各内国抽籤濠州産馬混合競走とは、かつて目黒競馬場で施行されていた競馬の重賞競走である。
濠抽混合、もしくは二哩一分と通称された。
1923年に各競馬倶楽部により抽籤馬として豪州産牝馬の輸入が再開されたことを受け、それらの馬に門戸を開いた重賞として1925年(大正14年)に創設された。
しかし、国内の馬産家の猛反発により1926年を最後に豪州産馬の輸入が停止されたことにより、外国産4歳馬の登録がなくなったため1927年(昭和2年)より「各内外国産古馬競走」に改められた。
さらに外国産古馬の登録もなくなり1929年に「各内国産古馬競走」に名が変わった。
1928年(昭和3年)に昭和天皇が即位の大礼を行ったことにちなみ、大禮(たいれい)記念として京都競馬場芝3200mで行われた1回を除いて、目黒競馬場にてほぼ芝3400mで施行された。
「優勝内国産馬連合競走」、「帝室御賞典」に次ぐ格の高いレースであったが、1932年に競馬場が府中に移転することに先立ち、「目黒記念」として再編された。これにより、1931年秋から適応された過去の勝ち馬の出走禁止規定が撤廃となった。
回数 |
開催日 |
競馬場 | 距離 | 頭数 | 優勝馬 | 性齢 | 斤量 | 勝利騎手 | 勝ち時計 | 2着馬 |
第13回 | 1931年11月16日 | 目黒 | 3400m | 3 | オールマイン | 牡6 | 61キロ | 岸参吉 | 3.56.3/5 | ワカクサ |
第12回 | 1931年5月4日 | 目黒 | 3400m | 4 | ケンコン | 牡5 | 68キロ | 函館孫作 | 3.49.1/5 | ケンシユン |
第11回 | 1930年11月17日 | 目黒 | 3400m | 8 | ケンキン | 牡5 | 62キロ | 岸参吉 | R3.48.1/5 | ケンシユン |
第10回 | 1930年5月5日 | 目黒 | 3400m | 5 | ハクシヨウ | 牡7 | 67キロ | 尾形景造 | 3.50.1/5 | フレスノ |
第9回 | 1929年11月18日 | 目黒 | 3400m | 5 | ハクシヨウ | 牡6 | 63キロ | 尾形景造 | 3.52.2/5 | フレスノ |
第8回 | 1929年4月28日 | 目黒 | 3400m | 5 | ナスノ | 牡6 | 63キロ | 二本柳省三 | 3.51.0 | ハクシヨウ |
第7回 | 1928年11月25日 | 目黒 | 3400m | 4 | ヘンぺツキー | 牝5 | 57キロ | 美馬勝一 | 3.54.1/5 | クモカゼ |
第6回 | 1928年4月29日 | 目黒 | 3400m | 7 | フアンタステイツク | 牝7 | 58キロ | 美馬勝一 | 3.49.4/5 | カノウ |
第5回 | 1927年11月20日 | 目黒 | 2⅛哩 | 5 | アストラル | 牝7 | 127ポンド | 尾形景造 | R3.47.58 | クモカゼ |
第4回 | 1927年5月1日 | 目黒 | 2⅛哩 | 4 | アキラ | 牡6 | 130ポンド | 新堂助次郎 | 3.52.39 | スイテン |
第3回 | 1926年11月21日 | 目黒 | 2⅛哩 | 5 | ラレード | 牡7 | 127ポンド | 佐藤嘉七 | 3.48.66 | アキラ |
第2回 | 1926年5月2日 | 目黒 | 2⅛哩 | 6 | レンド | 牡7 | 127ポンド | 新堂助次郎 | R3.48.41 | カノウ |
第1回 | 1925年11月23日 | 目黒 | 2 ⅛哩 | 6 | ラシカツター | 牡5 | 127ポンド | 八木沢貫作 | 3.57.49 | バンザイ |
開催日 |
競馬場 | 距離 | 頭数 | 優勝馬 | 性齢 | 斤量 | 勝利騎手 | 勝ち時計 | 2着馬 |
1928年10月14日 | 目黒 | 3400m | 4 | クモカゼ | 牡7 | 63キロ | 函館孫作 | R3.49.3/5 | キングフロラー |
1928年10月21日 | 京都 | 3200m | 9 | ヤタケ | 牝7 | 58キロ | 木村寛 | 3.34.4/5 |
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最終更新:2024/11/30(土) 11:00
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