ピケ子とは、元F1ドライバーもといネルソン・ピケの息子である。
本名はネルソン・アンジェロ・ピケ(1985-)。メディアではネルソン・ピケJr.、ネルシーニョ・ピケなどと呼ばれるが、2ch、ニコニコ動画などでは「ピケ子」「ペケ子」の愛称で親しまれる。
原因不明の単独スピンやリタイアに定評のあるF1界きってのドジっこである。
ごくたまに、やれば出来るところを見せることもある。実はイケメン。
2004年、ピケ・スポーツから参戦し、イギリスF3で最年少チャンピオンになる。
2006年、ルイス・ハミルトンとGP2でチャンピオン争いを演じるも、惜しくも2位。
2008年、満を持してルノーのレギュラードライバーに昇格。フェルナンド・アロンソとチームメイトになる。
開幕戦・オーストラリアGPではいきなりの予選21位(22台中)。ルノーの戦闘力不足もあったとはいえ、前半戦は全く結果が残せず、途中交代説まで浮上した。前半戦(第9戦・イギリスGP)終了時点では9戦中完走3回、獲得ポイント2pts.におわる。
しかし、第10戦・ドイツGPで覚醒。セーフティーカーが入る直前にピットストップを終えたピケJr.はラップリーダーに浮上。その後、猛追してきたハミルトンに抜かれるも、2位でフィニッシュ。ルノーに2008年初の表彰台をもたらした。
さらに、第15戦・シンガポールGPではレース中盤、ストレート上で何故か単独クラッシュ。それに伴う、セーフティーカー導入により、予選15番手に終わっていたチームメイト・アロンソが一気にトップへ浮上。結果的に、ピケJr.のリタイアはルノーに2年ぶりの勝利をもたらし、ネット上では「Nice assist.」などと言われた(後述)。その後も日本GPでは4位獲得。
母国GPかつ引退レースになるのではないか、という噂があった最終戦ブラジルGPでは開始数十秒で、引退レースであるクルサードとともにリタイア。結果、19pts.、ドライバーズランキング12位で初のF1シーズンを終えた。
更迭説やホンダ移籍説などがささやかれるなか、2009年のルノー残留を確定。2009年、進化したピケ子の活躍に期待がかかる!
・・・はずだったのだが、R29の戦闘不足もあり一度も入賞できぬままブリアトーレとの確執もありハンガリーGPをもってルノーチームを解雇されてしまった。
解雇されたのち08年のシンガポールGPでアロンソを助けるためにチームにわざとクラッシュするように指示された、と告発(いわゆるクラッシュゲート)。FIA世界モータースポーツ評議会において有罪が確定、ブリアトーレに無期限追放、パット・シモンズに5年間追放、そしてルノーチームに2年間の執行猶予つき参戦資格剥奪処分がくだされた。ピケ子は捜査に協力したとして不問とされた。
2010年からはNASCARのキャンピングワールドトラックシリーズ(CWTS)に参戦し、ネイションワイドシリーズにもスポット参戦している。2011年のCWTSでのポイントランキング10位。2012年はCWTS、ネイションワイドシリーズともに優勝を経験するなど参戦当初に比べ着実に成長している模様。
2014年から新たに開催されるフォーミュラEに参戦。ロングビーチにて同一サーキットでの親子優勝を見せた。そして、わずか1ポイントの差でセバスチャン・ブエミをくだしてチャンピオンを獲得。父とは舞台が違うとはいえ、国際格式のフォーミュラレースのチャンピオンには違いなく、ドライバーとして誇れるだけの実績をついに挙げた。
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最終更新:2024/05/05(日) 18:00
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