少弐冬尚(しょうに・ふゆひさ ?~1559)とは、肥前の戦国大名である。少弐家17代当主。少弐資元の嫡男。弟に千葉胤頼・少弐政興・少弐元盛・松浦鎮がいる。子に少弐冬敬がいる。
概要
生年に関しては1510年説・1529年説がある。信長の野望では1529年生まれ、天下統一・復刻版では1526年生まれ・天下統一ADVANCEでは1520年生まれと設定されている。
1535年、父が大内義隆により自害を余儀なくされた時、一時雌伏の時を過ごした。
1540年、龍造寺家兼の助けを得て再興を果たすが、龍造寺家の勢力拡大を恐れた馬場頼周の策略により1545年に龍造寺一族を暗殺する事件が起きる。
翌年に頼周は家兼により倒されるが、それ以降少弐家と龍造寺家は対立関係へと発展する。
当初は冬尚側が有利であり、1551年に宿敵である大内義隆が家臣・陶晴賢により自害した後は隆信は家臣の策略により筑後に追われた。
しかし、形勢は隆信側へと傾き、1553年に肥前に復帰すると、冬尚は不利となる。
小田政光・江上武種などが降伏する中、1559年に龍造寺軍に勢福寺城を囲まれて自害し、少弐家は滅亡した。
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関連項目
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