大山綱良(1825~1877)とは、幕末から明治時代初頭にかけて活躍した人物である。
概要
薩摩藩士・樺山善助の次男。幼名熊次郎。通称格之介。大山四郎助の養子に入る。薩摩藩士としては薬丸流剣術の達人で、西郷隆盛、大久保利通らと同様に重きをなされた。
大山綱良が最初に表舞台に出るのは、1862年の寺田屋騒動である。国父・島津久光の命を受け、急進派・有馬新七らを襲撃し上意討ちにする。この活躍がきっかけで一躍藩内の有力者の一人となり、薩英戦争では軍賦役を務め、王政復古の政変では長州藩の状況工作に奔走。さらに戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府付参謀として東北諸藩を鎮圧していった。
そしてその功績から1869年に賞典禄800石を下賜され、1871年の廃藩置県で鹿児島県権参事(後には県令)に就任した。
ところが、1873年に下野した西郷隆盛を支援し、西南戦争では直接参加はしなかったものの、西郷を擁護する立場をとる。西郷軍の敗退後、大山綱良本人は否定しているが、公金を押領し西郷軍に横流しした罪で官位を剥奪。1877年に長崎で斬首された。
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