空也とは、平安時代中期の僧である。
一般には「くうや」と読むが「こうや」とも読む。敬称をつけて「空也上人」とも。
曖昧さ回避
概要
903年から972年までを生きたと推定されている。
観想を伴わずに「南無阿弥陀仏を唱え続けると救われる」としていたことから、口称念仏の先駆けとされる人物である。「南無阿弥陀仏」という言葉を日本人に広く伝えた最初の人物といえるかもしれない。
その教えがわかりやすく、空也自身も特定の宗派にこだわらずに活動したうえに、道路整備や架橋、井戸掘りなどの事業にも力を尽くしたため、身分を問わず広く信仰を集めた。後世に一遍も空也から影響を受けて「踊り念仏」を始めている。
日本の諸国を旅したが、中でも京の東市など民衆が過ごす町を中心に活動したことから「市聖」とも呼ばれる。
像
「口から仏様」の像(空也上人像)で有名。
口にした「南無阿弥陀仏」の六文字が阿弥陀仏になったとする言い伝えを像にしたもの。当然当時の技術では仏像を浮かせたり浮いたように見せかけたりすることは困難であるため、口から伸びる針金で支えている。
もっとも有名な像は空也が亡くなった場所である京都の六波羅蜜寺に所蔵されており、この像ができたのは死後250年ほど経った鎌倉時代前期とされる。
同じような像は複数作られており、国の重要文化財指定を受けている空也像は六波羅蜜寺のものを含めて全国に4体ある。例えば京都の月輪寺の像は仏が左右に3体ずつ分かれているほか、愛媛県松山市の浄土寺の像は仏が斜め下方向に伸びている。滋賀県近江八幡市の安養寺所蔵の像は針金が折れてしまい、口の中にその針金の一部が残っているのみとなっている。
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関連静画
関連項目
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