アソビヲセムトヤウマレケムタワムレセントヤウマレケムアソブコドモノコエキケバワガミサエコソユルガルレ
遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや 生まれけむ 遊ぶ子供の 声聞けば わが身さへこそ 揺るがるれとは、今様である。
1180年頃、平清盛による治承三年の政変で、鳥羽殿に押し込められていた時期の後白河法皇が編纂した、『梁塵秘抄』に採録されている歌である。
解釈は様々なものがあるが、直訳すると「遊ぶために生まれてきたのか、戯れるために生まれてきたのか。遊んでいる子どもの声をきくと、思わず私の身も動いてしまう」といった意味になる。
作者はこの時代の今様の常として、はっきりしたことは分かっていない。今様は現代で言う流行歌だが、庶民的な要素が強く、生活しているうちに自然と作られたような替え歌や、創作の曲といった感覚で捉えるのが妥当だろう。
後白河法皇は、幼い頃より色々な意味で奔放で、社交性の高い人物だったため、白拍子(男装して歌舞音曲や、売春を行う職業)をはじめとして様々な人から歌を教わり、それを梁塵秘抄にまとめている。一見子どもの遊ぶ様に感動しているように見えるこの歌も、遊女が歌ったものと仮定すると、自らが苦界にいることを嘆いたどこか物悲しい雰囲気になり、解釈の広さがうかがえる味わい深いものとなっている。
『梁塵秘抄』にはその他にも舞え舞え蝸牛(カタツムリ)など、様々な歌が収録されているが、後述の理由により一際大きな知名度を持った歌となっている。
後白河法皇が登場する時代劇や時代小説などでは必ずといっていいほど、『梁塵秘抄』にある歌が詠まれているが、特にこの歌の名を上げたのは2012年の大河ドラマ『平清盛』からだろう。
『平清盛』においてはOPの最後(松浦愛弓によって歌われているが、当初は初音ミクに歌わせる予定だったらしい)に使われているだけでなく、清盛の実母や、後白河法皇、建春門院(平滋子)、平清盛本人など多くの人物によって歌われている。そして、この大河ドラマにおける歌のテーマである「夢中になって生きる」ことについて、色々な登場人物が表現し、葛藤を重ねていくのも一つの大事な要素となっている。
最終話にはこの歌がそのままタイトルに使われ、物語の終幕を飾っている。
『平清盛』は視聴率こそ芳しくなかったものの、再放送や録画、ブルーレイなどによってネットでじわじわと再評価が進み、大河ドラマ全体の人気ランキングでも上位に入ることがしばしば見られるようになった。それに伴い、この歌も評判が上がり、2022年のアニメ『平家物語』やNHKのミニドラマ『義経のスマホ』でも歌われるなど、知名度を少しずつ伸ばしている。
『梁塵秘抄』は、後白河院が、詩文や和歌は後世にも残るが、こういう流行歌(声技)はすぐに消えてしまう。だから後世の為に、自分がそれらの歌を集めて書き残すという動機のもとで作ったと伝えられている。編纂から830年以上もの時を経て、自分の残した歌が再び日の目を浴びているという事実を、西方浄土からどう見ているのか気になるところである。地獄かもしれないけど
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最終更新:2025/12/12(金) 13:00
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