荒井退造(あらい・たいぞう 1900年9月~1945年6月26日?)は日本の警察官、沖縄の島守である。
1943年7月の沖縄県警察部長着任までは日本国内や満州で警察畑を歩んできた。
1944年7月7日にサイパンが陥落すると南西諸島での戦闘が確実となってきた。政府は緊急閣議を開き、南西諸島の老幼婦女子10万人の疎開を決定。荒井部長は「睫毛に火がついてから慌てても間にあわんぞ」と疎開に力を入れようとするが、ここで疎開消極派の泉守紀知事と対立。それでも県民へ疎開すべきと説いて回るなど疎開を進めたため独断専行の非難を浴びることとなる。
1944年10月10日の空襲(10・10空襲)では防空壕へ隠れてしまった泉知事に代わって情報収集・避難誘導・消火作業の指示に当たった。
1945年1月に東京出張に行ったまま香川県知事に転任した泉知事に代わって、島田叡新知事が赴任。荒井部長にとって島田知事は心強い味方となり、島田知事も荒井部長を重用した。島田知事・荒井部長コンビは島民を守るため奮闘。
4月1日に米軍が沖縄本島へ上陸、県庁・県警本部は首里へ移動。5月25日の首里撤退後も糸満の轟の壕へ移るが、6月9日に島田知事が県庁・県警本部を解散。
6月26日、赤痢にかかっていた荒井部長は島田知事に連れられて壕を出たまま行方不明となった。
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最終更新:2025/12/06(土) 17:00
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