田所善治郎(たどころ ぜんじろう)とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| 田所善治郎 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 静岡県焼津市 |
| 生年月日 | 1934年7月17日 |
| 没年月日 | 2021年1月6日 |
| 身長 体重 |
171cm 66kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1953年 |
| 引退 | 1964年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
静岡商業高等学校に進学。エース兼4番打者として活躍し、3年時の春の甲子園大会では、史上3人目となる全試合完封勝利を記録し、全国制覇を達成している。
初年度の1953年、先発投手陣の一角として起用され、29試合に登板して2勝6敗、防御率3.86を記録。
1955年、18試合に先発登板して、5勝9敗、防御率3.58を記録。
1957年、21敗を喫したが、15勝を挙げ、防御率も2.41という成績を記録し、金田正一に次ぐ先発投手陣の軸として活躍。
1958年は、6勝11敗、防御率4.14とやや精彩を欠いた。
1960年頃からはリリーフ登板での起用が中心となっていき、1962年には34試合に登板して、防御率2.67を記録している。
サンケイ退団後、地元に戻り、少年野球チームの代表として指導にあたっていた。
2021年1月6日、腸間膜動脈閉塞症のため死去。享年86歳。
重い直球を武器に、安定感のある投球で国鉄投手陣を支えた右腕。変化球は決め球のドロップに加えて、スライダーやカーブ、シュートなども持ち球としていたが、ドロップ以外の変化球は全て金田正一に教えてもらったものである。
通算勝率は.403と数値的には悪いが、通算防御率は1000投球回以上を投げて3.20と悪くない成績を残している。
| 通算:12年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 391 | 38 | 11 | 56 | 83 | --- | --- | .403 | 1361.2 | 446 | 647 | 562 | 484 | 3.20 |
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最終更新:2025/12/05(金) 21:00
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