ステファン・エドベリは、スウェーデンの元プロテニス選手である。英語読みで「エドバーグ」の表記も見られる。単複両方で1位を獲得した稀有な選手の一人。
概要
Stefan Edberg | |
基本情報 | |
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国籍 | スウェーデン |
出身地 | スウェーデン: ベステルビーク |
生年月日 | 1966年1月19日 |
身長 体重 |
188 cm 77 kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
デビュー年 | 1982年 |
引退年 | 1996年 |
テニス選手テンプレート |
ビヨン・ボルグ、マッツ・ビランデルなどクレーで強い選手が多かったスウェーデンにあってサーブ&ボレーで頂点に立った選手。華麗なプレイスタイルにルックスもあいまって貴公子と表現されることが多かった。
ジュニア時代から優秀な成績を残しており、史上唯一ジュニア部門で年間グランドスラムを達成している。プロでも全豪オープン、ウィンブルドン、全米オープンは優勝したが、全仏オープンは惜しくも準優勝1回に終わっており、キャリアグランドスラムは達成できなかった。
1983年にプロ転向すると翌年には既にTOP20入りを果たしている。最初に獲得したメジャータイトルは当時まだ芝の大会だった1985年の全豪オープン。その後80年代後半はイワン・レンドル、ボリス・ベッカーらと共に頂点を争った。この間、1986年には一足先にダブルスでNo1を獲得している。1990年、ついにレンドルを引き摺り下ろしてシングルス1位に立つ。その後、2年近くの間、ベッカー、ジム・クーリエらと争い断続的に1位に立っていた。ピート・サンプラスがトップに立った後も一定の成績を残していたが、1995年にはTOP10から陥落し始める。最終的に1996年に引退した。
サーブ&ボレーヤーとしてはジョン・マッケンローと並ぶ存在。マッケンローのボレーがしばしば「誰にも真似できない」と言われるのに対して、エドベリのボレーは比較的基本に忠実と言われる。ビッグサーブで押し込んでとどめにボレーを使うのではなく、スピン系のサービスで時間を作って前に詰めてから勝負する純正型のサーブ&ボレーヤーだった。フェアプレーでも知られた選手であり、ATPのスポーツマンシップ賞には彼の名前が冠せられている。
ベッカーとのライバル対決
ほぼ同世代のボリス・ベッカーとのライバル関係が有名。二人ともサーブ&ボレーを活用したが、ベッカーがビッグサーブ、ダイビングボレーといった単体のプレーで注目を集めたのに対して、エドベリはサーブからボレーまでの一連の流れで勝負した。二人の対戦はベッカーが25勝10敗と大きくリードしていたが、何故かランキング1位在位期間ではベッカー12週に対してエドベリ72週と逆転している。1988年から1990年にかけては3年連続でウィンブルドン決勝を戦ったが、ここでも1988年と1990年の二度エドベリが勝っている。大事な場面ではエドベリの方が強かったと見るべきか。
引退後、2014年にはレジェンド選手をコーチに迎える昨今の流れに乗って、ロジャー・フェデラーのチームに合流。ノバク・ジョコビッチのコーチを務めるベッカーと期せずして再びのライバル対決となった。結果的にコーチとしてはベッカーに軍配が上がったが、コーチを務めた2年間でフェデラーも四大大会準優勝が3回あり、成果は十分にあったと言えるだろう。
主な実績
- ATPシングルスランキング最高1位(在位72週)
- ウィンブルドンシングルス優勝2回(1988年、1990年)
- 全豪オープンシングルス優勝2回(1985年、1987年)
- 全米オープンシングルス優勝2回(1991年、1992年)
- 1989年ウィンブルドンシングルス準優勝
- 1989年全仏オープンシングルス準優勝
- 全豪オープンシングルス準優勝3回(1990年、1992年、1993年)
- シングルス通算優勝回数 41回
- シングルス通算マッチ成績 801勝270敗
- 全豪オープンシングルスのマッチ勝利数「56」は引退当時の大会男子シングルス記録(後にフェデラーが更新)
- ATPダブルスランキング最高1位(在位15週)
- 全豪オープンダブルス優勝2回(1987年、1996年)
- 1987年全米オープンダブルス優勝
- 1986年全仏オープンダブルス準優勝
- 1984年全米オープンダブルス準優勝
- ダブルス通算優勝回数 18回
- ダブルス通算マッチ成績 283勝153敗
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関連項目
- テニス
- ロジャー・フェデラー - 2014年から2015年にかけてコーチを務める
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