概要
まず水雷戦隊とは機雷・魚雷・爆雷などを使った水雷戦を行うことを目的に編成された、旧日本海軍の部隊であり、旗艦に軽巡洋艦と2~4個駆逐隊とで編成される。指揮官は司令官と呼ばれ、通常は少将に任される。
日清戦争の威海衛夜襲、日露戦争の日本海海戦の夜間雷撃戦を通じ、日本海軍では水雷攻撃を砲撃と並ぶ二本柱として重視しており、対ドイツ宣戦布告に備え、戦時編制を組んだ際に、第一艦隊に属する第一水雷戦隊と共に第二艦隊に属する第二水雷戦隊を編制した。この2つの隊は常設とし、第三水雷戦隊以降の水雷戦隊は特設とされた。
第二艦隊は漸減邀撃作戦における前線部隊とされており、さらにその中でも前線を務める第二水雷戦隊は強力な装備と長大な航続力が必要とされ、峯風型・神風型・睦月型・吹雪型・陽炎型・夕雲型・島風型と、最新、最強、強力な装備を誇る駆逐艦が配備されている。また配属された兵員も練度が高い精鋭が集められている。
そのことから第二水雷戦隊は華の二水戦と謳われることになる。
実際にルンガ沖海戦とコロンバンガラ島海戦といった目覚ましい戦果や先述の強力な駆逐艦、高練度の人員等を考慮しても当時間違いなく“世界最強”と目された武闘派集団といっても過言ではない。
だが太平洋戦争の激化に伴い駆逐艦の消耗が激しくなると初春型や白露型の編入、最終的には吹雪型、初春型、白露型、朝潮型、陽炎型、夕雲型、秋月型の寄せ集めになってしまう。艦これにおいて長波が寄せ集め軍団と発言しているが、このことから起因していると思われる。
旗艦においては設立当初の指針として巡洋艦を旗艦に当てることとし新編時は利根(初代の防護巡洋艦の方)が旗艦となっている。遭遇戦では巡洋艦の強力な武装による敵水雷戦隊の制圧、逆に頑強な防御力を頼みにした囮役が期待されている以上、防護巡洋艦がこれに収まるのは当然とも言える。
実際、太平洋戦争においても由良や川内、神通が敵軍の集中攻撃を受けているうちに、味方水雷戦隊の雷撃が成功した例もある。
巡洋艦は最前線の洋上単独偵察というのが本来の任務であり最新の巡洋艦が旗艦をすることはなかった。英海軍の偵察艦の流れをくむ一連の高速軽巡洋艦である天龍型やその拡大型である球磨型、長良型、川内型が開発はされたが日本の国力では後継艦の建造が思うに任せず、太平洋戦争ではすっかり旧型となってしまっており、阿賀野型の就役まで第一線に立つことになる。
レイテ沖海戦で日本海軍水上艦部隊は崩壊、第一水雷戦隊の名義替えとも言われる編成で第二水雷戦隊は残存。最後の水雷戦隊として、日本海軍最後の勝利「礼号作戦」・日本海軍最後の作戦成功「北号作戦」を支え、坊ノ岬沖海戦にて壊滅し、ついに二水戦は解隊した。たとえ寄せ集めであろうとも第二水雷戦隊は壊滅の日まで日本海軍の主力であった。
歴代司令官
- 岡田啓介:大正3年8月18日
- 近藤常松:大正3年12月1日
- 土屋光金:大正4年12月13日
- 高木七太郎:大正5年4月1日
- 秋山真之:大正5年12月1日
- 山中柴吉:大正6年7月16日
- 釜屋六郎:大正7年10月18日
- 三村錦三郎:大正8年12月1日
- 桑島省三:大正9年12月1日
- 一時解散:大正10年12月1日
- 飯田延太郎:大正11年12月1日
- 長沢直太郎:大正13年12月1日
- 坂元貞二:大正14年10月20日 - 1926年12月1日
- 八角三郎:大正15年12月1日
- 館明次郎:昭和2年12月1日
- 岡本郁男 少将:昭和3年12月10日 - 1929年11月30日
- 市村久雄 少将:昭和4年11月30日
- 後藤章:昭和5年12月1日
- 植松練磨:昭和6年12月1日
- 井上継松:昭和7年2月4日
- 阿武清:昭和8年11月15日
- 日暮豊年:昭和9年11月15日
- 三木太市:昭和10年11月15日
- 坂本伊久太:昭和11年12月1日
- 大熊政吉:昭和12年12月1日
- 後藤英次:昭和13年11月15日
- 五藤存知:昭和14年11月15日
- 田中頼三:昭和16年9月15日
- 小柳富次:昭和17年12月29日
- 伊崎俊二:昭和18年1月21日…コロンバンガラ島沖海戦で戦死
- 高間完:昭和18年7月20日
- 早川幹夫:昭和18年12月15日…オルモック湾海戦で戦死
- 木村昌福:昭和19年11月20日
- 古村啓蔵:昭和20年1月3日
- 昭和20年4月20日解散
歴代旗艦
- 利根(大正3年8月18日 - )
- 出雲(大正4年12月13日 - )
- 吾妻(大正5年12月1日 - )
- 平戸(大正7年12月1日 - )
- 天龍(大正8年12月1日 - )
- 北上(大正11年12月1日 - )
- 五十鈴(大正13年12月1日 - )
- 夕張(大正15年12月10日 - )
- 名取(昭和2年12月1日 - )
- 鬼怒(昭和3年12月10日 - )
- 神通(昭和6年12月1日 - )
- 那珂(昭和8年11月15日 - )
- 神通(昭和9年11月15日 - )
- 那珂(昭和13年12月15日 - )
- 神通(昭和14年11月15日 - )
- 長良(昭和18年7月20日 - )
- 能代(昭和18年9月1日 - )
- 矢矧(昭和19年12月5日 - )
太平洋戦争中における主な臨時旗艦
太平洋戦争(大東亜戦争:1941年12月8日~1945年9月2日)における作戦上の主な臨時旗艦を挙げる。以下に列記する他にも便宜上将旗を掲げた艦はある。
正規旗艦「神通」(昭和14年11月15日~昭和18年7月11日)
正規旗艦「能代」(昭和18年9月1日~昭和19年11月20日)
「能代」喪失後の臨時旗艦。
正規旗艦「矢矧」(昭和19年11月20日~昭和20年4月20日)
旧第十戦隊(矢矧を含む)が内地帰還・入渠整備中、旧一水戦・小沢艦隊生存艦がフィリピン展開中。
及び、昭和20年4月7日矢矧戦没に伴う臨時旗艦。
- 駆逐艦 霞 - 第一水雷戦隊からの引継、礼号作戦、北号作戦における臨時旗艦。
- 軽巡洋艦 大淀 - 非戦闘時の昭和19年内の臨時旗艦
- 駆逐艦 初霜 - 坊ノ岬沖海戦により矢矧戦没後、第二水雷戦隊解散までの臨時旗艦。
創作作品における第二水雷戦隊
第一次世界大戦中の1914年から存在していた隊である。しかし太平洋戦争期にその構成の充実度が頂点を極め、同時に崩壊へも向かっていったというドラマ性からか、創作作品では同期を描くかたちで登場することが多い。
特にniconico関連では、太平洋戦争期の艦船をキャラクター化したブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に関連して言及されることが多い。2015年4厚現在では「第二水雷戦隊」タグの付いている動画の殆どは同ゲーム関連である。
余談ではあるが同ゲームのキャラソンCD「艦娘想歌【弐】」には、二水戦の旗艦を務めた川内型の神通、那珂(ついでに川内)の艦娘が歌った「華の二水戦」という歌が収録されている(歌手は川内型のC.V.を担当なさった佐倉綾音さん。一人三役で歌っている)。
関連動画
関連商品
関連項目
- 0
- 0pt