ジェフユナイテッド市原・千葉とは、千葉県の千葉市及び市原市をホームタウンとするJリーグ所属のプロサッカーチームである。
呼称は「ジェフユナイテッド千葉」または「ジェフ千葉」。
概要
|
前身は1946年創部の古河電気工業サッカー部。古河とJR東日本が50%ずつ出資する形で1991年に運営会社を設立しJリーグに加盟。Jリーグ発足時から参加しているオリジナル10の一つである。
クラブ名の「ジェフユナイテッド」(JEF UNITED、ユナイテッド=結束した)はクラブとホームタウンの結びつき、チームの協調・連帯感を表現しており、1991年に公募で決定された。[1]
クラブのエンブレムおよびマスコットには秋田犬がモチーフとして用いられており、マスコットは背番号2の「ジェフィ」(兄)、背番号9の「ユニティ」(弟)。2011年6月に雌のミックス犬(雑種)「みなちゃん」がマスコットに加わった(背番号は12)。
1993年開幕のJリーグに加入する際に市原市をホームタウン、市原緑地運動公園臨海競技場をホームスタジアムとしてチーム名を「ジェフユナイテッド市原」に改称。2005年からホームタウンの広域化と千葉市のフクダ電子アリーナの共用開始に伴い、チーム名を「ジェフユナイテッド市原・千葉」に改称している。
前身の古河電工サッカー部は1度も2部に降格したことがなく、後に日本サッカー界の重鎮となる数多くの名プレイヤーを輩出した名門だが、Jリーグ発足後は低迷が続いている。イビチャ・オシムが監督に就任していた2005年と2006年にJリーグカップを連覇しているが、2010年に降格して以降は10年以上J1リーグへの復帰を果たせていない。
クラブのフィロソフィとして「WIN BY ALL!」を掲げており、2001年シーズンより継続して使用している。
チームの歴史
- 1991年、古河電工サッカー部を母体とし古河電工とJR東日本が共同してクラブを設立。公募によってチーム名がジェフユナイテッドに決定。
- 1992年、ホームタウンを千葉県市原市に決め、「ジェフユナイテッド市原」とし、ホームスタジアムは市原臨海競技場を改修して使用。なお、当初は習志野市を本拠地にすることで内定していたが、住民の反対によって断念している。また初代の監督としてOBの永井良和が就任。
- Jリーグ開幕の1993年、1990 FIFAワールドカップを優勝したドイツ代表メンバーであるピエール・リトバルスキーが加入。リトバルスキーとパベルの活躍が光ったが、チームの成績は振るわず1stステージは5位、2ndステージは8位に終わる。
- 1994年より前日本代表コーチの清雲栄純が監督に就任。高卒ルーキーの城彰二が開幕から4試合連続ゴールを決め、シーズン二桁得点を達成。フランク・オルデネビッツが30得点を記録し、得点王となる。それでも1stステージ6位、2ndステージ9位に終わる。
シーズン終了後、攻撃の核となったリトバルスキーとオルデネビッツのドイツコンビが退団。 - 1995年からはマスロバルが攻撃の中心となり、年間5位と順位を上げる。1996年にはレジェンドの奥寺康彦が監督に就任するが、年間9位と成績が振るわず1年で退任する。
- その後もどこかパッとしないチームになってしまい、成績も中位から下位にまで低迷。1997年から2005年までの9年間は年間入場者数がJ1最低となる。一方、1996年に山口智、1997年に酒井友之、1998年に阿部勇樹と下部組織所属の現役高校生がデビューし、そのまま主力に定着している。特に阿部の16歳333日でのデビューは当時のリーグ最年少出場記録となった。
- 翌年から二部リーグ制となる1998年は年間順位が16位となりJ1参入決定戦に回ることに。アビスパ福岡との2回戦を武田修宏、鈴木隆行の活躍で連勝しJ1リーグ残留となる。
- 1999年と2000年も2年連続で下位に低迷しながらも辛うじてJ1残留を果たす。この頃から山口智や酒井友之、バロンといった主力の流出が目立つようになる。
- 2001年は前年2ndステージより監督を務めるズデンコ・ベルデニックが志向するプレッシング戦術がハマり、1stステージ2位、2ndステージ5位、年間3位というJリーグ発足以降最高の成績を残す。前線に崔龍洙、最終ラインにジェリコ・ミリノビッチと核になる選手が加入したのも大きかった。しかし、シーズン終了後ベルデニックが名古屋グランパスに引き抜かれてしまう。
- 2003年、ユーゴスラビア代表監督としてワールドカップベスト8に導いた実績のある名将イビチャ・オシムが監督に就任。「人もボールも動く、考えて走るサッカー」をテーマに低迷するチームを改革。チームをJリーグでもっとも魅力のあるチームへと変貌させる。
従来の主力の流出が相次ぐが、オシムは若手に自らの哲学を叩き込み主力へと成長させる。21歳ながらキャプテンに抜擢された阿部勇樹、巻誠一郎、羽生直剛、山岸智、水本裕貴、水野晃樹ら当時の若手はいつしか「オシムチルドレン」と呼ばれるようになり、オシムの哲学を体現する存在となる。
オシムによって変貌を遂げたチームは2003年、2004年と2年連続で優勝争いに絡む大躍進を遂げる。 - 2005年よりホームタウンを広域化し、チーム名を「ジェフユナイテッド市原・千葉」に変更。10月からは新たなホームスタジアムとなる「フクダ電子アリーナ」を使用するようになる。
ヤマザキナビスコカップでは初の決勝へ進出。決勝ではガンバ大阪とPK戦までもつれ込む激闘を制し、悲願であったJリーグ加盟後の初タイトルを獲得する。 - 2006年シーズン途中、川淵三郎JFA会長の「オシムって言っちゃったね」によってオシム監督がサッカー日本代表の監督に就任するため退任。後任は息子であるアマル・オシムがコーチから昇格。また、10月には祖母井秀隆GMが退任。
指揮官をJFAに引き抜かれたチームはリーグ戦で苦戦するも、ナビスコカップでは決勝で鹿島アントラーズを破り、大会連覇を果たす。 - 2007年はシーズン前に阿部勇樹、坂本將貴というチームの顔といえる選手が揃って移籍。その影響からか開幕から大きく低迷。6月にはストヤノフがメディア上で監督批判をし、契約解除となる。それでも後半戦に6連勝を記録し、13位でJ1残留を決める。シーズン終了後、アマル監督が解任となる。
- 2008年には水野、山岸、水本、佐藤勇人、羽生が引き抜かれ、坂本が1年でチームに復帰したもののオシム時代の主力の大半が一気に抜ける事態に。弱体化したチームは11節の時点で白星が無く最下位に転落したことからこの年就任したヨジップ・クゼ監督を解任。元リヴァプールFCのヘッドコーチであるアレックス・ミラーが監督に就任して何とか建て直し、最終節で逆転しJ1残留を決める。
- 2009年も開幕から低迷し、降格圏を抜け出せずにいたことから7月にミラー監督を解任。クラブOBの江尻篤彦が後任となる。しかし、チームの調子は一向に上向かず、第31節で残り3試合を残して前身の古河時代を含めて初となるJ2降格が決定。最終的にリーグ最下位となった。
だが、ここからが本当の地獄だった。 - 初のJ2リーグとなった2010年、かつての主力だった茶野隆行、佐藤勇人、村井慎二、林丈統が復帰するなど1年でのJ1復帰に本気を見せるが、まさかの江尻監督続投。下馬評では優勝候補に挙げられたが、結果は4位に終わり、1年でのJ1復帰は果たせなかった。シーズン終了後、江尻監督は退任。
J1へ昇格できなかったジェフ千葉や江尻篤彦監督の失態を揶揄するように2ちゃんねるへ投稿された替え歌がバカウケし、ジェフ千葉が負けるたびにAAが貼られるようになった。→用語説明(外部リンク) - 2011年はマーク・ミリガンのロングスローから204㎝のオーロイの高さを生かすストーク・シティを思わせる戦い方が話題となるが、結果は6位。
- 2012年から2014年までは3年連続でJ1昇格プレーオフまで進出したものの敗退。東京ヴェルディ同様にすっかりJ2沼に浸かってしまうことになった。
- 2015年は前年途中から就任した関塚隆監督の2年目となったが、勝ち切れない試合が続いて昇格争いからも遠のいてしまう。それでも第40節でプレーオフ圏内の6位にまで這い上がったが、シーズン終盤戦に連敗を喫したことで9位に終わる。
- 2016年はこれまでの人件費がクラブの財政を圧迫していたことから選手が大幅に入れ替わることになる。チームは第8節を最後にプレーオフ圏内である6位以内にも入れず、第25節終了後に関塚を解任。最終順位はJ2降格後ワーストの11位となった。
- 2017年はラ・リーガで監督を務めた経験のあるフアン・エスナイデルが監督に就任。極端ともいえるハイライン・ハイプレス戦術を導入し、まさに肉を切らせて骨を切る戦い方で取りこぼしが多いものの、ホアキン・ラリベイが覚醒したこともあって最終節で6位に滑り込み、3シーズンぶりにJ1昇格プレーオフに進出。しかし、準決勝で名古屋グランパスに敗れ、J1昇格を逃す。
- 2018年はエスナイデルのリスキーな戦術の弱点がすっかり研究され、不安定な戦いに終始。歯車が噛み合わないまま不調は改善されることなく、72失点というリーグワースト2位タイの失点数を記録し14位に終わる。
- J2リーグでの10年目となった2019年、開幕からわずか4試合でエスナイデルが解任となり、後任に江尻篤彦がまさかの9年ぶりに監督復帰。すると、J1復帰どころかJ3降格の危機に直面するほど低迷。第40節でようやくJ2残留を決めるほどの体たらくぶりでチームワーストとなる17位でシーズンを終える。シーズン終了後、江尻監督は退任。まさに繰り返すエジリズムとなった。
- 2020年、鳥栖やC大阪での実績を持つ尹晶煥が監督に就任。しかし、就任1年目は前半戦で躓き、後半戦も二桁順位から抜け出すことができず、14位に終わる。
- 2021年はリーグ最少2位の失点数を記録した守備によって後半戦13試合無敗を記録するが、8位に終わりプレーオフに届かず。それでも4年ぶりに一桁順位でシーズンを終える。
- 2022年は中盤戦まではプレーオフ進出争いの輪に入り続けるも、9月に尹監督の退任が発表されて以降失速。第41節の時点で8位以下が確定となり、最終的に10位に終わる。
- 2023年は小林慶行がコーチから監督に昇格。クラブ史上初めて日本人のみのメンバー構成で開幕を迎えるが、スタートダッシュに失敗し前半戦を17位で折り返すなど下位に低迷。しかし、夏の補強で今治FCから獲得したドゥドゥが起爆剤となり、町田、磐田といった上位勢相手に勝利し、7連勝を記録するなどV字回復に成功。第35節でプレーオフ圏の6位に浮上すると、そのまま最終節まで6位以内を守り切り、6年ぶりにプレーオフ進出を果たす。
J1昇格プレーオフでは3位東京ヴェルディを相手に1-2で敗れ敗退。J1復帰の夢は果たせなかった。
残留力
J1に残留することにかけては日本一と言われていた頃がある。それを証明するかのごとく、1965年のJリーグの前身である日本サッカーリーグ(JSL)発足から2008年のJリーグ1部まで、日本のサッカーリーグカテゴリにおいて最高峰のリーグから、すなわち1部リーグから降格したことのなかったただ一つのチームであった。その頃は、そういった伝統の力なのか何なのか、ギリギリまで追い込まれると妙に強くなることがあるような気がする。今となっては・・・
以降、毎年のように昇格候補に上げられているにも関わらず、2010年は4位、2011年は6位、2012年は5位で昇格プレーオフに出場するも決勝で敗退、2013年も5位で昇格プレーオフに出場したが初戦敗退と、なぜか昇格できずに5年連続でJ2に所属することとなり、J2でも(悪い意味で)残留力を発揮していると言われることも。ちなみに天皇杯では、2006年から11年まで6回連続で4回戦敗退という記録を作っている。
そして2015年シーズンには、とうとうプレーオフにすら進出できずにシーズンを終えている。
さらに2016年シーズンには、過去最低順位を更新!2019年シーズンにはさらに更新し、J3降格の危機に立たされる。
2021年シーズンには10年連続J2リーグ在籍となる。
U^ェ^Uわんわんお!の明日は・・・違った、ジェフの明日はどっちだ!?
タイトル
国内タイトル
個人タイトル
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | 小林慶行 | 1978.1.27 | 2023 | ジェフユナイテッド千葉 コーチ | ||
1 | GK | 藤田和輝 | 2001.4.19 | 2024 | 栃木SC | 【レ】 | |
2 | MF | 高橋壱晟 | 1998.4.20 | 2017 | モンテディオ山形 | 【H】 | |
4 | MF | 田口泰士 | 1991.3.16 | 2020 | ジュビロ磐田 | ||
5 | MF | 小林裕介 | 1991.3.16 | 2021 | 柏レイソル | ||
7 | FW | 田中和樹 | 2000.1.13 | 2023 | 京都サンガF.C. | 【完】 | |
8 | MF | 風間宏矢 | 1993.4.16 | 2022 | FC琉球 | ||
9 | FW | 呉屋大将 | 1994.1.2 | 2023 | 大分トリニータFC | ||
10 | FW | 小森飛絢 | 2000.8.16 | 2022 | 新潟医療福祉大学 | ||
11 | DF | 米倉恒貴 | 1988.5.17 | 2019 | ガンバ大阪 | 【H】 | |
13 | DF | 鈴木大輔(C) | 1990.1.29 | 2021 | 浦和レッズ | ||
14 | MF | 椿直起 | 2000.6.23 | 2023 | 水戸ホーリーホック | ||
16 | MF | 横山暁之 | 1997.3.26 | 2024 | 藤枝MYFC | 【完】 | |
17 | FW | 林誠道 | 1996.4.4 | 2024 | ツエーゲン金沢 | 【完】 | |
18 | MF | 熊谷アンドリュー | 1993.6.6 | 2017 | ツエーゲン金沢 | ||
19 | DF | 岡庭愁人 | 1999.9.26 | 2024 | 大宮アルディージャ | 【レ】 | |
20 | FW | 高木和幸 | 1991.5.25 | 2022 | セレッソ大阪 | ||
21 | GK | 高木和徹 | 1995.4.15 | 2024 | いわきFC | 【完】 | |
22 | DF | 佐々木翔悟 | 2000.7.25 | 2022 | いわてグルージャ盛岡 | ||
23 | GK | 鈴木椋太 | 1994.2.10 | 2019 | ガンバ大阪 | ||
24 | MF | 矢口駿太郎 | 2004.9.19 | 2023 | ジェフユナイテッド千葉U-18 | 【H】 | |
29 | FW | 佐久間太一 | 2003.6.21 | 2024 | ヴァンラーレ八戸 | 【レ】【H】 | |
31 | GK | 青嶋佑弥 | 1999.7.26 | 2024 | 栃木SC | 【レ】 | |
33 | MF | エドゥアルド | 1997.2.1 | 2024 | ジュビロ磐田 | 【完】 | |
36 | DF | 松田陸 | 1999.5.3 | 2023 | ツエーゲン金沢 | ||
37 | MF | 猪狩祐真 | 2003.3.3 | 2024 | 産業能率大学(在学中) | 【特】 | |
39 | FW | 新明龍太 | 2004.5.1 | 2023 | ジェフユナイテッド千葉U-18 | 【H】 | |
40 | DF | メンデス | 1995.4.25 | 2023 | 京都サンガF.C. | ||
44 | MF | 品田愛斗 | 1999.9.19 | 2024 | FC東京 | 【レ】 | |
48 | MF | 谷田壮志郎 | 2005.7.10 | 2022 | ジェフユナイテッド千葉U-18 | 【昇】【H】 | |
52 | DF | 久保庭良太 | 2001.10.14 | 2023 | 立教大学 | 【卒】【H】 | |
67 | MF | 日高大 | 1995.3.14 | 2023 | いわきFC | ||
77 | FW | ドゥドゥ | 1990.4.21 | 2023 | FC今治 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属したおもな選手
|
|
歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
永井良和 | 1992年~1993年 | ||
清雲栄純 | 1994年~1995年 | ||
奥寺康彦 | 1996年 | ||
ヤン・フェルシュライエン | 1997年~1998年 | ||
ゲルト・エンゲルス | 1999年~1999年7月 | ||
ニコラエ・ザムフィール | 1999年7月~2000年8月 | ||
神戸清雄 | 2000年8月 | 監督代行 | |
ズデンコ・ベルデニック | 2000年9月~2001年11月 | ||
神戸清雄 | 2001年12月 | 監督代行 | |
ジョセフ・ベングロシュ | 2002年 | ||
イビチャ・オシム | 2003年~2006年7月 | ナビスコカップ優勝(2005年) | |
アマル・オシム | 2006年7月~2007年 | ナビスコカップ優勝(2006年) | |
ヨジップ・クゼ | 2008年~2008年5月 | ||
澤入重雄 | 2008年5月 | 監督代行 | |
アレックス・ミラー | 2008年5月~2009年7月 | ||
江尻篤彦 | 2009年7月~2010年 | J2降格(2009年) | |
ドワイト・ローデヴェーヘス | 2011年~2011年10月 | ||
神戸清雄 | 2011年10月~12月 | 監督代行 | |
木山隆之 | 2012年 | ||
鈴木淳 | 2013年~2014年6月 | ||
斉藤和夫 | 2014年6月 | 監督代行 | |
関塚隆 | 2014年7月~2016年7月 | ||
長谷部茂利 | 2016年7月~12月 | 監督代行 | |
フアン・エスナイデル | 2017年~2019年3月 | ||
江尻篤彦 | 2019年3月~12月 | ||
尹晶煥 | 2020年~2022年 | ||
小林慶行 | 2023年~ |
関連動画
7
モオノキ
かつて練習場として使われていた姉崎公園サッカー場には、オフィシャルグッズショップが設置されていた。
ショップ、と書けば聞こえはいいが、実際は物置を改造しただけという代物であり、また、オフィシャルHP内での、アバウトにも程がある「『営業日:チーム練習日』『営業時間:練習時間に合わせて営業いたします』」という告知も相俟って、Jリーグファンの間では「最もショボい店」として有名になってしまったが、同時にネタとして愛されている。
「モオノキ」の通称はかつて所属した廣山望が、自身の公式HP内のダイアリーで下記の誤変換をかました事に由来する。
そんな練習場やグッズショップが、2009年10月にオープンしたユナイテッドパークに移転。見たい人はチームスケジュールを確認して早めに行ってみよう。
関連項目
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ(1993年 - 2009年)
- J2リーグ(2010年 - )
- オリジナル10
- 千葉県 - 千葉市 / 市原市
- フクダ電子アリーナ
- 古河電気工業
- JR東日本
- ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ(かつて存在したプロ・アマ混成のセカンドチーム)
外部リンク
- ジェフユナイテッド市原・千葉 公式ウェブサイト
- ジェフユナイテッド市原・千葉(公式)@jef_united - 公式ツイッター
- ジェフユナイテッド市原・千葉公式チャンネル@JEFPRESS(YouTubeチャンネル)
脚注
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- ロアッソ熊本
- 大分トリニータ
- モンテディオ山形
- ベガルタ仙台
- ザスパクサツ群馬
- 水戸ホーリーホック
- ファジアーノ岡山
- 栃木SC
- ヴァンフォーレ甲府
- 愛媛FC
- 徳島ヴォルティス
- 清水エスパルス
- 横浜FC
- ブラウブリッツ秋田
- V・ファーレン長崎
- 藤枝MYFC
- レノファ山口FC
- 鹿児島ユナイテッドFC
- いわきFC
▶もっと見る
- 3
- 0pt