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藤原鉄之助(ふじわら てつのすけ)とは、元プロ野球選手である。故人。
概要
OB | |
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藤原鉄之助 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1924年10月7日 |
没年月日 | 2002年4月5日 |
身長 体重 |
164cm 64kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1942年 |
引退 | 1954年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
帝京商業学校に進学。同期には杉下茂がいた。在学中に甲子園大会出場歴は無し。
1942年、名古屋軍に入団。入団初年度は正捕手として古川清蔵がいたことから10試合の出場にとどまる。
1943年、古川がセンターに転向したことから正捕手として起用され、84試合に出場。打率.208、1本塁打、18打点を記録。
終戦後の1946年、正捕手として復帰し、全試合に出場。打率.237、1本塁打、42打点、12盗塁を記録。
1947年、109試合に出場して、打率.248、1本塁打、25打点を記録。
1948年、急映フライヤーズへ移籍。急映でも正捕手として108試合に出場。
読売初年度の1949年、ここでも正捕手として110試合に出場。同年はキャリア最多の3本塁打を記録。翌1950年には17盗塁を記録してる。
1951年に楠協郎(楠安夫)が加入したことで出場機会が減少。
広島初年度の1952年は門前眞佐人との併用で86試合に出場。1953年は61試合に出場。
人物・エピソード
持ち前の強肩と、気迫をむき出しにプレーする姿が特徴的な捕手。
いわゆるチャキチャキの江戸っ子であり、明るく喧嘩っ早い性格であり、体型はずんぐりむっくりとした見た目であった。広島時代には試合そっちのけで観客と喧嘩したこともある。
商売人気質もあり、北海道で犬を仕入れ、東京で販売したこともあるという。
通算成績
打撃成績
通算:12年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 852 | 2773 | 2432 | 194 | 534 | 7 | 212 | 53 | 26 | 0 | 292 | 22 | 169 | 18 | .220 | .309 |
関連項目
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