今川義元(いまがわ よしもと)とは、日本の戦国大名である。戦国時代屈指の名家・今川氏(駿河今川家)の第9代当主。
北の武田氏と同盟を結び、その後勢力争いをしていた東の北条氏とも同盟を結び後顧の憂いを絶つと、三河をその領土に加え、尾張に侵攻の途中、桶狭間の戦いで織田信長に討たれ死ぬ。武田氏、北条氏と姻戚関係にあり、正室は武田信玄の姉。子は今川氏真、家臣に太原雪斎、朝比奈泰能、庵原之政。
ニコニコ動画では戦国時代を扱ったゲームでの登場が多い。このようなゲームではしばしばネタキャラ化される。公家言葉(おじゃる)、蹴鞠、公家の化粧など。
今から500年ほど前、駿河遠江その他諸々を支配する大大名今川義元は、今こそ天下に覇を唱えるため二万五千とも言われる大軍を率いて上洛を開始した。
しかし自らの兵力を過信した義元は、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲を受け戦死。これを機に信長は天下人への第一歩を踏み出し、今川家は没落の一途を辿る事になる・・・
また貴族の血筋故か公家文化に溺れ、乱世の世を生き抜く器量に欠けたと評されることもある。
しかしちょっと待って欲しい。義元は三国を纏め上げているのである。
例えば某「蝮」の斉藤道三などは生涯をかけても美濃一国しか手に入れられなかった(しかもそれも微妙)し、某信玄や某北条氏と言えども義元存命中は今川家に圧迫され続けていた。
一方、優れた家臣団にも恵まれた義元は、辣腕を発揮して父の広げた領土を更に拡大し、父の作った今川仮名目録を改定し、見事に治めたのである。
また義元は末弟として出家させられたり、家督争いを生き抜いたりした苦労人であり、ただのボンボンではない。貴族文化に対する理解も教養の高さを示しているだけであり、惰弱さと繋げるのは脳筋すぎる発想である。むしろ惰弱どころか、父ですら避けた足利将軍家との縁切りを行い、今川家を戦国大名に転身させている。
何より当時、「天下で一番上洛に近い男」と呼ばれて居たのである。その実力は想像に難くない。
実のところ前述の義元無能説は江戸時代から続く講談等によって作られたイメージで、それらの大元となった甲陽軍鑑も現代では祖先顕彰物であり、歴史資料としての価値は武功夜話同様の無価値という扱いとなっている。
ちなみに信頼の置ける義元と同時代の武将達の発言等の歴史資料によれば、まさに名将の代表格として扱われている。
それが、負けた。
今日においても客観的に考えれば、信じられない話である。数万(2万~5万、信長公記では4万5千)もの大軍を有しながら、ぽっと出の、それこそ「うつけ」と呼ばれた相手に負けたのだ。しかも、この時の織田軍はわずか数千であった。この桶狭間の戦いでの織田の勝利に関しては、当の信長自身が「あれはマグレ」と言い切っている程である。
当時の人々の動揺は計り知れない。現代に当てはめるとアメリカ軍が進攻先の北ベトナムにボコボコにされ、逆に戦線の泥沼化の結果反戦運動が国内に蔓延し、全軍撤退して保護国の南ベトナムが滅亡ルートへと確定し、その上並行して目と鼻の先のキューバで革命が起こって親米政権が一夜で反米政権となったあげくにミサイル発射基地を設置して、ホワイトハウスが敵の核ミサイルの射程距離内に入る(キューバ危機)といったレベルの大事件である。このレベルの大国が負けるとどうなるか?
まず、その加護を受けていた存在は非常に困る。例えば今川家に組み込まれていた地方豪族とか、弱小大名とか。いまいちピンと来ない君は、一週間後君の住んでいる地域がモヒカンが闊歩するヒャッハーな世紀末状態になる事が確定したと考えてみよう。法律など無い世界である。警察も居ない。武器を持った屈強な兄ちゃん達数人に囲まれて、無事で居られるだろうか? これと同じ事が、彼らの身に降りかかったのだ。
義元亡き後、傘下の国人や小大名達は周辺諸国からの諜略もあり続々と今川家の下を離れていく。義元はそれだけ頼りにされていたのであり、義元が不在かつ武田信玄、上杉謙信、北条氏康といった強豪に周囲を囲まれている今川に、天下を取れるとは微塵も思えなかった。
(ちなみに、今川家はその後500石だけを残して、江戸時代になるまで存続した)
今川家の祖先はかの足利尊氏(室町幕府初代将軍)の高祖父・足利泰氏の兄である足利長氏にまで遡る事ができる。足利長氏は足利家当主の子ながら側室の子であった為に跡が継げず、代わりに「吉良家」という分家を開いた(吉良長氏)。そしてその長氏の次男が、「分家の分家」を開いて今川家を創設したのである。
つまるところ、尊氏公のひいひいおじいちゃん(泰氏)の兄(長氏)が今川家の祖であり、ひいひいひいおじいちゃん(義氏)の子孫として足利本家の分家筋にもあたるわけである。後の徳川御三家がそうであるように、吉良家と今川家は足利本家のバックアップとして本家を支え、「足利絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と詠われた。
従って足利家が鎌倉幕府滅亡後の混乱で立身を果たすと、今川家も一門としてその覇業に大いに力を貸している。足利家による幕府成立後も今川範氏・今川貞世の兄弟が活躍するなど幕府の重臣であり続けた。第4代当主・今川範政の代には幕府副将軍を務め、その息子である今川範忠の代には足利本家より「天下一名字」の名誉を受けている。
応仁の乱を契機に室町幕府の支配が崩れ、今川家は戦国乱世の時代を迎える。血統も上下関係も関係ない、下克上と実力主義が全てを支配する無政府状態の中で、数多くの名家が廃れ滅んでいく。今川家も例外でなく、今川家は当主・義忠を乱世で失う窮地に立たされてしまう。
しかし次代の当主となった氏親は熾烈な家督争いを制し、当主としても叔父で幕府官僚でもある北条早雲と手を結びながら、傾きかけた今川家を見事に建て直した。氏親は晩年脳卒中により寝たきりとなったが、妻の寿桂尼が長男の氏輝の成人までコレを支えた。しかしその氏輝も若くして病に倒れ、その死後再び家督争いが起きてしまうが、今度もまた前述の通り寿桂尼の末息子である義元がこれを制する。
早雲の孫である北条氏康とは武田との婚姻などで対立、第一次河東一乱では氏康に敗れ河東(黄瀬川~富士川の間)を奪われるも、山内上杉・扇谷上杉・古河公方ら北条家の周辺勢力が北条家に敵対したのを機に第二次河東一乱で河東を奪還している。
その後は武田家・北条家と甲相駿同盟を結び、更に領国を拡大して「海道一の弓取り」と称される大大名となるのである。
まさに何度踏まれても立ち上がり、更に国力を増すという雑草の如きタフな貴族であるのが戦国の今川家であった。しかし「二度あることは三度ある」という訳にはならず、父の急死から始まる周辺諸国からの政略合戦という事態に第10代当主・今川氏真は対処できなかった。というか、義忠の死亡時には北条早雲、氏親及び氏輝死亡時には太原雪斎という全幅の信頼を置ける片腕が居たが氏真にはそうした存在が無かったこともあり、寿桂尼の死後、早雲のひ孫にあたる氏政の支援も空しく、今川家で預りの身であった外祖父武田信虎や、外部からそれと通じていた叔父武田信玄の謀略によって家臣団を切り崩され大名としての今川家は滅亡する。(ちなみに、信長のことは戦国の習いと完全に割り切り、家康の頼みもあって朝廷外交の手伝いすらした氏真ではあるが、今川の衰亡期に裏切りを働いた旧家臣については生涯許していない。)
だが氏真は多芸さから一族が滅んだ後も生き延び、その後も続く乱世で次々と英雄が現れては消える中を生き抜いた。江戸300年の太平ではその素養が生かされ、公家と武家の中間とも言うべき高家に列せられた。どうあれ、今川の血(ひいては足利の血)を絶やさないという点では氏真も責務を果たしたのである。今川家の真の終焉は幕末の世の事となる。
盛者必衰の理通り、かつての臣下である徳川の時代も終わろうとしていた。今川家最後の当主・今川範叙は徳川慶喜から若年寄の重職を与えられ、東征軍に対する交渉を行っている。明治維新後、旧・武士階級に対する処遇は一定以上の石高を持つものを華族として寵愛する一方で、それ以下のものは士族として段階的に特権を奪って行くという内容だった。
一見して公家側に近いように思える高家だが制度上は武家であり、おまけに様々な特権と引き換えに石高自体は旗本程度であった。…つまり幕府自体の特権は奪われ、華族にもなれず、他の士族とも馴染めないという三重苦であった。晩年の範叙は親類の家に身を寄せて過ごしたと伝えられる。
子息である淑人にも先立たれていたため、範叙の死によって500年以上続いた今川家はひっそりと、明治時代の影で断絶したのである。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | 86 | 政治 | 89 | 魅力 | 93 | 野望 | 92 | ||||||||
武将風雲録 | 戦闘 | 79 | 政治 | 87 | 魅力 | 92 | 野望 | 95 | 教養 | 85 | ||||||
覇王伝 | 采配 | 83 | 戦闘 | 69 | 智謀 | 55 | 政治 | 87 | 野望 | 96 | ||||||
天翔記 | 戦才 | 146(C) | 智才 | 130(B) | 政才 | 170(A) | 魅力 | 94 | 野望 | 92 | ||||||
将星録 | 戦闘 | 63 | 智謀 | 77 | 政治 | 80 | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 87 | 戦闘 | 45 | 智謀 | 74 | 政治 | 80 | ||||||||
嵐世記 | 采配 | 76 | 智謀 | 66 | 政治 | 79 | 野望 | 99 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 72 | 知略 | 64 | 政治 | 80 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 73 | 知略 | 69 | 政治 | 80 | 教養 | 77 | ||||||||
革新 | 統率 | 85 | 武勇 | 70 | 知略 | 79 | 政治 | 89 | ||||||||
天道 | 統率 | 85 | 武勇 | 70 | 知略 | 82 | 政治 | 89 | ||||||||
創造 | 統率 | 93 | 武勇 | 67 | 知略 | 87 | 政治 | 98 | ||||||||
大志 | 統率 | 91 | 武勇 | 73 | 知略 | 89 | 内政 | 99 | 外政 | 95 | ||||||
新生 | 統率 | 94 | 武勇 | 85 | 知略 | 88 | 政務 | 94 |
概ね政治・軍略の双方に長けた野心家の名君として設定されている。やはり桶狭間のイメージが強いのかやや内政より軍略の方が苦手と設定される場合も多いが、「政治に比べて低い」という程度で十分に優秀。また「教養」が数値化されている作品では例外なく教養人としても設定されている。
また、史実シナリオにおける義元存命中は徳川家が独立する前の状態のため、家康をはじめ徳川勢の多くを配下としてスタートできる。その分、ゲーム的には初心者向けの強豪勢力といえるため、歯応えが欲しい人は息子(今川氏真)で亡き父の大望を追うのがお勧め。
顔グラフィックは細面かメタボかの違いはあれど、基本的に公家風の壮年男性に描かれており、コーエー名物の二枚目顔とはあまり縁がなかった。とはいえ茶化すような描かれ方はせず、大君主としての風格のあるグラフィックとなっている。そして2010年、第13作「天道」のPK版で満を持して悲願の「イケメン若義元」が登場した。武者震いがするのう!!
更に2013年発売の第14作「創造」では「イケメン若義元」の踏襲とともに武勇以外の能力値が大きく上昇しており、能力合計順位が史実武将中17位というトップクラスを誇る武将となった。ただし桶狭間での悲運を考慮してなのか、特性では不運を所持しており、戦で壊滅した際には捕縛されやすいので注意が必要である。しかし成長させていけば、特性幸運を得ることができるため欠点を克服することができる。名だたる海道一の弓取りとして着実に評価されているのだから、ますます身震いがするのう!!
また2017年発売の第15作「大志」では口ひげを生やし、より目つきも鋭い威厳ある顔つきにイメチェンし、「朝廷の使いが来訪し易くなる」「拠点に寺か神社があると兵糧収入が増える」などの効果を持つ専用の志「独立独歩」が用意されるなど益々強化に磨きが掛かる。そして2022年発売の第16作(2023年現在での最新作)
第16作「新生」では政治力が僅かに弱体化したが逆に武勇は前作の73から85へ強化され基礎能力に隙が無くなり、それを反映してか立ち絵は前作同様のダンディ顔に左手に弓を携えた正に「海道一の弓取り」らしい出で立ちとなった。また、仮想シナリオも用意しており、「桶狭間の戦い」の回避した上で条件を満たすと「義元、上洛へ」が発生。信長が死亡し、織田家家臣を傘下に迎え入れることが可能。
信長の野望シリーズと共に近年のコーエーにとって看板タイトルとなっている「無双」シリーズの戦国時代版。1ではNPC、猛将伝でプレイアブルとなった。2では一旦リストラされたものの、猛将伝で再登場。ひき続いて3ではシナリオがなく、猛将伝/Zで追加された。ナンバリングでは3回連続で追加版じゃないとシナリオがつかないキャラクターとなってしまっている。
NPC時代は桶狭間の戦いのやられ役程度の出番。丸々と太った厚化粧の公家、息子の氏真(の逸話)と完全にフュージョンした蹴鞠設定、「桶狭間で勝っても、もう一度桶狭間で奇襲されて負ける」ほどの戦下手など、世間の古い俗説を背負った描かれた方に少なくない批判が集まった。
このような批判をうけてか、「実力者であるが戦に興味はない。」という性格に変更され、器量の大きさを見せる。1猛将伝では京で蹴鞠をする為に上洛を目指し、各勢力を引っ掻き回すこととなる。
2では戦乱の世の中を憂いて蹴鞠仲間を探し、「皆が蹴鞠って暮らせる世」を掲げ、各地の戦場に乱入するシナリオであった。
3のシナリオでは伊達政宗にそそのかされ(史実では義元が死んだときにまだ政宗が生まれてないことを突っ込んで、「蹴鞠を通じて日の本を統一し、南蛮の蹴鞠の名人と戦う」ことを目標としている。同シナリオでは義元以外の武将の意外な側面を見ることができる。戦場で遭遇する女性キャラの「脚」を品評するセリフイベントがある。
いずれも突っ込みどころ満載のネタシナリオであるが製作元のコーエーが「のぶやぼ」の製作元である事を踏まえれば、ライト層を狙っての意図的なネタである事は間違いない。
婚姻同盟を結んだ関係で武田信玄や北条氏康とは義兄弟で、彼等には親しげに振る舞う。特に氏康の妻は義元そっくりの妹とされており、氏康は義兄に対してやりにくさを感じている。桶狭間の戦いでは徳川家康が今川を離反する展開が毎回ある。家康当人は今川に対して「恨みもあれば恩もある」というスタンスであり、義元のシナリオで絡む時は彼に翻弄されながらも敬語で接している。特に関連のない伊達政宗と1猛将伝の上杉ルートや3猛将伝のシナリオでは組むのだが、政宗は義元に翻弄されるツッコミ役となっている。
地方別になった4ではPCではあるのだが、今川家のストーリーも無双演武で操作できるステージもなく、実質桶狭間の戦いに出てくるNPCである。
しかし、徳川の章において口調は同じであるものの、突如として低くエコーのかかった声になって家康に家を存続させることの苦難を説き、散り際もその風格を漂わせたものであった
ユーザーからは魔呂とも形容されるその姿は、家康が見た幻影なのか、それとも普段は奥にひそめている彼の本性だったのかは定かではない。
余談だが義元の声優を担当している河内孝博氏は無双シリーズで他に龐統と孫策も担当しており、その演じ分けはまず初見では気づかないと思われる。
現在三枚の義元が存在する。
「圧倒的、圧倒的よのお!」
一枚目は一般的なイメージである公家服姿の義元。ただし、顔には謎のペイント(今川家武将は特徴としてフェイスペイントが施されている)、後虎口攻めをすると分かるがガーターベルトを着用している。なおコーエーと違っておじゃるとは言わない。それは息子の今川氏真のほう。
計略は「上洛の幻」。今川家の武力を大幅に上げるが、効果終了時には効果を受けた全員の兵力が大幅に下がるというハイリスク・ハイリターンな大名采配。「天下に一番近いと称された男が圧倒的な武力で押し切る」計略となっている。
なお計略中は自城には入れないため城に戻って兵力回復は出来ない。
公家扱いなので虎口に入ると神輿に乗って敵を蹂躙するシュールな光景がみられる。
ver1.1までは制圧・魅力という自身が弓足軽というのもあって中々の良特技だったが、Ver1.2で制圧が削除されて攻城になった。本人の統率もそこそこあり劣勢を覆せるチャンスは上がったと言える。
「今川当主、今川五郎義元じゃ!」
二枚目は「センゴク外伝 桶狭間戦記」での若かりし姿。計略は「果て無き遊び場」。
上洛の幻と比較すると武力上昇が少ない代わりに発動時兵力が回復する。こちらは戦線維持という点で上洛に勝る。
しかし戦国大戦では単純な超武力で敵を押しこむ事は強力ではあるがデメリットもあり制圧できるとは限らないので、やはりひと癖ある計略の持ち主と言える。
本人の武力・統率がそれぞれ2コストで7、8と今川家で数少ないハイスペックなこともあり、計略を使わずにスペックだけでデッキに投入される事も多かった。そのためか計略は散々な下方修正を受けている。
「大大名、今川義元が参るぞ!」
Ver1.10にて更に1枚追加された。
計略は「大勢力の爆進陣」。今川家の武力を上げる大名陣形で、陣形に居る味方の数が多い程武力が上がる。
あれ、何かこんな計略持った武将が三国志大戦にいたような。まあ、あっちも名門だしその繋がりであろう。
絵師もあっちの名門と同じく、漫画家の島本和彦である。
Ver1.20では似たような計略の大祝鶴姫が戦国数奇として他家に追加されているが、効果時間はこちらが遥かに長い。範囲はこちらがやや狭いが。それに向こうは桃園の誓いよろしく1部隊でも死ぬと全部撤退なので、一概に比較もできない。
「圧倒的!圧倒的!圧倒的よおぉぉ!!」
戦国大戦と三国志大戦の続編ともいえる英傑大戦においてもver2.0からの新勢力:紫として参戦。
イラストやボイス、基礎能力は戦国大戦の[上洛の幻]とほぼ同じ弓兵/武力7/知力7/昂揚でバランスの取れたものとなっている。
計略は「海道の支配者」。戦国大戦と同じ号令ながらも新しい計略カテゴリである「渾身」計略に変わっている。
武力と、士気が一定以下で知力を上げる号令であるが、必要士気から近いほど上昇値が上がる仕様があり
士気が6.9以下で発動すれば武力+6、知力+4という同消費士気の計略と比べて高い上昇値があるため、
まさに計略名と発動時セリフのような圧倒的な力を見せつけることができる。
今作は知力の高低が攻城速度に影響を及ぼすため、計略耐性と攻城速度の両立によって、
「部隊を維持しつつ足並みをそろえ」「士気を見極める」ことで戦局を優位にできるというこのゲームの重要な部分をトレーニングするカードともなっている。
ランカーにもよく使用されており、これらにどうやって対処すればよいかを考えるのが上位プレイヤーの腕の見せ所であり、
逆に言えばそれだけの有用性や強みのある一枚であるといえる。
ちなみに仇敵ともいえる織田信長も武力と知力を上げる計略を持っているが、互いの計略上昇値の最大出力をもってしても微妙に義元側が届かない。
今川ヨシモトの記事を参照。
掲示板
237 ななしのよっしん
2023/01/11(水) 02:30:09 ID: LHKZ+3PcPS
今年は勝てそう←これ好き
238 ななしのよっしん
2023/06/29(木) 05:50:26 ID: XiLZRNohcb
野村義元一話きりかなーとおもったら今川滅亡まで割と回想にでていて嬉しかった
239 ななしのよっしん
2023/08/02(水) 17:13:00 ID: dH/jsDPyQH
義元は家康の義父として「道(人に支持されてこそ大名というのは生きていられる)」を示した
息子であり家康の義兄の氏真は家康が歩みたかったであろう羨む幸福な人生(愚鈍だ無能だと後世中傷されようとも正妻の早川殿だけなら守れる人生)を全うする
義娘兼嫁の瀬名は死をもって家康の中で道しるべ(惣無事の世界 最終的なゴールは江戸幕府 作中の築山殿は目指す先は間違ってはいないが色々早すぎたし早まりすぎた)を示した
今作は色々今川家恵まれてるわ
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/20(月) 11:00
最終更新:2025/01/20(月) 11:00
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