江戸時代前期の高鍋藩の秋月家が軍馬のために都井村御崎牧で馬の放牧を始めたのが起源とされる。明治維新後の1874年に御崎組合の共有牧場として払い下げられた。
明治政府は在来馬の体格を向上させるために、外国馬の血統を導入する計画を実施。御崎馬もこの国策から逃れることができず、1913年に父スタンダードブレッド・母が北海道和種と南部馬の雑種である北海道産馬『小松号』が都井岬に導入された。1年間の供用で数頭の牝馬に種付けされ、これによって栗毛や白持ち、大柄な体格の馬が見れるようになった。ただし、小松号の影響は限られたものに留まり、純度の高い馬群を維持することができた。
第二次世界大戦の影響で数が減少して、農業の機械化が進んだことで農耕馬としての需要も見込めないものとなった。しかし、1953年に『岬馬およびその繁殖地』として国の天然記念物に指定された。これによって御崎馬の保護は進み、頭数が増加傾向に転じた。近年では120頭前後で安定している。
半野生状態が維持された貴重な日本在来馬として、宮崎県の重要な観光資源となっている。
体高は130cm前後、体重は300kg未満。日本在来馬としては中型に分類される。毛色は鹿毛・黒鹿毛・河原毛が多く、足首は黒っぽいのが特色である。
現存する他の日本在来馬が農耕馬の系統であるのに対して、脚が細く江戸時代の乗用馬としての特徴が保存されている。
長いあいだ人為的な管理が殆ど加わっていない周年放牧であり、繁殖と育成は自然任せとなっている。これによって粗食に耐える強靱な体質で、斜面に適した強い後躯を持ち、都井岬の環境に適応している。
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最終更新:2025/12/10(水) 20:00
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