「壬申戸籍」(じんしんこせき)とは、決して開けてはならないパンドラの箱である。
閲覧禁止の封印文書として、その存在は厳重に管理されている。
概要
壬申戸籍は、1872年(明治5年)に作成された日本初の全国的な戸籍のこと。
明治5年の干支が「壬申(みずのえさる・じんしん)」だったことから、壬申戸籍と呼ばれている。
江戸時代、戸籍の管理は藩ごとにバラバラにまとめられていたが、中央集権国家を掲げる明治新政府にとって、租税制度や徴兵制度の確立のためには全国的な国民の戸籍管理が必要であった。
そのため、明治4年に成立した戸籍法に基づき、明治5年に大々的な戸籍調査が行われ、日本初の戸籍台帳として壬申戸籍が編纂された。
しかし、当時の戸籍管理は今のように厳密ではなく、無届けや間違いも多く、様式も統一されていなかった。
そのため、地域ごとに集計方法や記入内容が違っており、その中には江戸時代の職業や身分に関する差別的な記載や犯罪歴、妾の有無等もあった。
壬申戸籍は1898年(明治31年)まで使用されたが、以降は新しい戸籍制度に移行した。
しかし、その後も閲覧だけはできるように一般に公開され続けていた。
その後、問題が起きたのは、1968年(昭和43年)になってからである。
一部の身辺調査会社が被差別部落民かどうかを調査するための手段として壬申戸籍を利用していたことが発覚する。
これを重大な人権上の問題ととらえた民事局長の通達により、以後、壬申戸籍の閲覧は禁止され、法務局、地方法務局、市町村のいずれかで厳重に封印し保管されることとなった。
現在は学術研究目的での閲覧も禁止されているため、壬申戸籍の閲覧は完全に不可能である。
そのため、家系図作成をしている人々にとっては弊害にもなっている。
しかし、かつてこの「壬申戸籍」は役所ではなく、「戸長」と呼ばれる地域の代表者、つまり民間人が保管している時代があった。これら戸長が保管していた壬申戸籍は全て役所に引き継がれたはずだったのだが、何らかの手違いによって引き継がれなかった一部のものが民間人の手に残っているようだ。
2019年2月には、こういった民間に残されたものとみられる壬申戸籍がヤフーオークションに出品され、落札までされてしまっていたことが判明して話題となった。その後、その取引はヤフーの判断で取り消され、さらに法務省が出品者に接触。出品者から無償で譲り受けることに成功した。出品者は「そのように大事なものとは知らなかったので、お返しします」と話していたという。[1]
その他、過去にも似たような流出事件は時々起きており、その都度世間を騒がせている。
関連項目
脚注
- 2
- 0pt