ミスタースワローズとは、東京ヤクルトスワローズ(ヤクルトスワローズ)の看板選手として長年活躍した人物に対する愛称である。
スポーツ界では、そのスポーツやチームの発展に長年寄与してきた人物に対して「ミスター○○(スポーツ名 or チーム名)」と愛称をつける風習があるが、そのスワローズバージョン。
ミスタースワローズと呼ばれる選手は以下のとおり。
初代ミスタースワローズ。現在でも「ミスタースワローズ」というと若松(か古田敦也)のことを指す場合が多い。
身長168cmと小柄ながら、通算打率.319・通算本塁打数220本の成績を残しており、「小さな大打者」の異名で知られている。
1978年のチーム初優勝・初日本一に貢献するなど、1970年代初めから1980年代半ばまでチームの主力として活躍を続けた。また現役引退後も打撃コーチ・監督としてスワローズを支え続けており、2001年には監督としても優勝・日本一を経験した。
若松以前にもスワローズで背番号1をつけていた選手はいたものの、背番号1=ミスタースワローズのイメージが若松で完全定着したため、以後スワローズ内での背番号1の扱いがより慎重なものとなる。
1989年の若松の引退後、1992年から1999年まで背番号1をつけた。
打席でのフルスイングが印象的なことから、「ブンブン丸」の愛称で親しまれている。広澤克実との「イケトラコンビ」で打線を牽引し、野村克也監督によるスワローズ黄金期を支えた。
池山から正三塁手の座を引き継ぐと、2001年にはリーグ優勝・日本一に貢献。その後も2000年代半ばまでスワローズの中心選手として活躍を続け、2006年オフにはMLBへ移籍した。その後、MLB複数球団と東北楽天を経て、2013年にスワローズへ復帰。
NPB史上初の複数回シーズン200安打、NPB通算最高打率(2020年現在)を記録するなど、屈指のヒットメーカー。第1・2回WBCでは侍ジャパンの優勝にも貢献している。2011年オフにMLBへ移籍後も安定した成績を残し、MLB複数球団でジャーニーマンとして活躍した。2018年にスワローズへ復帰。2021年-2022年のリーグ優勝に貢献した。2024年オフの引退後は、ヤクルトのGM特別補佐を務める。
NPB史上初の複数回トリプルスリーを達成し、「ミスタートリプルスリー」とも呼ばれている選手。2015年には盗塁王と本塁打王を同時に獲得し、チームの14年ぶりの優勝に貢献した。
スワローズ黄金期を初め、1990年代から2000年代半ばまで活躍を続けた。打撃もさることながら、「ID野球の申し子」として、堅実な守備とデータに基づく配球で投手陣をリードした。2006年から2007年には、選手兼任監督を務めている。
選手としての成績だけでなく、スワローズ黄金期・プロ野球再編問題(古田は日本プロ野球選手会会長として球団側と対立し、ストライキを主導)・引退後の解説者/タレント活動など、スワローズOBで圧倒的知名度を誇ることから、若松と並んで「ミスタースワローズ」と呼ばれることが多い。
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最終更新:2025/01/05(日) 08:00
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