蜂屋貞次(はちや さだつぐ)(1539-1564)とは、戦国時代の武将。徳川家康の家臣。徳川十六神将の一人である。
松平元康(徳川家康)に仕え、今川義元が上洛のために尾張に攻め込んだ時には、主君と共に手柄を立てた。
桶狭間の戦い後に家康が今川家から独立すると、今川軍との戦いで功を挙げる。
しかし、三河一向一揆が起こると、後に家康から「友」と呼ばれるほど重用された本多正信、「槍半蔵」の異名を持つ渡辺守綱、後の三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって散る夏目吉信らと同様に、家康に背いて一揆側に付いた。
家康方の武将と戦って勝利するも、家康自らが攻めてくると敗北した。一揆が鎮圧されると、自分が打ち負かした武将の仲介を受けて家康に降伏し、家康の家臣に戻った。
その後は、三河吉田城攻めに参加して、徳川四天王の一人で「家康に過ぎたるもの」と賞賛された本多忠勝と先陣を争ったが、 運の悪い事に流れ弾が当たって死亡した。
貞次の母は息子が戦死したという報告を聞いた時、家臣の前では気丈に振る舞ったが、家臣たちから見えないところまで下がると号泣したという
家康軍に敗れた一揆軍が退却していると「おーい!蜂屋ー!勝負しようぜー!」と貞次を呼ぶ声がした。
この俺に挑むとはいい度胸だ!と貞次が声のした方を振り向くと、なんとそこには主君・家康の姿があった。
信仰する宗教から一揆に参加した貞次だったが、殿と戦うなんてまっぴらごめんとさっきまでの勢いはどこへやら、すたこらさっさと逃げ出してしまった。
そんな貞次に松平金助という武士が追いついてきて「おーい!蜂屋ー!勝負しようぜー!」と言ってきた。
これを聞いた貞次は、殿じゃないならいいやと金助を討ち取る。
そうしたらそこにまたも家康がやってきて「おーい!蜂屋ー!勝負しようぜー!」と言ってきたので、 貞次は勝利の余韻に浸る間もなく一目散に逃げることになってしまった。
その後、味方の陣に戻った家康は上機嫌かつ愉快そうであったという。
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最終更新:2025/12/06(土) 01:00
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