フォークイン(ウマ娘)とは、漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』に登場する健康ランド師匠ウマ娘である。
概要
芦毛、フチがギザギザした耳、グルグル模様の瞳が特徴。両目尻に泣きボクロが2つずつ並んでいる。耳飾りは左側、顎の骨のような形をしたもの。
第113R『新たなマイル王』で登場。
マイルチャンピオンシップの激闘を制したオグリキャップがジャパンカップに向けて療養のために訪れた温泉ランドで遭遇した。
他方で藤井泉助の口からJCメンバーの一人として「ニュージーランドのフォークイン」が出てくる中、岩盤浴のマナーを知らなかったオグリに手取り足取り教えてくれたことから、オグリは彼女を「健康ランド師匠」と呼ぶようになる。
その後、ジャパンカップ集走メンバーによる会見パーティーにて再会。
彼女こそ前回ジャパンカップに出走したニュージーランド代表エラズリープライドの妹分であり、彼女自身の、ひいては祖国ニュージーランドの悲願を果たすべく参戦したフォークインであった。
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元ネタ
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ホーリックス。ニュージーランド競馬にて殿堂入りを果たした歴史的名馬であり、オグリキャップとの激走の末に起こった「事件」(後述)によって日本で一番知名度のあるニュージーランド調教馬。
ニュージーランド生まれで、父はイギリスで走り、種牡馬として同場に繋養されていたスリーレッグス。母・モルトは不出走馬であったが、曾祖母・フロスは1971年にニュージーランドの最優秀繁殖牝馬に選出されている。
オサリバン厩舎入りした当初は低評価だったものの、デビュー2戦目で初勝利したのち3歳時点で8戦4勝し、その評価を覆した。
(余談であるがその当時、横山典弘の兄が見習い騎手として厩舎に所属していた)
4歳時には初の2000m戦・初のG1挑戦となったエアーニュージーランドSで2着に食い込むと、歴代勝ち馬10頭が殿堂入りする超出世レース・アワプニゴールドカップ(G2・2000m)で圧勝。返す刀で挑んだTVニュージーランドS(G1・2000m)でG1初勝利を果たした。
そして1989年。
これまでニュージーランド調教馬が幾度となく挑戦の末辛酸をなめたジャパンカップ、「オセアニアの悲願」をホーリックスで果たすべく様々な準備と対策が施された。
その入れ込みようは、オサリバン曰く「これで負けたら二度とJCに出ない(意訳)」という自信と不退転の覚悟のあらわれであった。
レース当日は、マイルチャンピオンシップから連闘出走するオグリキャップを筆頭とする平成三強や地方最強牝馬ロジータといった日本勢、海外からは凱旋門賞馬・キャロルハウスや前年王者・ペイザバトラー、芝12ハロンの世界レコード(2分22秒8)ホルダー・ホークスター等々…と豪華絢爛な顔ぶれの中もあり、海外ブービーの9番人気。
スタート直後、イブンベイとホークスターが競り合い、非常に速いペースで展開。1800m通過ラップは日本レコード(当時)よりも早く、2000m通過タイムはなんと1分58秒0という異常事態。
最後の直線に入ると、失速した2頭に代わってホーリックスが先頭に立ち、後続を引き離した。ゴール前ではオグリキャップが追い込んだがクビ差抑えきり、オセアニア勢として初めてのジャパンカップ制覇を果たした。
府中は溜息と感動で大きくどよめく。そして、大観衆が掲示板に目をやると、そこには赤く輝くレコードの文字。映されていた勝ち時計は……
2分22秒2。
……文句なしの世界レコードである。この時計は、後のJRAのCMの言葉を借りるなら「事件」以外の何物でもなく、誰もが時計の故障を疑った。
当時はダービーレコードが2分26秒台、日本レコードおよびJCのレースレコードはルグロリューの2分24秒9という時代であり、24秒台ですら「殺人的タイム」と言われ、23秒台、まして22秒台など想像を絶する世界だったのだ。そこでいきなり2秒7もレコードを縮めたというのだから、どれほど衝撃的タイムだったかお分かりいただけるだろう。
更に言えばこの時の最下位はロジータでタイムは2分26秒9だが、このタイム自体はこの年の優駿牝馬(オークス)馬ライトカラーのタイム(2分29秒)よりも2秒以上速く、当時のオークスのレコードタイムである2分28秒1(1977年のリニアクインが記録)よりも速かったりする。さらに付け加えると、ウィナーズサークルのダービーのタイム(2分28秒8)にも1.9秒差をつけていた。
レース後、帰国したニュージーランドで休養の後DBドラフトクラシックで復帰。前年の自身の記録を0.01秒更新するレコードタイムで連覇を達成。
引退後は繁殖牝馬として第4仔・ブリューがオーストラリアの祭典的な競走であるメルボルンカップを制し、母子二代のG1優勝馬となった。
祖国ニュージーランドでの名声は当然非常に高く、また競馬ブームの影響で同馬目当てに訪れる日本人観光客が多かったという。
因みにジャパンカップで激走を繰り広げたオグリキャップがホーリックスに「恋煩い」していたという噂がある。確かなのは、あの「大食い」で有名なオグリが食事中にもかかわらずホーリックスが居ると食べるのを辞めた程であった。そんな経緯かは定かではないが交配の話が出るも結局実現することはなかった。
そんなオグリキャップが世を去ってから約1年後の2011年8月24日、繋養先のケンブリッジ・スタッドで死亡。28歳没。遺体はグルシーが所有する地所に埋葬された。
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