『振り逃げ3ラン』とは、
2007年7月29日、第89回全国高等学校野球選手権神奈川大会の準決勝戦、東海大相模高校対横浜高校の試合(横浜スタジアム)において4回表で東海大相模の打者・菅野智之の時に起きた出来事である。
この回東海大相模は3点を先制しなお二死一三塁の場面。9番打者の菅野は2ストライク後にワンバウンドの投球をハーフスイングで空振りした。球審は一塁審にこのスイング判定のリクエストをしスイングしたと判定され、菅野には「スリーストライク」が宣告された。しかし、この審判のジェスチャーを横浜選手陣は「三振でバッターアウト、スリーアウトチェンジ」と勘違いし、小田太平捕手[1]、筒香嘉智三塁手ら全員がベンチに引き上げてしまった。
その後、振り逃げが出来る(理由は後述)ことに気がついた東海大相模のベンチは菅野に走塁を指示。走者2人と菅野は無人のダイヤモンドを回り、3点を追加した。
このエピソードが「振り逃げ3ラン」である。
振り逃げの定義については「振り逃げ」の単語記事を参照。
本項では、場面解説につなげるために条件のみ明記する。
まず、この場面において菅野が空振りしたことで記録された「第三ストライク」の投球は捕手の前でワンバウンドして正規の捕球に該当していないので、条件1は満たされる。
一塁に走者はいるが、二死であるため条件2も満たされる。
そして、打者はストライクの宣告後もダートサークル内にいるため、条件3も満たしている。
よって、すべての条件を満たしており尚且つ捕手はタッグ(打者へタッチするか一塁への送球)も行っていないので、この振り逃げは認められることになる。
なお、審判による場内への説明において「スリーストライクですがまだ三振ではありません」と発言しているが、振り逃げが成功しても打者の三振と投手の奪三振は記録されるため、厳密には誤り。
横浜高校の渡辺元智監督は審判団に抗議をしたが、これは前述した通り明らかな守備陣のミスであり、認められなかった。
結果的に東海大相模がこの振り逃げ3ランで上げた3得点が響いた格好となり、6-4の2点差で勝利した。
ちなみにこの試合は当事者の9番投手・菅野智之(現BAL)筆頭に、東海大相模は1番遊撃手の田中広輔(現広島)、4番三塁手の大田泰示(元日本ハム他)、6番二塁手の内田翔太(友永翔太、元中日)、横浜は1番遊撃手の髙濱卓也(元ロッテ他)、4番一塁手の土屋健二(元日本ハム他)、7番三塁手の筒香嘉智(現DeNA)、9回の守備交代で出場した三塁手の倉本寿彦(現くふうハヤテ)と、後にプロ入りする選手たちが多く出場していた。
日本プロ野球ではこれを上回る実例がある。1960年7月19日の東映フライヤーズ対大毎オリオンズ戦の8回表二死満塁、1-3と東映がリードしている場面で、東映の土橋正幸の投球を大毎の山内和弘が見逃し三振となったのだが、捕手はその投球を後逸していた。そのため本塁を踏むなり一塁に送球するなりしてアウトを取る必要があったのだが、「三振でバッターアウト、スリーアウトチェンジ」と勘違いした守備側の東映の選手はベンチに引き揚げてしまった。
山内はベンチに入る前に他の選手からの指示で振り逃げができると気付き、走者3人と打者走者の山内が生還し4点をとり逆転した。つまり「振り逃げ満塁ホームラン」を達成したこととなる。
なお、当時の公認野球規則では打者の走塁放棄とみなされる条件が現在と違い「ベンチに入るか階段に足をかけるかすること」であったため、微妙に状況は異なる。このときは山内もアウトだと思ってベンチに戻りかけていたため、現在のルールに当てはめれば三振でバッターアウトとなっていた。
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最終更新:2025/12/24(水) 20:00
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