1960年に岡山駅から中国勝山駅及び上井駅(現:倉吉駅)を結ぶ準急列車として登場した列車で、途中の津山駅で中国勝山駅行きと上井駅行きを分割。この津山駅で中国勝山駅行きは「みまさか」を、上井駅行きは「みささ」を併結して運転していた。なお、岡山駅行きは中国勝山駅発のみで全区間単独運転であった。このときの使用車両はキハ20系。
列車名は岡山県北の「蒜山高原」からで、終着駅の中国勝山駅が鉄道としての最寄り駅であった。
その後、1962年に中国勝山駅行きを月田駅行きに延長(岡山駅行きは中国勝山駅発で残置)し、1964年にキハ55系に車種変更。
1966年には岡山駅発が急行列車に昇格するも、単独運行であった中国勝山駅発は準急列車のままとされ全列車が急行列車化するのは1968年を待つこととなった。1968年の全列車急行格上げに際しそれまで通過していた弓削駅への停車を実施する一方、上井駅行きを急行「伯耆」に統合したため、岡山駅~中国勝山駅・月田駅間1往復体制となった。
しかし、1972年3月10日の山陽新幹線岡山駅開業に伴い、急行「砂丘」が3往復体制に増発されたことで、津山線内で運転区間が重複する「ひるぜん」の処遇が問題となり、1973年3月12日に廃止。中国勝山駅発については快速列車化された。
岡山駅発着の定期「ひるぜん」とは別に1972年から1973年には「週末ひるぜん」という臨時急行列車が設定されていた。
問題は運転区間で大阪駅~中国勝山駅と「みまさか」の運転区間であり停車駅も同一と、事実上「みまさか」の増発列車であったにも関わらず「ひるぜん」の名称が用いられた(特に1972年はまだ「ひるぜん」の運転が行われていた時期である)。
なお、下り列車は単独運行だが上り大阪駅行きは途中の姫路駅でスキー臨時列車「但馬銀嶺2号」を併結していた。
その後、1974年夏には「ひるぜん」の名称で「みまさか」の増発列車として運転している。
| 岡 山 |
金 川 |
福 渡 |
弓 削 |
亀 甲 |
津 山 |
美 作 落 合 |
久 世 |
中 国 勝 山 |
月 田 |
美 作 加 茂 |
智 頭 |
郡 家 |
鳥 取 |
浜 村 |
松 崎 |
倉 吉 |
|
| 1960年(運転開始時) | ○ | ○ | ○ | ― | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | = | ― | ▲ | ▲ | ▲ | ▲ | ▲ | ▲ |
| 1966年(急行昇格時) | ○ | ○ | ○ | ― | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ▲ | ▲ | ▲ | ▲ | ▲ | ▲ | ▲ | ▲ |
| 1971年(廃止前) | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ▲ | |||||||
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最終更新:2025/12/07(日) 00:00
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