法華経とは、仏教経典の1つである。
法華経のサンスクリット語原典の名前は『サッダルマ・プンダリーカ』であり、直訳すると『白蓮のごとき正しい教え』となる[1]。
この『サッダルマ・プンダリーカ』を西晋の竺法護は『正法華』と訳し、後秦の鳩摩羅什は『妙法蓮華』と訳した。隋の闍那崛多と達摩笈多も『妙法蓮華』と訳した。
『サッダルマ・プンダリーカ』を完全に漢訳した経典は、竺法護の『正法華経』と、鳩摩羅什の『妙法蓮華経』と、闍那崛多や達摩笈多の『添品妙法蓮華経』の3つであるが、いずれも『法華経』が略称である。
古代インドでサンスクリット語を用いて『サッダルマ・プンダリーカ』が書かれた。それが様々な僧侶によって書き写され、中央アジアに伝わっていった。
『正法華経』と『妙法蓮華経』は、どちらも中央アジアに伝わる『サッダルマ・プンダリーカ』を翻訳したものとされる。ちなみに『正法華経』と『妙法蓮華経』は、それぞれ異なる原典を訳したものと指摘されている[2]。僧侶が寺院で経典を書き写していくことを繰り返すうちに経典の内容が変化してしまうことがあるが、そうした現象が発生したようである。
『正法華経』は訳文が難渋で読解に苦しむものである。『妙法蓮華経』は読みやすく理解しやすいが、達意的で厳密な意味では必ずしも正確な翻訳ではない[3]。
隋の智顗(ちぎ)は中国における天台宗を大成させた高僧として知られるが、その智顗が『妙法蓮華経』を基本の経典として定めたので、日本でも鳩摩羅什の『妙法蓮華経』を採用する教団ばかりとなった。
『添品妙法蓮華経』は『妙法蓮華経』とほぼ同じで、『妙法蓮華経』で欠落していた部分を書き足して、品(章)を結合したり並べ替えをしたりする程度の変更を行っている。このため『妙法蓮華経』を重視する仏教界の流れは変わらなかった。
『サッダルマ・プンダリーカ』の成立は4つの期間に分けることができ、最も原始的な部分は紀元前1世紀頃に成立し、最も新しい部分は紀元後150年前後に成立した、と布施浩岳が述べている[4]。
『サッダルマ・プンダリーカ』は、釈迦牟尼仏がその経典を教えていることになっている。一方で釈迦牟尼仏とされるゴータマ・シッダールタの没年は紀元前11世紀説から紀元前4世紀説まで様々な学説が唱えられているが、紀元前1世紀の人物ではないことは学者たちの間で共通している。このため「法華経はゴータマ・シッダールタが入滅してからかなり後の時代になって仏教教団の手によって作られた」と認識しておいて間違いは無い。
法華経は大乗仏教の系列に属するが、その系列の初期に属する。般若経や華厳経と並ぶ初期大乗経典の代表作とされる[5]。
法華経は小乗仏教を奉ずる教団と大乗仏教を奉ずる教団の鋭い対立を解消すべく現れた経典である。
対立する思想をより高次の立場から統一し、思想的寛容を促し、全ての人間に成仏を保証する平等主義の精神を養う経典であり、後世において「経典の中の王者」「経王」として位置づけられるのも当然であった[6]。
インドでは竜樹や世親といった高僧が法華経を引用したり注釈を付けたりし、中国では智顗の天台宗が法華経を基礎とした。日本でも最澄が比叡山に天台宗を起こして法華経を最重視し、その比叡山で学んだ法然・親鸞が浄土宗・浄土真宗を開き、同じく比叡山で学んだ栄西・道元が禅宗を開いた。さらに日蓮は法華経の布教に努め、多くの日蓮教団を発生させた。
インド・中国・日本を通じて仏教思想の主流をなしたものは、実に法華経であると言っても過言ではない[7]。
「仏教のことを知りたいのですがどの経典を読めばいいのですか」と問いかけるものがいたならば、とりあえず、法華経を読むことを奨めておけばよい。
法華経について様々な書籍が販売されているが、そのなかで仏教を知らない初学者に勧めることに向いているのは岩波文庫の法華経である。
岩波文庫の法華経では、日蓮教団の1つに属する宗教学者の坂本幸男が『妙法蓮華経』を書き下し文にして解説し、サンスクリット語学者の岩本裕が『サッダルマ・プンダリーカ』を平易な日本語に翻訳している。
坂本幸男は法華経を信奉する宗教家であり、宗教的情熱がこもった解説を書いている。一方、岩本裕は宗教的に自由な立場であり[8]、「仮定の事実を記述するにあたって正に作為も甚だしい記事を羅列している。」「いささか芝居気たっぷりである。(中略)そこに述べられる仮定の事実は実に下手である。」などと法華経に対して辛口の批評をしており[9]、中立的な考えをもたらしていて、本の公平性を作りあげている存在である。
Amason、楽天ブックス、DMMなどで紙書籍と電子書籍の両方が販売されている。
法華経において一貫して説かれている教義は「釈迦牟尼仏は相手を仏陀の智慧に到達させるように尽力しているのだが、相手によって教えを変えている」というものである。
「釈迦牟尼仏は、相手の知識量や性格を見極め、相手によって教えを変えている」という教義は方便品でも如来寿量品でも共通している。「釈迦牟尼仏は、相手が無知なら四諦説や十二因縁説を教え、相手が十分に成長したら菩薩にならしめて仏陀の智慧を教える」と説くのが方便品であるし、「釈迦牟尼仏は、相手が怠け者なら『仏陀は入滅する』と教え、相手が勤勉なら『仏陀は入滅しない』と教える」と説くのが如来寿量品である。
「相手の知識量や性格を見極め、相手によって教える内容を変える」というのは、わかりやすくいうと、「講師1人が大人数に対して授業をする一斉学習塾のように振る舞うのではなく、講師1人が生徒1人にマンツーマンで教える個別対応塾のように振る舞う」ということである。
譬喩品第三の「三車火宅の譬え」や信解品第四の「長者窮子の譬え」では、「力量の低い信徒に対して強引に高度な教えを説くべきではない」という思想が見られる。強引で荒っぽい指導を否定し、生徒に合わせたきめ細やかな指導を肯定するのが法華経である。
「釈迦牟尼仏は、相手の知識量や性格を見極め、相手によって教える内容を変えている」という教義がさらに発展して、「菩薩は、相手の知識量や性格を見極め、相手によって姿を変えて布教をする」と説かれることもある。
五百弟子受記品第八や妙音菩薩品第二十四や観世音菩薩普門品第二十五(観音経)でそうした教えが説かれている。
「釈迦牟尼仏は相手によって教えを変えつつ、相手を仏陀の智慧に到達させるように尽力している」というのだから、そこから他宗派への寛容性が生まれることになる。
菩薩を多く抱える大乗仏教の教団が、声聞を多く抱える小乗仏教の教団を見たとき、「かつて無知な者に対して釈迦牟尼仏が四諦説を説いており、その教えが生き続けている」と考え、「あの宗派が堅持する教義も、釈迦牟尼仏が教えたのだ」と肯定的に見て、寛容の態度を示す。こういう考え方を生むのが法華経である。
「仏陀は入滅しない」という経典を信奉する教団が、「仏陀は入滅する」という経典を信奉する教団を見たとき、「かつて怠け者に対して釈迦牟尼仏が『仏陀は入滅する』と説いており、その教えが生き続けている」と考え、「あの宗派が堅持する経典も、釈迦牟尼仏が教えたのだ」と肯定的に見て、寛容の態度を示す。こういう考え方を生むのが法華経である。
法師品第十において「法華経を信奉する者を迫害することは、重大な悪行である」と語られ、譬喩品第三や常不軽菩薩品第二十や普賢菩薩勧発品第二十八において「法華経を信奉する者を迫害するものは、その悪行によって因果応報の報いを受ける」と語られている。
「信仰を否定することは悪行であり、信仰を否定する者は地獄に落ちる」という脅迫文を教典に挿入することは様々な宗教で見られることだが、法華経も例外ではない。
法華経の脅迫条項は2通りに解釈することができ、どちらの解釈も有力である。
1つは、「法華経の信奉者に対する迫害を抑制するために、迫害者への脅迫文として書かれた」と解釈するものである。
もう1つは、「法華経の布教者に対して『相手の知識の様子をしっかり把握して相手によって教えを変えるべきだ』と思わせるために、布教者に対する警告文として書かれた」というものである。
後者の解釈を持つ人は、「無知な人にいきなり法華経を布教すると、その無知な人が『法華経を信奉する人を迫害する者』になって自動的に地獄に落ちてしまう可能性がある。そうした事態は避けるべきだ」と考え、「相手の知識の様子をしっかり把握して、相手が無知ならいきなり法華経を教えず、声聞向けの四諦説や独覚向けの十二因縁説を教えておこう」と考える。つまり、法華経の方便品を忠実に再現するようになる。
「法華経の脅迫条項は、法華経の信奉者に対する迫害を抑制するために、迫害者への脅迫文として書かれた」と解釈する人の中には、サディスティックな人がいる。
そういう人は「気に入らない人がいたら、敢えてその人に法華経を布教してやろう。その人が『法華経を信奉する人を迫害する者』になれば、その人は自動的に地獄に落ちる」という考えを持つ傾向があり、「気に入らない人を地獄に叩き落とすための兵器」として法華経を使う傾向がある。
法華経の全体において「多くの人々を救済する菩薩になれ」と説かれているので、「気に入らない人を地獄に叩き落とすための兵器」として法華経を使うのは法華経の理念に反していると言える。
譬喩品第三や普賢菩薩勧発品第二十八における「法華経の信奉者を迫害する者は地獄に落ちる」という脅迫文は、かなり激烈な文章になっている。また、勧持品第十三や常不軽菩薩品第二十では迫害の様子が生々しく描写されている。これらの文章は、「迫害を実際に経験した者が書いたのではないか」と思わせるような迫真性のある文章である。
さらに、法師品第十や安楽行品第十四では「法華経はまだ多くの人に受け入れられていない」と書かれている。
法華経を読むと「法華経を信奉する教団は弱小の教団で、相当な迫害を受けてきたのではないか」との推測を持つことができる。渡辺照宏は「『法華経』がインドの正常社会においてではなく、特殊の環境で発生したかも知れないという可能性さえも出てくる」と述べている[10]。岩本裕は「(法師品第十における)この一節は勧持品第十三における『法華経』の信者に対する迫害の数々の記事とならんで、『法華経』を生み出した教団ないし宗派が弱小であって、さまざまな迫害にさらされていた事実を暴露するものである」と述べている[11]。
釈迦牟尼仏が王舎城に近い霊鷲山(りょうじゅせん)におり、そこに実に様々な生物が集まってきていて、そうした状況で釈迦牟尼仏がお話をする、というのが法華経の設定である。
集まってきているのは、出家僧や在家信者や国王といった人間だけではなく、神様(天子)や悪魔(鬼神)や竜王や聖鳥といった面々も集まっている。「インドの既存の宗教で神格化された存在も釈迦牟尼仏を尊んでいる」として、インドの既存の宗教の信者を取り込む狙いがあるものと思われる。
ただし、集会の中で発言をする者は出家僧がほとんどである。例外は化城喩品第七と陀羅尼品第二十六だけである。化城喩品第七では梵天が釈迦牟尼仏に教えを請う。陀羅尼品第二十六では毘沙門天と持国天と羅刹女10名が陀羅尼を贈る。
インド特有の列挙主義・分類主義[12]が経典の全般に見受けられ、似たような表現を集めて列挙することが非常に多い。
「1200人の声聞がいる」「8万人の求法者がいる」「竜王が8人いて、その8人の従者として幾千万億の竜がいる」「ガンジス川の砂の数ほどの大量の仏陀がいる」などと、数をやたらと多く誇張する。大量の数字を見ると人は何やら安心感を感じるものであるが、そうした効果を狙っているのであろう。
法華経は、釈迦牟尼仏の説く教えを聴く人々の数を非常に大きい数字にすることで、教義の公然性の高さを印象づける経典になっている。「ごく少数の限られた信者に対して教祖がこっそりと説法をする」という秘密主義の経典ではない。
釈迦牟尼仏の説く教えを聴く人々の数を非常に大きい数字にすることで、法華経を布教する僧侶に対して「釈迦牟尼仏のように多くの人に説くべきであり、決して秘密主義になってはならない」という暗示を与える効果がある。
「釈迦牟尼仏が念じると様々な花が舞い散り、地震が起こった」「釈迦牟尼仏の眉間から白い閃光が放たれて世界を照らした」「空中に塔が出現した」という奇蹟が描かれている。マンガもテレビも何もない時代に作られた経典なので、こうした奇蹟を経典の中に入れて人々に想像の楽しみを与えていたものと思われる。
法華経は、様々な箇所で現世利益を説く経典である。現世利益というのは「この経典を信奉すると、この世で利益を得られる」と説くことである。
随喜功徳品第十八、法師功徳品第十九、薬王菩薩本事品第二十三、観世音菩薩普門品第二十五、陀羅尼品第二十六、普賢菩薩勧発品第二十八で現世利益が説かれている。この中で最も有名なものは観世音菩薩普門品である。
観世音菩薩普門品ではかなり無茶なことを言っている。「高い山から突き落とされても観世音菩薩を心に念じれば虚空にとどまる」というものである。これはさすがに無理というものだろう。
現世利益を説くことは宗教家にとって勇気が必要である。現世利益の経典を作ってしまうと信者の間で「経典を信奉したのに、全然、御利益がやってこないじゃないか」という不満が溜まりやすく、信者が離れる原因になりやすい。このため慎重な宗教家はできる限り現世利益を説かないのであるが、法華経を編纂した者は思いきって現世利益を書いている。
逆に言うと、法華経に現世利益の記述が多いことから、法華経の編纂者が「法華経は偉大な経典であり、大人気の経典になるだろう」という確信を持っていたことと「過剰に現世利益を説いて信者の期待をすこしばかり裏切ったとしても、信者が離れることがないだろう」という楽観を得ていたことがうかがわれる。
法華経は「男女平等の経典」と表現できるし、「男尊女卑が残っている経典」とも表現できる。
法華経において提姿達多品第十二や勧持品第十三で「女性は成仏できる」とはっきり記述されており、法華経が男女平等を支持する経典であることがわかる。
しかし一方で、法華経の中のいくつかの箇所で「仏国土には女性がいない」という記述がある。
薬王菩薩本事品において日月浄明徳仏の仏国土が紹介されているが、その仏国土は女性がおらず平穏だったという[13]。五百弟子受記品第八で仏国土が紹介されているが「女性がいない」と書かれているし[14]、観世音菩薩普門品で阿弥陀仏の極楽浄土が紹介されているが「極楽浄土には女性が生まれない」と書かれている[15]。
また、薬王菩薩本事品において「薬王菩薩本事品を聴いて心にとどめた女性は、この世が女性として最後の生涯となるであろう」と記述されている[16]。これも女性差別をはっきり示す文章である。
ゴータマ・シッダールタは、原始仏教の教団を主宰するときに尼僧に対する戒律を男性僧に対する戒律よりも厳しくしているし、女性に対して厳しい言葉を並べているし、「尼僧が多いと教団の純潔が保たれずに乱れる」という言葉を残している[17]。
ゴータマ・シッダールタが入滅してから相当に時間が経ち、法華経が編纂され、提姿達多品第十二や勧持品第十三で「女性は成仏できる」とまで語られるようになった。しかし、まだゴータマ・シッダールタの遺風が法華経を編纂した仏教教団に残っていたことが薬王菩薩本事品などからうかがうことができる。
ちなみに、譬喩品第三や授記品第六で紹介される仏国土は「女性がいない」と書かれていないので、法華経において女性差別が一貫しているわけではない。
仏教徒の中には回向(えこう)の思想を支持する人がいる。「Aが善行をして功徳を得て、Aがその功徳をBに与えることで、Bを仏陀にさせることができる」という考え方である。この回向という概念は日本仏教に取り入れられ、先祖供養の口実の1つになった。日本仏教では「読経をして功徳を得て、その功徳を御先祖様に回向して、御先祖様を成仏させましょう」と説かれることが多い。
回向の思想を支持する仏教徒の一部は、法華経の化城喩品第七における「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道」「願わくはこの功徳をもって普(あまね)く一切に及ぼし、われ等と衆生と皆、共に仏道を成ぜん)」という文章[18]を回向文にする。
しかし、法華経では「善行をしておらず功徳を積み上げていない者が、誰かから功徳を回向してもらって、回向された功徳によって成仏する」と説かれることが無い。
法華経が回向を支持する経典なら1回くらいは「善行をしておらず功徳を積み上げていない者が、誰かから功徳を回向してもらって、回向された功徳によって成仏する」と説くはずだが、そういう説法が法華経には出てこないのである。
法華経では「極めて多くの人に智慧を広めるなどの善行をして功徳を積み上げた者が、仏陀になる」と説かれている。つまり「Aが善行をして功徳を得て、Aが仏陀になる」と説いている。
法華経では、「AがBに智慧を広めると、Aの功徳が積み上がりAは成仏できる。Bは智慧を得るので善行をしやすくなり、功徳を積みやすくなり、仏陀に近づく」という表現が繰り返され、智慧の拡散ということが推奨される。ここで注意すべきなのは、法華経において「Bは善行を積んでいないのにもかかわらずAから与えられた功徳で成仏する」と説かれることがなく「BはAから与えられた智慧を大事に守りその智慧を発揮するなどの善行をして成仏する」と説かれるばかりである、ということである。
回向の思想は、「Aの運命を決定するのはAの行動であるが、Bの行動がAの運命を決定することがあり得る」という考え方であり、「AとBが団体を組んで功徳を共有している」と考える思想であり、一言で言うと団体主義である。
一方で法華経は、「Aの運命を決定するのはAの行動であり、それ以外の要素は存在しない。Bの行動がAの運命を決定することがあり得ない」という考え方が濃厚であり、「AとBがそれぞれ独立した個人になっていて功徳を別個に管理している」と考える思想であり、一言で言うと個人主義である。
回向の思想からは「親が功徳を積んでその功徳を子に贈ることで、善行を積んでいない子どもを成仏させることができる」という思想が導かれる。この思想は「爵位の世襲」とか世襲貴族制度を連想させるものである。そのため、世襲貴族制度を維持している国では、回向の思想が支持されやすい。
一方、法華経からは「親は功徳を積んで成仏することができるが、それは子どもが成仏することに直結しない。子どもが成仏するかどうかは子どもの行いによる」という思想が導かれる。後者の思想は「爵位・栄典は一代限り」とか一代貴族制度・一代栄典制度を連想させるものである。そのため、一代貴族制度・一代栄典制度を維持している国では、法華経が支持されやすい。
ちなみに余談であるが、2022年現在の日本は、世襲貴族制度の国とも言えるし、一代栄典制度の国とも言える。2022年現在の日本は親の議員から子の議員へ無税で資産を移転させることが非常に簡単な国であり[19]、世襲議員が非常に多い国であり、実質的に世襲貴族制度の国となっている。しかし一方で日本国憲法第14条第3項において「栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」と定められていて一代栄典制度が維持されている。
以上のことを表にまとめると次のようになる。
回向の思想 | 法華経 | |
功徳の移転 | 認める | 認めない |
成仏の条件 | 全く善行を積んでいない者も、他者から与えられた功徳によって成仏できる | 全く善行を積んでいない者は成仏できない。善行を積めば成仏できる |
一言で言うとどうか | 団体主義。自分と他者が1つの団体を形成し、功徳を共有する | 個人主義。自分と他者はそれぞれ独立した個人であり、功徳を共有していない |
親と子の関係についての思想がどのようなものになるか | 親が功徳を積んでその功徳を子に贈ることで、善行を積んでいない子どもを成仏させることができる | 親は功徳を積んで成仏することができるが、それは子どもが成仏することに直結しない。子どもが成仏するかどうかは子どもの行いによる |
親和性の高い社会制度 | 世襲貴族制(爵位の世襲を認める) | 一代貴族制(爵位は一代限り)、一代栄典制(栄典は一代限り) |
法華経では「悪い行いをする者は報いを受ける」といった考え方をする。つまり「Aの行動でAが報いを受ける」と説いており、個人責任を徹底的に追及する世界である。
一方、キリスト教では「アダムとイヴが知恵の実を食べたので原罪が発生し、その原罪が子孫に受け継がれていて、子孫も原罪を理由として報いを受ける運命にある」という教義が説かれる。これは「Aの行動でBが報いを受ける」という考え方で、AとBが連帯責任を負うという考え方である。
刑法学の言い回しをすると、「法華経の考え方は個人責任を重んずるもので責任主義である」となり、「キリスト教の『アダムとイヴの原罪が子孫に移転する』は、連帯責任を重んずるもので結果主義である」となる。
責任主義を採用する国では、刑法の分野において連座・縁座が完全に廃止され、犯罪事件について故意も過失もない人が連座・縁座で罰せられることがなく、個人の自由が尊重される。一方で結果主義を採用する国では、刑法の分野において連座・縁座が導入され、犯罪事件について故意も過失もない人が連座・縁座で罰せられることがあり、個人の自由が抑圧される。
一般的には、「責任主義は近代的・現代的であり、結果主義は封建的・中世的である」とされる。
法華経では「菩薩が罪人の身代わりとして刑罰を受けて罪人を助ける」というような情景が説かれることがない。
一方、キリスト教では「イエス・キリストが原罪を負って死んだから、全人類は清められて原罪の件について罰を受ける運命から解放された」という教義を説き、「イエス・キリストが罪人の身代わりとして刑罰を受けて罪人を助けた」と説く。
法華経では「仏陀とは、広大な智慧を持つ人のことである」と定義される。また法華経において「すべての苦の原因は無明(無知)であるので、知恵を付ければ苦から解放される」という十二因縁説も「仏陀の方便である」としつつ肯定している。このため法華経は知恵を尊ぶ経典であり、知恵を付けようとする人を叱り飛ばすような描写が出てこない経典である。
一方、キリスト教やユダヤ教やイスラム教が聖典と扱う旧約聖書では、創世記で「アダムとイヴは知恵の実を食べて知恵を身につけたので原罪が発生し、絶対神に叱られた」と説いている。こちらは知恵を付けようとする人を叱り飛ばすような描写が出てくる経典である。
知恵をどのように扱うかという点において、法華経と旧約聖書は対照的である。
日蓮と法華経を尊崇する日蓮教団には「南無妙法蓮華経と唱えましょう、その行為をお題目といいます」という教義があるのだが、そうした教義は法華経に載っているわけではない。妙法蓮華経の中には「南無妙法蓮華経」という記述がない。
ちなみに、妙法蓮華経の方便品第二には「南無仏」という記述が存在し、如来神力品第二十一には「南無釈迦牟尼仏」という記述が存在し、観世音菩薩普門品第二十五(観音経)には「南無観世音菩薩」という記述が存在する。
法華経の漢訳経典の中で最も人気がある『妙法蓮華経』では、霊という漢字や霊魂・霊言・霊界といった熟語が全く出てこない。
法華経を編纂した古代インド人は、霊魂という概念を持っていなかったようである。法華経からは「生き物は死んだらすぐに転生する」という思想を感じ取ることができる。
一方で日本人は霊魂という概念を素直に信じる傾向がある。日本人は「生き物は、死んだらとりあえず霊魂になり、しばらく霊魂のままでそこらへんにいるのであって、すぐに転生するわけではない」という思想を持つ傾向が強い。
日本の仏教界では霊という概念を受け入れるかどうかで対応が分かれている(記事)。インドで作られた経典には霊魂の概念がないのだが日本人は霊魂の概念を好むので、日本の仏教僧は決断を迫られることになる。
法華経を重視する日本の仏教僧の中には、霊という漢字やそれを用いた熟語を使うことを避ける人がいる。
法華経においては仏陀が誰かに罰を与える情景が全く出てこない。
世の中には仏罰という言葉がある。この言葉に対しては「仏陀が与える罰」という定義と「仏陀が与える罰ではなく、悪行を行ったものが因果応報として受ける過酷な報い」という定義があるのだが、『岩波国語辞典 第七版 新版』や『明鏡国語辞典 初版』や『三省堂国語辞典 第七版』では前者の定義のみを掲載している。
仏罰という言葉を「仏陀が与える罰」という定義で使う場合、「法華経においては仏罰が全く出てこない」と表現することができる。
法華経において「法華経を信奉する者を迫害すると、その悪行により、因果応報という自然法則で報いを受ける」という文章が繰り返し出現する。
そして法華経において「法華経を信奉する者を迫害した者に対して、仏陀があわれんで、因果応報という自然法則をねじ曲げて、報いを受けないようにしてあげる」と言う情景が出てくることがない。
「仏陀というのは世界の創造主ではないので、自然の法則をねじ曲げることができない。悪行を行った者が報いを受けないように因果応報という自然法則をねじ曲げることは、仏陀でさえも行うことができない」という思想がある。
妙法蓮華経では章のことを品と呼び、ホンとかボンと読む。妙法蓮華経は全28品で構成されている。
一方、サッダルマ・プンダリーカと正法華経と添品妙法蓮華経はいずれも全27品であり、妙法蓮華経の見宝塔品第十一にあたる部分と妙法蓮華経の提姿達多品第十二にあたる部分を合体させて1つの品にしている。
妙法蓮華経の研究における第一人者は中国天台宗の智顗である。その智顗は、序品第一から安楽行品第十四まで前半14品を迹門(じゃくもん)として、従地涌出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八まで後半14品を本門とした。
迹門と本門を同じように扱うのを本迹一致論と呼び、迹門よりも本門を重視するのを本迹勝劣論という。日本の天台宗は本迹一致論を支持していて、日蓮教団は一致派と勝劣派に分かれている。
前半14品の迹門で最重視されることが多いのが方便品で、後半14品の本門で最重視されることが多いのが如来寿量品である。
日本の仏教学者の布施浩岳は、サンスクリット語原典のサッダルマ・プンダリーカを分析し、その内容に従って妙法蓮華経の各品を次のように分類した。
第1グループ | 10品 | 序品第一から授学無学人記品第九まで、随喜功徳品第十八 |
第2グループ | 10品 | 法師品第十から見宝塔品第十一まで、勧持品第十三から分別功徳品第十七まで、法師功徳品第十九から如来神力品第二十一まで |
第3グループ | 8品 | 提姿達多品第十二、嘱累品第二十二から普賢菩薩勧発品第二十八まで |
そして、第1グループの偈頌(韻を踏んだ部分)が紀元前1世紀に成立し、第1グループの長行(散文の部分)が紀元後1世紀に成立し、第2グループが紀元後100年前後に成立し、第3グループが紀元後150年に成立したと結論している[20]。
実際に、法師品第十から法華経の雰囲気が変わっており、見宝塔品第十一では法華経の設定自体が大きく変わっている。
釈迦牟尼仏が王舎城に近い霊鷲山(りょうじゅせん)におり、そこに実に様々な生物が集まってきている。
釈迦牟尼仏の眉間から白い光が放たれて、地獄の様子もはっきり見えたし、仏陀がいるような極楽の場所もはっきり見えた。このことは「人は地獄のような状況をしっかり目撃してそれに対処しなければならない」という教訓を人々に与えるものである。世の中には「地獄のような状況を目撃せず、そういうことを目撃しそうになったら目を伏せて、見なかったことにして、楽天的な気分を維持しよう」と教える人がいるが[21]、そういう生き方と正反対の生き方をするのが妙法蓮華経の釈迦牟尼仏である。
文殊菩薩が弥勒菩薩に向かって「自分ははるか昔に日月燈明仏が妙法蓮華経を語ったのを見たことがある。そのときの状況と全く同じである」と語るシーンがある。これにより妙法蓮華経が永久不滅の思想であることを強調している。
はるか昔に日月燈明仏が現れ、その次に同じ名前の日月燈明仏が現れ、その次に同じ名前の日月燈明仏が現れ、それが2万回繰り返されたという。これは、太陽や月が出現して地平線の彼方へ沈んでいく現象が全く同じように繰り返されることを連想させるものである。つまり、日月燈明仏は太陽や月の擬人化と解釈できる。
最後に出現した日月燈明仏が法華経を教えた。妙光菩薩は日月燈明仏に教えられた法華経を信奉し、教団の中心的存在として法華経を布教した。妙光菩薩の弟子の中には、名誉や利益ばかり求めて忘れっぽい求名菩薩がいた。妙光菩薩はのちに文殊菩薩に転生したが、日月燈明仏が法華経を教えたときのことをしっかり憶えていた。一方で求名菩薩はのちに弥勒菩薩に転生したが、日月燈明仏が法華経を教えたときのことを完全に忘れていた。
妙光菩薩と求名菩薩の話は、法華経を信奉する信者たちへの警告として挿入されたものと推測される。「どれだけ優れた教えでも、それを記憶し続ける人がいるし、忘れ去る人もいる」ということを示し、「求名菩薩(弥勒菩薩)のように法華経を忘れてしまってはいけない」という危機感を信者たちに与える目的があったのだろう。
方便品の記事を参照のこと。方便品は如来寿量品第十六とともに法華経の二大中心をなす教義的に極めて重要な品である[22]。
釈迦牟尼仏が声聞の舎利弗に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。そして舎利弗の懇請を受けた釈迦牟尼仏が「三車火宅の譬え」とも「火宅の譬え」とも「三車一車の譬え」ともいわれるたとえ話を始める。
法華経の中で出現する7つのたとえ話を法華七喩という。法華経教団がたとえ話を好んだのはいくつかの理由が考えられる。「『たとえ話をした方が布教しやすい』という実体験を得ていたから」という理由や、「思想・良心の自由を行使して自由に解釈し、表現の自由を行使してたとえ話を外部に表明することの重要性を示すため」という理由が考えられる。
保守的で閉鎖的な教団は、教義の変容を嫌う傾向があり、教義を勝手に解釈して自作のたとえ話を行う僧侶を弾圧する傾向にあり、思想・良心の自由や表現の自由を抑圧する傾向にある。
「三車火宅の譬え」からは、「法華経を信奉する教団が、強引な布教を好まず、相手に合わせて手段を変えて布教する方法を好んでいて、穏健な体質を持っている」ということをうかがうことができる。
この品の終盤において、「法華経を信奉する者を迫害するものは地獄に落ちる」と語られている。
須菩提や摩訶迦旃延や摩訶迦葉や摩訶目犍連といった声聞たちが同時に釈迦牟尼仏に話しかけ、「長者窮子の譬え」といわれるたとえ話をする。彼ら4人はいずれも声聞で、十大弟子の構成員であり、原始仏教の高僧というべき存在である。
「長者窮子の譬え」からも、「法華経を信奉する教団が、強引な布教を好まず、相手に合わせて手段を変えて布教する方法を好んでいて、穏健な体質を持っている」ということをうかがうことができる。
釈迦牟尼仏が「三草二木の譬え」とか「雲雨の譬え」といわれるたとえ話をする。
サンスクリット語原典の『オサディ(薬草)』や正法華経の『薬草品第五』や添品妙法蓮華経の『薬草喩品第五』には盲目の病人を薬草で治療する医者のたとえ話が書かれているが、妙法蓮華経にはそのたとえ話が記されていない。妙法蓮華経の7つのたとえ話をまとめた法華七喩の中にも「盲目の病人を薬草で治療する医者のたとえ話」が入っていない。
「三草二木の譬え」は農学の知識を用いて作られており、「盲目の病人を薬草で治療する医者のたとえ話」は医学の知識を用いて作られている。いずれのたとえ話も理系の知識を用いて作られている。
釈迦牟尼仏が須菩提や摩訶迦旃延や摩訶迦葉や摩訶目犍連といった4人の声聞たちに対して次々と「将来において仏陀になるであろう」と予言する。
釈迦牟尼仏が菩薩に対して「来世において仏陀になるであろう」と予言することは他の経典でも行われていて決して珍しいことではない。しかし釈迦牟尼仏が声聞に対して「来世において仏陀になるであろう」と予言することは法華経の他に類例を見ないものであり、法華経の特色と言える[23]。
はるか昔に大通智勝仏が現れた。大通智勝仏が統治する仏国土の東・南東・南・南西・西・北西・北・北東・上・下の10方向の場所で、数多くの梵天(ブラフマン、インドの神)の宮殿が光り輝いた。梵天たちは不思議に思ったが、大通智勝仏が出現したことを知り、大通智勝仏のところに行って宮殿を贈与し、大通智勝仏に対して教えを説くように懇請した。
その懇請を受けて大通智勝仏は四諦説と十二因縁説を説いた。そして大通智勝仏の16人の王子が出家して菩薩になったあと、大通智勝仏は法華経を説いた。
16人の王子は全て仏陀になった。そのうち1人が釈迦牟尼仏である。大通智勝仏が統治する仏国土からみて東・南東・南・南西・西・北西・北・北東の8方向にそれぞれ2名ずつ、合計で16名の仏陀が配置されている。西に阿弥陀仏がいて、東に阿閦仏がいて、北東に釈迦牟尼仏がいる。
大通智勝仏の16王子は16仏になったのであるが、そのうち有名なものは西の阿弥陀仏と、東の阿閦仏と、北東の釈迦牟尼仏であり、それ以外の仏陀はあまり有名ではない[24]。東と西の仏陀が有名になったことは「古代インド人は東と西という方角に特別なものを感じていた」という推定を導くものである。
地球上のどこでも、太陽や月は東から昇って西に沈む。このため古代インド人が東と西という方角に特別なものを感じていたとしても、まったく不思議ではない。
釈迦牟尼仏は大通智勝仏から受け継いだ法華経で幾千万億もの人々を教化したが、その人々は転生して、今現在、王舎城に近い霊鷲山にいる釈迦牟尼仏を取り囲んで、釈迦牟尼仏から法華経を聴いている。
化城喩品第七は、「前世で釈迦牟尼仏から法華経を教えられた人々が、今世においても釈迦牟尼仏から法華経を教えられるに至った」と説く内容である。人々に対して「転生した来世においても法華経の教えを受けることができる」と暗示して法華経への信仰心を強めさせる内容になっている。
この品の終盤では釈迦牟尼仏が「化城の譬え」といわれるたとえ話をする。このたとえ話では宝物が満ちあふれる土地へ旅行しようとする人々が描写される。
この品の序盤や中盤では「東・南東・南・南西・西・北西・北・北東・上・下の10方向」などと語って読者が方角の感覚を持つように誘導し、この品の終盤では旅行者たちの姿を語っている。これらを合わせると、「地理学の感覚を持つ人物や旅行を経験した人物が化城喩品第七を作った」という事情を推測することができる。
釈迦牟尼仏が富楼那弥多羅尼子に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。
富楼那弥多羅尼子は十大弟子の中の1人であり、声聞とされるが、十大弟子の中で最も弁舌が巧みであり、教えを説くことが上手かった。つまり、声聞とされるが実質的に菩薩というべき僧侶だった。このため「釈迦牟尼仏以外には、富楼那弥多羅尼子を超える存在が存在しない」とまで賞賛されている。須菩提や摩訶迦旃延や摩訶迦葉や摩訶目犍連に対する賞賛よりも、富楼那弥多羅尼子に対する賞賛の方がずっと重々しいものになっている。
釈迦牟尼仏は「富楼那弥多羅尼子は、過去に多くの仏陀に従って教えを説いてきた」と言っている。舎利弗や須菩提や摩訶迦旃延や摩訶迦葉や摩訶目犍連に対してはそのようなことを言っていなかったことに注目したい。
この品では「菩薩は、声聞や独覚に変化して、四諦説や十二因縁説という声聞や独覚の教えを広めることがある」という記述が見られる[25]。妙音菩薩品第二十四や観世音菩薩普門品第二十五でも同じような記述が出現するのだが、この五百弟子受記品第八の方が先に成立していたとされる[26]。「菩薩が変化して説法をする話の原型は五百弟子受記品第八である」と認識してよさそうである。もちろん、「富楼那弥多羅尼子は、実際は菩薩なのだが、あえて声聞に変化して教えを説いている」ということを暗示している。
富楼那弥多羅尼子への予言が終わったら、その次は1,200人の阿羅漢に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。序品第一で「釈迦牟尼仏は1,200人の阿羅漢に囲まれている」と記述されているので、その場にいる阿羅漢の全員が予言を受ける。ちなみに、ここでの阿羅漢とは声聞のことである。
この品の名前は「千二百弟子受記品第八」としても良さそうなものだが、しかし、「五百弟子受記品第八」という名になっている。
「1,200人のなかの500人は、その全員が将来において普明という名前の仏陀になる。その500人は、いっぺんに仏陀になるのではなく、1人1人が順番に仏陀になる」と予言されている。700人はそれぞれ別個の名前であるのに、500人の全員が普明という名前になるという。サンスクリット語原典においては「500人がサマンタ・プラバーサ(あまねく輝く)という名の仏陀になる」と予言されている。
この普明仏は、太陽の擬人化といえる。太陽はあまねく輝く光球であり、全く同じ姿で東の地平線から出現して西の地平線に沈んでいくことを毎日繰り返している。500人の普明仏もあまねく輝く存在であり、全く同じ名前で出現して入滅することを繰り返すことになる。
将来において普明仏になることを予言された500人の声聞は、「衣裏繋珠の譬え」「衣の裏の宝珠の譬え」といわれるたとえ話をする。
釈迦牟尼仏が阿難と羅睺羅に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。
阿難と羅睺羅はどちらも十大弟子の構成員であるが、阿難は釈迦牟尼仏とされるゴータマ・シッダールタの30歳ほど年下とされていて、羅睺羅はゴータマ・シッダールタの16歳ほど年下とされている。2人とも原始仏教の教団の中では若手の部類に入るので、「将来において仏陀になる」という予言を受けるのが遅れる事になった。
阿難はゴータマ・シッダールタの従兄弟であり、ゴータマ・シッダールタにぴったりと従って教えを聴いて教えを記憶する存在である。羅睺羅はゴータマ・シッダールタの実の息子である。この品でもそのように紹介されている。
釈迦牟尼仏は「自分と阿難は、過去世において空王仏のもとにいたことがあり、同時に『仏陀になろう』と思い立った」と語り、続いて「自分は勇気を出して努力したが、阿難は多く聴くことに専念していた。そのため自分が先に仏陀になり、阿難は仏陀になることが遅れた」と語っている。「法華経は『聴くだけ・学ぶだけ』という姿勢の僧侶を低く評価して『勇気を出して積極的に教えを広めよう』という姿勢の僧侶を高くする経典である」ということを再確認できる。
ただし、釈迦牟尼仏は「阿難は多く聴くことによって教えを記録し、菩薩に対して貢献した」と賞賛しており、「聴くだけ・学ぶだけ」という姿勢の僧侶を否定する態度を取らない。「法華経は、教えることを苦手とする小乗仏教に対して融和的な態度を取る経典である」ということを再確認できる。
さらに釈迦牟尼仏は、2,000人の声聞に対しても「将来において仏陀になるであろう」と予言する。2,000人の声聞の中には、有学の声聞と無学の声聞が混じっている。序品第一においても「2,000人の声聞がいて、有学の声聞と無学の声聞が混じっている」と書いてあるので、辻褄が合っている。
有学の声聞は、学ぶべき余地がある声聞で、阿羅漢の称号を得ておらず、まだ未熟な声聞である。無学の声聞は、学ぶべき余地がない声聞で、阿羅漢の称号を得ていて、完成の域に達した声聞である。有学の声聞という未熟な存在にも「将来において仏陀になるであろう」と予言することは、法華経の階級意識の薄さや平等意識の強さを表すものである。
ちなみに阿難は有学(未熟な声聞)の代表格で、羅睺羅は無学(完成された声聞)の代表格である。
2,000人の声聞が将来において仏陀になるが、2,000人全てが同時に宝相仏(宝玉の輝きの王者のような仏陀)になるという。先ほどの500人の声聞が1人ずつ順番に普明仏になると予言されたこととは対照的である。「2,000人全てが同時に宝相仏になる」という予言は、「宝物がこの世に豊富に満ちる」という情景を連想させるので、法華経の信者を満足させる効果があると思われる。
ただし、2,000人の声聞が将来において同時に宝相仏になるが、その寿命は極端に短く、たったの1劫だという。阿難や羅睺羅が「無量千万億の阿僧祇劫の寿命を持つ仏陀になる」と予言されたことと比べると、宝相仏の寿命の短さが印象的である。宝相仏の寿命の短さは、「宝物というものは、錆びたり欠けたりするもので、長続きせず、寿命が短い」という現実を暗示するものといえる。また、法華経の信奉者に「宝物を追い求めるようではいけない。阿難のように知識を追い求めるようになるべきだ」と示唆する意味もあるのだろう。
この法師品第十から法華経の雰囲気が変わる。授学無学人記品第九までは声聞を相手にする説法だったが、法師品第十からは菩薩を相手にする説法が増える。法師品第十における聴き手は薬王菩薩である。
この品では「法華経をほんのすこしありがたいと思っただけでも仏陀になることができる」などと説かれている。方便品第二における小善成仏をさらに拡大させたような教えになっている。
「法華経を信奉する者を迫害することは、重大な悪行である」と語られ、「法華経はまだ全ての人々に受け入れられていない」と語られ、「法華経をみだりに布教してはならない」と語られ、「迫害されても耐え忍べ」と語られている。法華経を信奉する教団が弱小で迫害に悩まされていたことを示しているとも受け取ることができるし、授学無学人記品第九までのように「無知なものには四諦説や十二因縁説を授けて声聞や独覚にさせ、智慧を得たものに法華経を教えるべきだ」という教えを繰り返したに過ぎないと受け取ることもできる。
「法華経を信奉する人は、転生先の世界を選べるほどの功徳を得ている。苦労のない天界に転生して生活することができるのに、あえて苦労の多い現世に転生して法華経を布教している」と述べられている。これはかなりの「身内誉め」と解釈できるが、「楽なところに安住せず、苦労を耐え忍んで積極果敢に布教せよ」と激励する意味も含まれているのだろう。企業の営業部において上司が「既存の顧客に対する御用聞きに安住せず、新規顧客を開拓せよ」と発破をかけることと一脈通じるところがある。
「菩薩には、法華経を信奉しない菩薩と、法華経を信奉する菩薩がいる」と説かれている。法華経を信奉しない菩薩とは、相手の知識の量を観察せずに全ての相手に対して画一的な教えをする菩薩のことと解釈できる。授学無学人記品第九までの法華経では「相手の知識量によって教えを変えるべきだ。無知なものには四諦説や十二因縁説を教えるべきだ」と繰り返しているからである。
ちなみに法華経を信奉しない菩薩のことを「新発意(しんぽっち)の菩薩」と呼んでいる。方便品の序盤にて「新発意の菩薩は仏陀の智慧を知ることができない」と書かれており、菩薩の中でも低く見られる存在である。
釈迦牟尼仏が、水を求めて土を掘る人のたとえ話をしている。これを「高原穿鑒の譬え」とか「高原鑒水の譬え」という。法華七喩のWikipedia記事は「高原穿鑒の譬え」を含めず「髻中明珠の譬え」を含んでいる。一方で坂本幸男は「法華七喩とは『高原穿鑒の譬え』を含んで、『髻中明珠の譬え』を含まない」と述べている[27]。
この品には「法華最第一」「諸経の王」と法華経を褒めたたえる記述があり、法華経以外の経典を重視する教団を挑発する態度になっている。授学無学人記品第九までは「法華経は素晴らしい」と誉めるだけであり、「他の経典に比べて法華経は素晴らしい」という誉め方をしておらず、他の経典を信奉する教団を挑発していなかった。
鎌倉時代の日本に出現した日蓮は、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」という四箇格言を説いて他の経典を信奉する教団を挑発したが、その行動は法師品第十の記述とよく似ている。
終盤において釈迦牟尼仏が「私は、法華経を広める菩薩の手助けをするだろう」と述べていて、観世音菩薩普門品第二十五(観音経)のようなことを述べている。授学無学人記品第九までの釈迦牟尼仏はそういうことを述べていなかった。
見宝塔品の記事を参照のこと。この品では法華経の設定が変更される。
この品の前半において、釈迦牟尼仏が提姿達多に対して「将来において仏陀になるであろう」と予言する。
提姿達多はゴータマ・シッダールタの従兄弟とされる人物で、ゴータマ・シッダールタの教団に対して綱紀粛正を要求したことで知られる。その綱紀粛正は「もっと貧しい暮らしをせよ。寄贈された建物に住まず、森林に住め。食事会に招待されても行かず、食物をもらうだけにせよ。寄贈された衣服を着ず、ボロの衣服を着ろ。魚や肉や牛乳やバターを食べるな」というものだった[28]。ゴータマ・シッダールタはこの要求を拒否したのだが、それに対して提姿達多は弟子を連れてゴータマ・シッダールタの教団から分離したという。
このため提姿達多を「釈迦牟尼仏に害を与えようとする反逆者」として描写する仏教経典が多いが、法華経では「釈迦牟尼仏に法華経を教える聖なる仙人」とか「釈迦牟尼仏が神通力を得る原因となった聖なる仙人」として提姿達多を描写していて、提姿達多を盛んに賞賛している。
提姿達多に対するこのような賛美は2通りの解釈をすることができる。1つは、「仏教教団に敵対する反逆者を褒めたたえることにより、『自らに敵対する宗教団体に対しても寛容で融和的であるべきだ』という気風を法華経の信奉者たちに広めるためにそうした賛美をした」という解釈である。
もう1つは、「法華経を編纂する教団が弱小勢力であり、正統的な仏教教団から異端と扱われる教団と仲良くせねばならないほどの窮地に追い込まれていて、提姿達多を信奉する宗教団体の支援を受けるために提姿達多を賛美した」という解釈である。
提姿達多を信奉する宗教団体はインドの社会のなかに存在しており、5世紀の中国の法顕や7世紀の中国の玄奘が「インドを旅行したときに提姿達多を信奉する宗教団体を見た」と記録している[29]。
法華経の提姿達多品第十二では、仙人が国王に「法華経を教えてやるから自分の奴隷になって肉体労働をせよ」と言い、国王がその要求に従って仙人の奴隷となってさまざまな肉体労働をしたという。そして、仙人が提姿達多に転生し、国王が釈迦牟尼仏に転生したという。こうした階級社会の否定は法華経らしいところである。
釈迦牟尼仏は「提姿達多が仏陀になってから入滅するときに、遺骨は分割されないだろう」と予言している。ちなみに、ゴータマ・シッダールタが入滅して火葬されたあと、その遺骨が8つに分割されて8ヶ所の仏舎利塔で供養されている。このことに関しては2種類の解釈が成り立つ。1つは「提姿達多の宗教団体は仏教とは違うことを暗示している」という解釈である。もう1つは、「多宝仏が入滅した後に遺骨が分割されなかった。その多宝仏は見宝塔品で釈迦牟尼仏の隣に並ぶほど釈迦牟尼仏との関係が良好である。ゆえに提姿達多も多宝仏と同じように釈迦牟尼仏と関係良好になるだろう」という解釈である。
多宝仏が主宰する仏国土からやってきた智積菩薩が「もといた仏国土に帰ろうと思います」と釈迦牟尼仏に言うが、釈迦牟尼仏が「文殊菩薩とお喋りしてから帰るがよい」と言う。
そのとき、海底の沙羯羅竜王の宮殿で布教していた文殊菩薩が、蓮華に乗っかって海底から昇ってきた。文殊菩薩が智積菩薩と挨拶して喋っていると、文殊菩薩が教えた菩薩や沙羯羅竜王の8歳の娘もついでに蓮華に乗っかって海底から昇ってきた。
文殊菩薩は、沙羯羅竜王の8歳の娘を「一瞬で悟りを開いた」と誉め称えた。智積菩薩は「8歳の幼童が一瞬で悟りを開けるわけがない」と信用しなかったし、声聞の舎利弗も「女性は五障があって梵天・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏陀になることができないはずだ」と言った。
それに対し、沙羯羅竜王の8歳の娘は、皆が見ている前で、女性器を消して男性器を生やして男性になって、一瞬のうちに南方におもむき、仏陀になった。
この沙羯羅竜王の8歳の娘の話は、女性差別と若年者差別を打ち砕く性質を持つ話である。
法華経全体から発せられる平等精神からしても、女性の成仏を認めるのが当然の帰結であった。しかし、法華経はまだ女性差別を完全撤廃する思想にいたっておらず、「女性がそのまま仏陀になる」とは記されず、「女性は女性器を消して男性器を生やして男性になってから成仏する」という変成男子の成仏だけが記されている。後世の注釈家は法華経の本文を無視して「女性がそのまま仏陀になる」と論ずるようになった[30]。
また、「若年者が短い時間であっという間に成長して、年配の自分を追い抜いていく」と恐怖して、その恐怖により過度に若年者を抑圧する者はしばしば見られる。体育会系の部活動では年上が年下を強烈に抑圧することが多い。特に大学の体育会系の部活動では「1年奴隷・2年平民・3年天皇・4年神様」と言われるような階級社会が形成されることがあるが、そういう階級社会を形成する原動力は、若年者が自分を追い抜いていくことへの警戒感と恐怖心である。法華経の提姿達多品第十二では8歳の竜女が大人の僧侶を一気に追い抜いて仏陀になる様子が描かれており、年齢による階級社会を否定する内容になっている。
品の冒頭で、薬王菩薩と大楽説菩薩がともに「我々は釈迦牟尼仏が入滅した後に、困難を耐え忍び、迫害を甘受しながら、法華経を布教します」と宣言する。この宣言は、見宝塔品第十一の末尾において釈迦牟尼仏が「自分が入滅した後に法華経を布教するのは大変な難事だ」と語っていたことに対応するものである。
このため「見宝塔品第十一と勧持品第十三が先に作られて、その後に提姿達多品第十二が作られて挿入された」という推測をすることができる。布施浩岳がそのように推測しているし[31]、岩本裕は「この記事は『法華経』にあとから付け加えられた部分に見られるのであるが、元来は独立した経典であったと考えられている」と述べている[32]。
薬王菩薩と大楽説菩薩の宣言が終わったら、摩訶波闍波提が「自分に対して『将来に仏陀になる』という予言をしてほしい」と懇請する。その懇請に応じて、釈迦牟尼仏が予言する。
摩訶波闍波提はゴータマ・シッダールタの母親の妹で、ゴータマ・シッダールタの叔母であり、幼少期のゴータマ・シッダールタを養育した女性である。ゴータマ・シッダールタが出家した後に、摩訶波闍波提が「自分も出家して仏教教団に参加したい」と懇請したが、ゴータマ・シッダールタは拒否した。しかし阿難のはからいもあり、摩訶波闍波提は史上初めての仏教の尼僧になった[33]。阿難は摩訶波闍波提が仏教教団に入ることを手助けしたので、先輩の僧侶に「罪深いことをした」と責められ、「自分はそう思わないが、先輩がそういうのなら、しかたがない」といった[34]。このような歴史を反映し、摩訶波闍波提が懇請した後に釈迦牟尼仏が「将来に仏陀になる」と予言をするという形式になっている。
摩訶波闍波提は「一切衆生喜見仏(一切の衆生の眼に快い)という名前の仏陀になる」と予言された。「眼に快い」というのは、要するに、綺麗とか華麗といった意味合いである。
そのあとの釈迦牟尼仏は、次々と尼僧に対して「将来に仏陀になる」と予言をする。ゴータマ・シッダールタが出家していなかったころのゴータマ・シッダールタの妻で、ゴータマ・シッダールタが出家した後に仏教教団に入った耶輸陀羅に対しても予言をする。その他、合計で1万人の尼僧に対して予言をする。
この品の終盤では、菩薩たちが「困難を耐え忍び、迫害を甘受しながら、法華経を布教します」と宣言する。このときの迫害の描写は生々しいものであり、法華経を編纂した教団が弱小勢力だったことをうかがわせるものになっている。
この品では、菩薩に対してさまざまな規範を与えている。見宝塔品第十一や勧持品第十三でさんざん「法華経を布教するのは難事である」と言ったので、菩薩の中の新参者が恐れてしまう可能性が出てきた。新参者の菩薩に対して「こうしたことをしておけばうまく布教できる」と励ますため、文殊菩薩に質問された釈迦牟尼仏が菩薩に対してさまざまな規範を与えている。
①空の思想を持ちつつ行動と交際の範囲を厳守し、②悪口を言わず、③嫉妬せず依怙贔屓せず、④人々を救済しようとする。これら4つの安楽行を実践すれば上手くいくと説いている。
①において交際の範囲が規定されている。「遊芸人や格闘技の選手と交際するな」などと書かれており、法華経が編纂された古代インドの生活を想像することができる。「狩猟業者や屠殺業者と交際するな」と書かれており、この当時の仏教教団が肉食を忌避していたことをうかがわせる。
ちなみに、「遊芸人や格闘技の選手や狩猟業者や屠殺業者と交際したら、地獄に落ちる」と言っているわけではなく、「遊芸人や格闘技の選手や狩猟業者や屠殺業者と交際したら、うまく布教できなくなる」と言っているだけで、禁止の度合いがかなり緩やかであることに注目すべきである。
原始仏教の教団においても戒(シーラ)と律(ヴィナヤ)があった。戒は個人的で自律的な規範で、「殺生(魚や鳥獣の肉を食べること)・偸盗・邪淫・妄語・飲酒をするな、不適切な時間の飲食をするな、踊りや見せ物の見物をするな、化粧品や装飾品の使用をするな」などと戒によって定められたが、それを破ったとしても教団から処罰されるわけではなかった。一方で律は団体的で他律的な規範で、「殺人をするな」などと律によって定められ、それを破ると教団から処罰された[35]。
宗教団体が肉食を忌避することは、「魚や鳥獣を殺害するのは可哀相である」という動物愛護の精神と、「冷蔵庫がないので、魚や鳥獣の肉を食べることで食中毒を起こしやすく、危ない」という実利的な危機管理の精神が混じり合ったものと解釈できる。逆に言うと、冷蔵庫が普及した現代において、肉食による食中毒の危険が激減しているから、肉食忌避の規範が緩和されても不思議ではない。
この品の終盤では釈迦牟尼仏が「髻中明珠の譬え」といわれるたとえ話をする。法師品第十と同じように「法華経はまだ全ての人々に受け入れられていない」と釈迦牟尼仏が述べている。
見宝塔品第十一で多宝仏の分身や釈迦牟尼仏の分身とともに他の仏国土から娑婆世界にやってきた菩薩たちが「我々も娑婆世界で布教しましょう」と言った。それに対して釈迦牟尼仏は「それをする必要はない。娑婆世界には極めて多くの菩薩がいるからである」と述べた。
釈迦牟尼仏が語るやいなや、娑婆世界の地面が割れ、そこから大量の菩薩が飛びだしてきた。大量の菩薩は、娑婆世界の大地の下にある中空の世界に住んでいたのである。大量の菩薩たちは、釈迦牟尼仏と挨拶を交わし、親しげに会話をした。
それを見た弥勒菩薩は「自分は娑婆世界を歩き回ったが、あの大量の菩薩を1人として知らない」と不思議に思い、釈迦牟尼仏に「あの大量の菩薩は誰が教化したのですか」と尋ねた。
釈迦牟尼仏は「自分があの大量の菩薩を教化した」と答えた。それに対して弥勒菩薩は「釈迦牟尼仏が35歳で成仏してから40余年しか経っていない。その短い期間で、どうしてあれほど大量の菩薩を教化できたのだろうか」とか「25歳の青年が100歳の老人を『あの老人は私の息子である』というようなもので、信じがたい」と思い、釈迦牟尼仏に対して詳しく説明するように懇請した。
この品では地面の割れ目から大量の菩薩が吹き出てくる様子が語られる。その描写は、火山において地面から溶岩が出る様子や、間欠泉において地面から熱水が出る様子を連想させるものである(画像1、画像2)。ちなみにインドにはさほど多くの火山があるわけではなく(資料)、温泉ならいくつかある。
この品で地面から涌出した菩薩のことを地涌(じゆ)の菩薩という。地涌の菩薩の中で指導者のような存在なのが上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩の4人である。
如来寿量品の記事を参照のこと。如来寿量品は方便品第二とともに法華経の二大中心をなす教義的に極めて重要な品である[36]。
如来寿量品第十六を聴いて理解することの功徳を讃えている。聴き手は弥勒菩薩である。
菩薩の修行方法として六波羅蜜がある。六波羅蜜のなかの布施・精進・禅定・忍耐・持戒の5つを極めて長い時間において実践したときに得られる功徳は巨大である。しかし、法華経の如来寿量品第十六を聴いて理解したときに得られる功徳は、それよりもさらに巨大であるという。
また、「法華経の如来寿量品第十六を聴いて理解した者は、寺院を建立するなどの行為をする必要は無い」と述べていて、「如来寿量品第十六に関する智慧」を布施よりも重視する姿勢を鮮明にしている。
世の中には信者に対して「宗教施設を建築するのでお金を布施すべし」とか「布施をしないと宗教施設を建築できず功徳を積み重ねられない」と言ってくる宗教団体がある。そういう宗教団体とは一線を画する教義が、分別功徳品第十七で述べられている。
法華経を信奉することの功徳を讃えている。聴き手は弥勒菩薩である。
法華経が人から人へ布教されて50番目の人に到達したとして、その50番目の人が得られる功徳をAとする。一方で、広大な世界においてさまざまな生物に対し、80年間にわたって布施を行って歓喜させ、そのあとになって阿羅漢という声聞の高僧になるまで四諦説を教えた人がいて、その人が得られる功徳をBとする。AはBよりもはるかに巨大であるという。分別功徳品第十七と同じように、「法華経に関する智慧」を布施よりも重視する姿勢を鮮明にしている。
この品の後半において、「法華経を布教すると来世において利益を受ける。利口になって偏差値が上がり、顔面偏差値が上がってイケメンになり、病気にならず、体から悪臭を放たず、天界に生まれ変わって神様になる」と説かれる。「善行をすると来世において果報を得られる」という因果応報の考え方で、仏教らしい考え方である。しかし、典型的なルッキズムというべき文章であり、やや俗っぽいところを感じさせる文章である。
法華経を信奉することの功徳を讃えている。
「法華経を信奉すると、眼や耳や鼻や舌や身体や心といった六根が清浄になり、健康になり、卓越した能力を得られるようになる」と述べていて、現世利益の内容となっている。「健康になりたい」という願いは人類共通の願いなので、そうした願望が経典に反映されたものである。
この品の聴き手は常精進菩薩である。精進は努力という意味だが、努力をするには健康を維持することが大前提なので、精進というと健康を連想する人も多い。精進料理というと「健康をもたらす料理」と一般的に受け止められている。「法華経を信奉すると健康になる」という内容の品に、健康を強く連想させる精進という言葉を名前としている菩薩が登場しているので、「名は体を表す」と言うことになっている。
法華経を信奉すると眼や耳が健康になり、感覚が優れるようになり、地獄から天上界まで様々な世界の様子を見通したり聞き分けたりできるようになる。「地獄の様子を見たり聞いたりできるようになる」というのが序品第一と共通するところである。世の中には「地獄のような状況を目撃せず、そういうことを目撃しそうになったら目を伏せて、見なかったことにして、楽天的な気分を維持しよう」と説く者がいるが、そうしたものと正反対のことを釈迦牟尼仏が説いている。
常不軽菩薩品の記事を参照のこと。
従地涌出品第十五で地面の割れ目から飛びだしてきた地涌の菩薩たちが「釈迦牟尼仏が入滅した後に、我々が法華経を布教します」と宣言した。この地涌の菩薩たちのなかで指導者のような存在が上行菩薩であった。
序品第一から釈迦牟尼仏を取り囲んでいる衆生の中で指導者のような存在が文殊菩薩だったが、その文殊菩薩も「釈迦牟尼仏が入滅した後に、我々が法華経を布教します」と宣言した。
釈迦牟尼仏は上行菩薩に「そのようにするがよい」と言った。そして釈迦牟尼仏と多宝仏は、舌をみょーんと長く突き出して、梵天がいる天上の世界にまで舌を伸ばした。そして舌から光を放ち、世界を照らした。さらには光から菩薩が大量に発生した。発生した大量の菩薩は様々な世界に飛んでいき、空中浮遊しつつ教えを広めた。
見宝塔品で多宝仏の分身の仏陀や釈迦牟尼仏の分身の仏陀が大量に釈迦牟尼仏のもとへ集まってきていたが、それらの仏陀たちも舌をみょーんと長く突き出して、舌から光を放った。
しばらくの時間が経った後、釈迦牟尼仏や多宝仏やその他の大量の仏陀たちは、舌を引っ込めて、そのあと「エヘン」と咳払いして、そして指を弾いて音を立てた。すると様々な世界で地震が起き、その世界に住んでいる生物たちは釈迦牟尼仏の仏国土である娑婆世界を見ることができたし、釈迦牟尼仏や多宝仏の様子も見ることができた。地震が起きた世界の生物たちは、釈迦牟尼仏や多宝仏に向かって「礼拝します」と言いつつ花や宝玉といったものを投げて届けて、釈迦牟尼仏や多宝仏を供養した。
この品では仏陀の神通力が表現されているのだが、実に面白い表現になっている。舌をみょーんと長く突き出すことが古代インド人の好みだったらしい。
舌をみょーんと長く突き出すことを漢訳すると広長舌という。広長舌という表現は日本にも輸入され、「巧みな弁舌」といった意味で使われている。
妙法蓮華経は嘱累品を第22番目に配置し、普賢菩薩勧発品を第28番目に配置している。しかし、サンスクリット語原典の『サッダルマ・プンダリーカ』や、竺法護の『正法華経』や、闍那崛多や達摩笈多の『添品妙法蓮華経』は、いずれも嘱累品に相当する部分を最後に配置している。
嘱累品の末尾は、ある経典の末尾の一般的形式と同じである。従って嘱累品が法華経の末尾になると考えるのが妥当である[37]。
妙法蓮華経が嘱累品を最後に置いたのは、翻訳者の鳩摩羅什の間違いか、もしくは鳩摩羅什が入手したサンスクリット語原典が間違っていたのか、そのどちらかと思われる。
嘱累(ぞくるい)とは、「言いつける」「依頼する」という意味の付嘱と同義である[38]。その名の通りに、釈迦牟尼仏が菩薩たちに向かって「法華経を布教するように」と言いつける。
そして釈迦牟尼仏は、見宝塔品のときに集まってきた大量の仏陀たちに対して「この場を立ち去って、もといた仏国土で安楽に暮らせ」と言った。多宝仏に対しても「宝塔を元の場所に再建するので、そこで安楽に暮らせ」と言った。
薬王菩薩本事品の記事を参照のこと。
妙音菩薩品の記事を参照のこと。
観世音菩薩普門品の記事を参照のこと。
この品では陀羅尼が出てくる。陀羅尼とはサンスクリット語のダーラニーを音訳したものである。ダーラニーにはいくつかの意味があるが、そのうちの1つは「呪文」という意味である。
この品の陀羅尼は、すべて神名あるいはその異称の呼びかけの語形で記されている[39]。つまり、この品の陀羅尼はインドの神様を呼びかける内容の言葉を繰り返すものである。
薬王菩薩と勇施菩薩と毘沙門天と持国天(サンスクリット語原典だと増長天)と羅刹女10名(サンスクリット語原典だと11名)が、法華経を布教する者に対して陀羅尼を与える。
「陀羅尼を唱えると、悪鬼や病魔が法華経を布教する者に対して害悪を与えることができなくなる」と語られている。なかでも羅刹女10名は、「陀羅尼を唱えると、法華経を布教する者に対して害悪を与える悪鬼は、頭がパーンとなって頭破七分になる」と語っている。
羅刹女10名は「法華経を信奉する者を悩ませる悪鬼は我々が退治します」などと張り切ったことを言っている。羅刹女とは「羅刹の女神」という意味で、インドの女神であり、人を喰らう美形の鬼女とされる。仏教経典には経典を守護する守護神として登場する。
この品における羅刹女10名は「十羅刹女」とされ、日本において様々な画家たちが想像力を発揮して絵画にしてきた(画像)。
法華経の陀羅尼品には、カルト宗教団体や霊感商法とは一線を画する思想が見受けられる。
カルト宗教団体の一部は、「①人を悩ませる悪魔がそこら中に存在する。②悪魔を払いのけることができるのは教祖だけである。③ゆえに教祖を絶対的に崇拝しよう」という論法を好む。また、霊感商法をする者は、「①人を悩ませる悪魔があなたの近くに存在する。②悪魔を払いのけることができるのはこの商品だけである。③ゆえにこの商品を買いましょう」という論法を好む。言い換えると、カルト宗教団体の一部や霊感商法をする者は「悪魔を払いのけることは難しいことである」という思想を持っており、その思想を相手に吹き込むことを得意としている。
一方で法華経の陀羅尼品は、「①人を悩ませる悪魔がそこら中に存在する。②悪魔を払いのけることができるのは仏陀や菩薩だけではない。羅刹女のような存在も悪魔を払いのけることができる」という論法になっている。羅刹女というのは法華経において説法をするような存在ではなく、かなりの下っ端という感じの存在なので、法華経は「悪魔を払いのけることはそんなに難しいことではない」という思想を持つ経典と言える。
妙荘厳王本事品の記事を参照のこと。
釈迦牟尼仏が統治する娑婆世界の東方に、宝威徳上王仏の仏国土がある。その仏国土から普賢菩薩が大勢の菩薩を引き連れてやってきて、釈迦牟尼仏を礼拝した。
普賢菩薩は釈迦牟尼仏に対して「私は、釈迦牟尼仏が入滅したあとの時代において、法華経を信奉する者を守護します」と語った。法華経を信奉する者の周りに悪魔が出現しないようにしつつ、六本の牙を持つ白い象に乗って出現して、さらには求法者の大群を引き連れて、法華経を説く者を警護するという。法華経を説く者が言葉を忘れたら、普賢菩薩がその言葉を教えてあげるという。さらには、法華経を説く者が三昧(神通力)を発揮するようにするし、法華経を説く者に陀羅尼(呪文)を与えるという。
釈迦牟尼仏は「普賢菩薩の助けを得るなどして法華経を信奉する者は、踊り子・格闘家・食肉業者などに近づこうと思わなくなるであろう。うぬぼれの心を持たなくなり、無欲になって物資を欲しがったりしなくなるだろう」と述べ、「法華経を信奉する者に対して『法華経を信奉するのは無駄である』と言うものは悲惨な運命をたどるだろう」と述べた。
妙音菩薩品と同じく、東方にある仏国土から高名な菩薩がやってくるという話である。太陽や月や星が東の地平線から昇って空に浮かんでいくことから着想を得ているものと思われる。
普賢菩薩は法華経を信奉する者を警護する菩薩として人気が高く、古来より様々な仏画に描かれている。六本の牙を持つ白い象に颯爽と騎乗する姿を描かれることが多い(画像)。
安楽行品第十四では「法華経を布教する者は交際の範囲を限定すべきである」という戒めが授けられた。一方で、この普賢菩薩勧発品第二十八では「法華経を布教していると自然に戒めを自分に課するようになり、交際の範囲を限定するようになる」と説かれている。
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最終更新:2025/01/16(木) 01:00
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