藤原義孝(ふじわらの よしたか、954~974)とは、平安時代中期の貴族・歌人である。
百人一首50番の作者で、中古三十六歌仙の一人。藤原伊尹の子で、藤原行成の父。
容姿端麗、品行方正と非の打ち所が無い、美貌の貴公子だったと伝えられている。仏教を厚く信仰しており、派手好きな父・伊尹とは対照的に、慎み深い性格だったらしい。彼には仏道に関わる逸話が数多く残されており、その中でも魚や鳥などの肉類を一切食べなかった話が有名である。ある時、義孝が酒宴が出席すると、食事に鮒(フナ)の魚肉に鮒の卵を和えたなますが出された。これを見た義孝は「母の身にその子供を和えた料理なんて食べられない」と言って涙を流し、食事に手を付けずに帰ってしまったと言う。
しかし、当時流行した天然痘に感染して、数え21歳の若さで病死した。百人一首の歌人の中では、最も短命である(ワースト2位は藤原道信の23歳、3位は小式部内侍の25歳前後)。法華経を読むことを日課にしていた義孝は、死の直前まで唱え続けていたと言う。義孝が亡くなった同じ日の朝には、兄の藤原挙賢も亡くなったばかりであった。天然痘で顔が醜くなってしまったことを苦に自殺したという話もあるが、仏教に帰依していた義孝からこの話は考えられにくく、後世の創作と考えられる。あまりにも早死だったため、官位は正五位下・右近衛少将に止まった。
百人一首に採用された「君がため 惜しからざりし 命さえ 長くもがなと 思ひけるかな」は、愛する人といつまでも長く生きていたいという思いが込められており、願い叶わず夭折した彼の無念さが窺える。なお、漫画「うた恋い。」では赤子の行成に般若心経を唱えて子守しているが、法華経では般若心経を読むことは無い。
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最終更新:2025/12/06(土) 01:00
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