1955年にリトアニアのヴィルニスで生まれる。12歳にアロイジオ神父から音楽理論などを学んだことをきっかけに音楽の道に入り、次第にピアノへと傾倒していくようになった。そして1989年にバルト三国が民族問題で盛り上がりを見せる中故郷を離れ、アメリカに亡命することとなった。
その2年後である1991年にゴドフスキーの「ショパンのエチュードによる53の練習曲」を部分的にレコーディングし、CDデビューを飾ることとなった。以降ゴドフスキー、アルカンといった当時まだ知名度の低かった難易度の高い作曲家のピアノを取り上げていくも、ソラブジの「超絶技巧百番練習曲」の発表の許可が下りなかったのを最後にしばらくスランプ状態に陥り活動を休止した。
2009年ごろからまた活動を再開し、以来ラフマニノフ、プロコフィエフ、スクリャービンといったロシア作曲家を取り上げるようになった一方で、2010年にはおよそ20年越しにゴドフスキーの「ショパンのエチュードによる53の練習曲」の全曲をレコーディングすることを達成できた。
しかしこのネットの発達した情報社会の中においても知名度が低いのか、たとえば1998年に彼が世界初録音したはずのアルカン編曲によるモーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」が、2015年のホセ・ラウル・ロペスが世界初録音と銘打たれていたりと若干の齟齬が生じている。
…というか当初から誰も隠していないし、2016年にもなって彼を実在のピアニストと思う判断材料ももはやないと思うが、1990年代から活動している、七澤順一による自動ピアノやMIDI音源による録音を行ったとされる架空のヴァーチャル・ピアニストである。
主な活動の軌跡は大体上に書いたとおりである。それにしても長い空白期を経て再び活動を再開して衝撃を受けたピアノ愛好家も多数いると思われる。
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最終更新:2025/12/06(土) 20:00
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