ティトゥス / インペラトル・ティトゥス・カエサル・ウェスパシアヌス・アウグストゥス(39年~81年)とは、ローマ皇帝でフラウィウス朝の2代目である。
父ウェスパシアヌスを引き継ぎ、フラウィウス朝を治めていった。あっけなく亡くなったが、スエトニウスには「人類の恋人」と言われる、そんな人物であった。
カリグラの治世する紀元39年に、みすぼらしい家の中で生まれたとされる。クラウディウスによる父ウェスパシアヌスの登用で、宮廷教育を受け、クラウディウスの息子ブリタニクスと友人になったティトゥスは、出世コースを歩むこととなる。
ゲルマニアやブリタニアで軍団司令官を務め、元親衛隊長の娘・アレキナ・テルトゥラと結婚し、彼女の没後は名家のマルキア・フルニラと結婚したが、反ネロ陣営であった彼女の実家から余波を受けることにおびえ、ティトゥスは離婚を決意し、以後妻を持たなかった。
66年第15軍団「アポリナリス」の司令官に任命されたティトゥスは、ウェスパシアヌスの右腕として活躍。ガルバ没後の混乱のさなか、シリア属州総督だったムキアヌスを引き込むと、ムキアヌスとともに活躍した。ユダヤ戦争を父から引き継いだティトゥスは、エルサレムを掌握。こうして父と共にローマに帰還した。
ウェスパシアヌスの親衛隊長も務めたティトゥスは、各職を歴任し父に代わって汚れ役を務め、評判は良くなかった。さらにユダヤ女王ベレニケとの恋愛は、ティトゥスの評判を損ね、ウェスパシアヌスによってベレニケは送り返されることとなった。
かくしてウェスパシアヌスの死によって、久しぶりに極めて平和裏に皇帝に即位したのである。
彼はネロのような存在になるのではないか、と市民からは思われていたが、2年程度の短い治世であるにもかかわらず、優れた評価を得ている。ヴェスヴィオ山の噴火でポンペイとヘルクラネウムが壊滅した際も、再建工事に取り掛かり、市民を励ますため競技会を開いたのである。
しかし避暑中に発熱し、あっけなく亡くなった。弟ドミティアヌスの暗殺という噂もあったが、これらはドミティアヌスに対する言いがかりにすぎず、根拠は何もない。
かくして、ローマの人々は彼の死を悲しみ、フラウィウス朝はドミティアヌスの時代に移る。
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最終更新:2024/05/09(木) 19:00
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