綸言汗の如しとは、ことわざである。
王言如絲,其出如綸;王言如綸,其出如綍(王の言絲の如く、其の出ずるや綸の如し)
―『礼記』 緇衣編
我心匪石、不可轉也(我が心は、石に非ず、転ずべからず)
言守善篤也。(言は善を守ること篤きなり)
易曰、渙汗其大號。(易に曰く、渙するときは其の大号を汗にす)
言號令如汗、(言は号令汗のごとくにして、)
汗出而不反者也。(汗は出でて反らざる者なり)
天子(君主)が一度口にしたことは、流れ出た汗のように取り消すことは出来ないという意味の言葉である。
五経の一つ『礼記』と、歴史書『漢書』の記述それぞれから成り立った言葉とされている。ただ、肝心の漢籍にこれと同じ表現があるのは確認できないため、我が国に入ってから成立したのではないかという説が有力。実際に『平家物語』などで用例が確認されている。いろはかるたでことわざにちなんで作ろうとした時、りがどうしても思いつかないため、作られたなどという俗説もあったりする。
「綸言」とは天子の言葉を意味する。綸という言葉自体あまり耳慣れないものであるが、言葉そのものは組糸を意味しており、天子の言葉そのものは細くとも、下々に達する頃には様々な思惑や恣意などが重なって立派な太い糸となるという含意がある。つまり、それだけ上に立つ人の言葉というものは重く、動かしがたいものという意味になるのだ。
古代中国において天子とは、天帝より命を受けた者が、天下を治めるという建前のもとでオーソリティ(権威)を得ていた。そのため、天の子たる者が、仮に誤りであったとしてもそれを認めてしまうことは許されないとされていたのである。
この言葉は前漢は元帝の頃、元帝が朝令暮改を繰り返し、国政を混乱せしめていたのに対し、廷臣の劉向が苦言を用いようとしていたところ、獄につながれてしまい、獄中から書にしたためて諫言を送ろうとしていた。そこからとられた一説とされている。つまり、皇帝がそう思い付きで言を翻しては権威が揺らいで信頼されなくなると強く戒めたのである。
現代においては大河ドラマでたまに用いられており、『太平記』や『篤姫』などではそのまま、『鎌倉殿の13人』ではセリフとしてはでてきていないが、曲名に用いられている。また、皇帝や天皇だけではなく、時代を経るごとに将軍、政治家、もっと意味を広げて社長や重役、上司などにも綸言の言葉があてられ、用いられることもある。
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最終更新:2025/12/07(日) 03:00
最終更新:2025/12/07(日) 02:00
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