伊東亮大(いとう りょうた、1989年7月27日~)とは、神奈川県出身の元プロ野球選手(一塁手・育成選手)である。
| OB | |
|---|---|
| 伊東亮大 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 神奈川県大和市 |
| 生年月日 | 1989年7月27日 |
| 身長 体重 |
194cm 92kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 一塁手 |
| プロ入り | 2014年ドラフト7位 |
| 引退 | 2017年 |
| 経歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
野球は幼稚園年長で始め、上和田中では「瀬谷ボーイズ」に所属し投手を務めていたが、桐光学園では肩を痛めたことから1年夏に内野手に転向し、秋にベンチ入りを果たすも、肩の影響で一塁しか守ることが出来ず、守備も難があったことから出場機会には恵まれず、3年夏には三塁コーチとしての甲子園出場を果たす。
武蔵大では2年春からレギュラーを獲得し、チームの2部優勝と1部昇格に大きく貢献。3年の春ではリーグ2位の打率.462を記録して一塁手として首都大学リーグベストナインに選ばれるが、その後は目立った成績を残せず、一足早くプロ入りを果たした弟とは対照的に、社会人の日本製紙石巻に進むことになる。
社会人では1年目こそ目立った活躍は無かったが2年目には都市対抗野球にて3試合で10打数4安打、打率.400の活躍で社会人ベストナインにてDHとして初めて選出された。
社会人3年目となる2014年は都市対抗野球や日本選手権では活躍できなかったが、第17回アジア競技大会では4試合で7打数4安打5打点の成績を残す。
2014年度新人選手選択会議では東北楽天ゴールデンイーグルスより7位指名を受けて入団。なお弟の昂大はこの時すでに現役を引退していたため、兄弟のプロでの対決は叶わなかった。
2015年は6月21日に一軍登録され、23日にはオリックス・バファローズ戦にて代打でプロ初出場を果たし、平野佳寿の前に一塁ゴロに終わると翌24日に登録を抹消される。
その後9月27日に再び一軍に戻ると、同日の埼玉西武ライオンズ戦にて7番・DHで出場し、第2打席でプロ初安打となる本塁打を記録。その後はスタメンに名を連ねることが多くなり、8試合で打率.273、2本塁打2打点の成績を残した。
2016年は一軍出場なしに終わり、オフに支配下選手登録を解除され育成選手になった。背番号は046。
2017年も一軍出場がないまま、自由契約となり、現役を引退した。
最大の特徴はその身長。194cmは日本人野手としては最も大きく、かつて日本ハムファイターズ等に所属していた高橋智と同じ。打席に立てばその大きさと威圧感故にニコニコでは「大きい・・・」といった感じのコメントが並ぶ。
弟の昂大とはプロで一緒になることはなかったが、プロ入り前には電話で「迷ってないでプロに行け」と激励を受け、亮大が所属する縁からか2016年から昂大は楽天にてジュニアコーチを務めている。
選手としては長い手足のリーチを生かして広角にライナー性の打球を打ち込む。守備には難があるが、社会人では外野手を守ったこともある。
| 年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2015年 | 楽天 | 8 | 23 | 22 | 2 | 6 | 1 | 0 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | .273 | .304 |
| NPB:1年 | 8 | 23 | 22 | 2 | 6 | 1 | 0 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | .273 | .304 | |
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/06(土) 05:00
最終更新:2025/12/06(土) 05:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。