樋口正蔵(ひぐち しょうぞう)とは、元プロ野球選手・実業家・馬主である。
| OB | |
|---|---|
| 樋口正蔵 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大阪市 |
| 生年月日 | 1939年9月26日 |
| 身長 体重 |
176cm 73kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 外野手、内野手 |
| プロ入り | 1962年 |
| 引退 | 1971年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
浪華商業高等学校に進学。外野手としてプレーし、2年時に夏の甲子園大会に出場して、ベスト8まで勝ち進んでいる。
高校卒業後、法政大学へ進学。チームの主力外野手として活躍し、在学中4度のリーグ優勝を経験。2年時には全日本大学野球選手権優勝も経験している。
初年度の1962年から一軍に定着し、外野やファーストの守備固めを始め、代打・代走としても起用され、70試合に出場。プロ初本塁打も記録している。
1963年、2番ライトとしてレギュラーに定着。この年コーチであったカールトン半田から伝授されたドラッグバントを武器に内野安打を量産。135試合に出場して、打率.313(パ・リーグ3位)、3本塁打、33打点、17犠打を記録したほか、パ・リーグトップとなる9三塁打も記録。また、同年記録した内野安打55本は、NPBシーズン最多記録である。
1964年、打率.296、1本塁打、28打点を記録し、パ・リーグ・日本一制覇に貢献。
以降も南海の主力選手として活躍を続け、毎年100試合以上に出場。
1970年、門田博光が入団したことで出場機会は減少したが、打率.325と好成績を残した。
引退後は家業であったネジの製造・卸売会社を継ぐと、「資本を投入するよりもノウハウを蓄積し、顧客の信頼を高める」という方針がハマり、新幹線の車輪に用いられる特殊なネジの製造を請け負うなど、実業家として成功。この他に「バンブトン」の冠名を用いる馬主としても活動している。
俊足巧打を武器に活躍した外野手。特にドラッグバントを得意としており、1963年に記録した日本記録の内野安打55本のうち、実に25本がバントによるものであった。
性格面は明るく、チームのムードメーカー的存在であったという。
元プロ野球選手馬主の先駆けとも言える存在であり、代表馬・バンブトンコートは、阪神3歳ステークスをはじめ重賞7勝を挙げている。
| 通算:10年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1036 | 3120 | 2847 | 317 | 800 | 15 | 212 | 41 | 70 | 12 | 168 | 23 | 174 | 22 | .281 | .313 |
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最終更新:2025/12/06(土) 09:00
最終更新:2025/12/06(土) 09:00
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