涼風などなどが挙げられており、長波においてはそのレアリティの都合カップリングはおろかキャラクターの掘り下げすら満足に進まず、かろうじて島風との関係性が注目されはじめていたころであった。
そんな中にあって、とある動画がとあるクリエイターの手によって発表されると、そのふたりの事情が変化することになる。
本動画の作者であるQQQQ氏がPixivへ投稿していた、「さみながまとめ」という作品および、本動画を見ていた長波史実勢のひとりがふと、五月雨の史実を紹介するドロンの人氏の動画を思い出した。
1943年5月、キスカ島撤退作戦に向かう五月雨と行動を共にしていた長波、という話について、そのふたりの史実におけるお互いの行動の記録を重ね合わせていくと、このキスカ島撤退作戦の前哨から五月雨の沈没する日までの間にさまざまな縁があることがわかる。
また五月雨にかかわった人物が長波にもよりよくかかわっていたことが五月雨史実勢の助言によって判明、そののち情報交換がなされ、五月雨と長波という、一見何が関わったんだといいたくなるような二人が、深い史実の裏づけを得たカップリングとして正式化したのである。
さみながの詳細
ふたりの史実の縁は単純に、
・キスカ島撤退作戦
・その後の南方輸送作戦と、ブーゲンビル沖海戦からラバウル空襲で長波が大破するまで
・復帰した長波がリンガに向かう際に同行し五月雨が沈没するまで
という3つのくくりに分けられる。別に衝突するだとか、沈没を救出するだとかといった劇的なエピソードがあるわけではないが、ふたりとも自分の身近な部隊が移り変わる中にあって、その時期を同じ拠点において、同じ第二水雷戦隊の一員として活動していた。徐々に悪化する戦況の中で、何気ない日常の言葉を交わせていた関係だったと言えるだろう。
このふたりについて、特に長波が言及する田中頼三少将は、かつて第二駆逐隊の司令官を務めていたときは五月雨に乗艦しており、また五月雨の艦長として恩寵の短刀を頂戴した杉原与四郎中佐は、後に31駆逐隊において長波の相方となる朝霜の艦長となった。
五月雨がなんとしてでも救助しようとした夕張は、長波がラバウルにおいて大破し本土の前にトラックへ曳航されることになった際に、空襲で受けた損傷を抱えた状態のまま護衛を行っており、まさに体を張って任務を遂行したと言える。仲の良い長波を、体を張って救援した夕張を救おうとしたのは、その恩になんとしてでも報いようとしたからではないだろうか。
関連動画
関連静画
関連項目
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