フローレンス・ナイチンゲールとは、19世紀から20世紀に活躍した看護士、統計学者、看護学者である。
彼女の一番有名な業績は「クリミアの天使」「ランプの貴婦人」と呼ばれるように、その献身的な看護士としての仕事ぶりである。地獄のようなクリミア戦争において敵味方分け隔てなく助け、夜にはランプを片手に患者を見て回った彼女の姿は小さいころ偉人伝記漫画などで読んだ事がある人も多いだろう。
しかし、実際の彼女の偉業はどちらかというと看護士としてではなく学者や教育者としての物が多かった。本人曰く「看護は自分が果たさなければならなかった機能の中で最も重要でないものだった」そうだ。下記にあるような徹底された姿勢は「鋼の意志の化身」「歩く陸軍省」と呼ばれる程である。
裕福な家庭で育った彼女は、幼い頃から贅沢の限りを尽くした教育を受ける。(フランス語・イタリア語・ギリシャ語の読み書き、ラテン語、ギリシャ哲学、数学、天文学、経済学、歴史学(英国史、世界史)、音楽、絵画、英語文章、地理学、心理学、詩や小説等の文学)
戦場の医療現場にふれ、家族の猛反対を振り切って31歳の時に、当時は底辺の職業とされていた看護婦に従事する。しかし彼女が看護婦として働いたのは僅かな期間であった。
ナイチンゲールは一般的な白衣の天使のイメージとはほど遠く、理性と激情の人であった。数学に精通し合理性を重んずる一方で、人を助ける事に対する異常とも言える執着は、悪魔的とも病的とも形容される。彼女は人当たりが良くなく、わがままで、細かいところまでしつこい性格であった。自分の目的の障害になる者に対しては重く静かに、しかし辛辣に批難した。人間は全てどうしようもなく役立たずであるという想いが彼女を支配していた。
ナイチンゲールは生涯を通して常識を超えた激務をこなしていた。戦場では時に馬上で何日も過ごし、時に何十キロ先の小屋まで歩いて仕事をしたこともある。体力の限界がきて熱病にかかっても無理して働き、完全に動けなくなってもメモなどを書いていて、そのせいで神経組織を破壊され、心臓も弱っていたが、それでも彼女は戦場から帰った後もずっと働き続けた。医者が止めても、家族が泣いて止めても彼女は働く事を止めなかったとされる。
自分に厳しく、他人に厳しい人であった。彼女を支援しようとする者は極限を超えて彼女にこきつかわれてしまった。彼女の一番の協力者にして親友であった、シドニー・ハーバートが余りの激務の為に心身を弱らせ、彼女に相談したが、ナイチンゲールはそれに対して「甘えるな」の様な返事をした。
打ちのめされたですって!? 貴方はただ勝負を諦めただけではないのですか? それも勝ち札が全て貴方の手の中にあるのにですよ! これはとても立派な勝負です!
その後、彼女は91歳で亡くなるまで閣僚の誰よりも働き続けた。
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最終更新:2024/12/13(金) 00:00
最終更新:2024/12/12(木) 23:00
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