イビチャ・オシム(Ивица Осим, 1941年5月6日 - 2022年5月1日)とは、ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手、サッカー指導者。独自の指導法や、日本では「オシム節」「オシム語録」と呼ばれる、独特の言い回しが有名。
概要
現役時代はフォワードとして活躍。地元のFKジェリェズニチャル・サライェヴォでデビューした後、フランスのクラブチームなどでプレイした。長身だが高いボールテクニックを備えた技巧派だったという。
引退後に自身が所属した最初のクラブであるFKジェリェズニチャルで指導者となり、1984/1985シーズンのUEFAカップで準決勝まで進む。
1986年にサッカーユーゴスラビア代表の監督に就任。1990年ユーゴスラビア国内の民族対立が深まる中、代表チームを率いて1990 FIFAワールドカップでベスト8進出を果たす。この後ユーゴスラビアは分裂しユーゴスラビア紛争が勃発。オシムは代表監督を辞任。ユーゴスラビア代表は国際大会に出場を禁じられる。
1993年にパナシナイコスの監督を1シーズン務めた後、オーストリアのクラブチームSKシュトゥルム・グラーツの監督になる。財政難に陥いり若手中心のチームを育て8シーズンの間にリーグ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーググループリーグに3度出場を果たした。
2003年にジェフ市原(2004年からジェフ千葉に改称)の監督に就任。2005年にナビスコカップで優勝しチームに初タイトルをもたらす。
2006年に引き抜かれる形でサッカー日本代表の監督に就任。2007年11月に脳梗塞で倒れ、緊急入院。回復するが代表監督からは退任となった。
2008年には回復し、日本サッカー協会のアドバイザーに就任。2009年にオーストリアに帰国。
2011年、民族対立により分裂し、資格停止となったボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会の「正常化委員会」の委員長に就任。事態の解決に尽力した。
現在も日本サッカーに厳しくも温かいエールと助言を送る名伯楽である。
2022年5月1日朝、自宅のあるオーストリア・グラーツにて死去した、とSKシュトゥルム・グラーツが公式サイトにて発表した。享年80歳。
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