坂崎一彦 単語

サカザキカズヒコ

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坂崎一彦(さかざき かずひこ)とは、元プロ野球選手である。故人

概要

1938年1月5日生まれ。大阪府豊中市出身。

商業高等学校に進学。外野手としてプレーし、3年時には連続で甲子園大会に出場。春の甲子園大会では4番打者を任され、同期山本八郎とともに強力クリーンアップを形成。勝負強い打撃で活躍し決勝まで勝ち進むと、決勝戦では計4打席敬遠されたが、第3打席に2点本塁打を放ち、チームの全制覇に大きく貢献。同大会では打率.600、2本塁打、8敬遠という活躍を見せ、その活躍から「坂崎大明神」と呼ばれた。

1956年読売ジャイアンツに入団。

初年度から控えの外野手として一軍に定着。

3年1958年にはライトセンターでスタメン出場の機会を増やし、オールスターゲームにも出場。打撃では打率.245、5本塁打、28打点という成績を残し、守備では10捕殺を記録するなど肩の強さも発揮した。

1959年長島茂雄の前後となる3番・5番打者を任され、試合では長島に続いて2者連続本塁打を放つなど大事な場面での一打がり、オールスターゲームにも2年連続で出場。最終的にはキャリアハイとなる打率.289、15本塁打、64打点記録し、ベストナインにも選出された。

1960年打率.202と低迷したが、1961年には打率.256と持ち直し王貞治長島の後ろを打つ5番打者として復活1962年打率.276マークし、オールスターゲームにも3年ぶりに出場している。

1963年からは代打で起用されることも増え、代打での成績は打率.367とハイアベレージをマーク。翌1964年打率.237と低迷したが、代打では打率.417と高い成功率を誇っていた。

1965年、トレードで東映フライヤーズへ移籍。

移籍初年度はライトレギュラーに定着し、打率.258、11本塁打、45打点記録。また代打では36打数17安打打率.4725割近い打率記録。だが、1965年以降は白仁天外野手へのコンバートもあり出場機会が減少。

1967年、現役引退

引退後は実家電気工事店を継ぎ、導者や解説者としての活動はかったが、全野球会(現:日本プロ野球OBクラブ)に会員として所属しており、野球界から全に離れたわけではなかった。

2014年1月28日がんのため死去。享年76歳。

人物・エピソード

勝負強い打撃でONコンビの後ろを任された他、キャリアの後半は代打の切り札的な役割を任され驚異的な代打成功率を記録した外野手

高校時代はその勝負強さと快な打撃で相手チームから恐れられ、『触らぬ神に祟りなし』という意味合いで「坂崎大明神」と呼ばれていた。

通算成績

打撃成績

通算:12年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1207 3410 3037 302 755 74 387 34 32 21 293 15 584 47 .249 .320

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