守田俊介(もりたしゅんすけ 1975年8月12日生~)とは、風雲きもり城城主であり滋賀支部所属のボートレーサーである。
京都府出身 登録番号3721 74期 同期に辻栄蔵(2007年賞金王決定戦を始めSG2度制覇)など。
1994年5月11日、ホームプールである琵琶湖競艇場(ボートレースびわこ)でデビュー。当初は中川俊介という名前だったが、両親の離婚のため母方の姓である守田俊介に登録名を変更。
ちょうど4ヶ月後の9月11日に福岡競艇場(ボートレース福岡)にて初勝利。その後デビューから2年10ヶ月でSG初出場を果たすなど、天才肌の選手として将来を嘱望されていたが、ボートレーサーとしては体重が重かった(2015年11月16日時点で56kg、男子の最低体重が現時点で51kgだからかなり重い方)のとモーター・プロペラの整備力に難があったため、SG制覇にはなかなか手が届かなかった。
その間、ホームの琵琶湖で2003年にGⅠ近畿地区選手権、2006年にGⅡ秩父宮記念杯を制し、2008年には通算1,000勝を地元で達成。2014年は開設61周年記念競争を制するなど、琵琶湖で無類の強さを見せる。2014年には通算1,500勝を達成。GⅠで3勝、GⅡでも1勝と間違いなく実力はあったが、SGでは厚い壁に阻まれ続けた。
しかし2015年のボートレースダービー(全日本選手権)で、彼はついに栄光を掴むこととなる。篠崎元志がボートレースメモリアルを勝ったことで枠が空き繰り上がりで出場すると、初日に4艇の集団フライングが起きるなどの大波乱を物ともせず、1着2着を積み重ねていく。準優勝戦も1コースから危なげなく逃げ、優勝戦へ。優勝戦も1コースからコンマ06のトップスタートを決め逃げ切り勝ち。デビューから足掛け21年6ヶ月で念願のSGタイトルを手にした。
その後、優勝賞金(3,500万円)全額を日本財団・東日本大震災支援基金へ寄付。このことはヤフーニュースに取り上げられる
など、各所で大きな反響を呼んだ。
寄付をした理由として、東日本大震災でボランティアに行った際の苦い思い出がきっかけだということを本人のブログ
で語っている。
そのあまりにも悲惨すぎる現状を目の当たりにし怖くなって逃げるように結局何もせずにすぐに帰ってきてしまったのです。
また、この記事では寄付の有無や金額で比較したりすることをやめるよう呼びかけている。
今回の件は変わり者の僕の個人的な考え(思いつき?)でやったことであり復興への思いは選手のみんなが持っています。どうしても比べられるかもしれませんが金額がどうとか誰が寄付したしなかったとか、そういうのは一切やめていただきたいのです。それとこれとはまた話が違うので。これは本当にお願いしたい。良識のある方ならわかっていただけると思っています。(ブログより)
興味を持った方は一度ブログを見て、守田選手の思いを受け止めてほしい。
だけではなく、Facebook
やTwitter
もやっている。本人曰くFacebookが主戦場らしい。レースは10:25から
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最終更新:2025/12/17(水) 07:00
最終更新:2025/12/17(水) 06:00
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