打吹公園だんご(うつぶきこうえんー)とは、石谷精華堂が製造・販売する銘菓である。
概要
特徴
1880年(明治13年)に創業し、鳥取県倉吉市に本店を構える石谷精華堂が製造及び販売している和菓子。通称として「打吹だんご」とも呼ばれる。創業当時から製造しており、倉吉の銘菓として知られている。
大きさは手のひらサイズ程度のやや小さなだんごで、だんごの生地の周りに白、緑、茶色の三色に色付けしたあんこがこってりと付いており、見た目はあんころを三色だんごにしたような和菓子である。味は濃厚な甘さとあんこの独特の風味が感じられる。
ちなみに、発売当時から一貫して防腐剤を使用しないコンセプトを貫いており、この関係で日持ちが購入してから3日しか持たない。大量購入する際は消費期限に要注意である。
パッケージには、倉吉に伝わる打吹天女伝説をモチーフとしたデザインを採用している。
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歴史
だんご作りのきっかけ
石谷精華堂公式サイトによると、打吹公園だんごは石谷精華堂の屋台骨として草創当時から作られており、初代店主である石谷すまが開発したとしている。
だんご作りに至るきっかけとしては、石谷すまが下記の故事を参考に素朴な甘茶だんごを作ったことに始まる。
ときは元弘三年(1333)、南北朝時代、流刑の身となった後醍醐天皇は、やがて隠岐島から脱出。その際、地元の豪族・名和長年公が船上山にお迎えし、 〝甘茶だんご〟を振る舞いました。
発売直後は現在の三色だんごのような形ではなく、あんころ餅のようなあんこをまぶしたような形で製造していた。しかし、1907年(明治40年)、皇太子(のちの大正天皇)行啓に伴う打吹公園造成を機に製造をリニューアル。現在の三色だんごの形となった。
皇族の御料菓として献上、「打吹公園だんご」命名へ
発売黎明期は、上記のようなあんころ餅形式で製造していたため、商品名も「打吹公園だんご」ではなかった。が、現在の形にリニューアルした際、当時の東伯郡長でのちの第6代鳥取市長となる内海淡が皇太子行啓による御料菓献上を記念してだんごを「打吹公園だんご」と命名。以降、倉吉の銘菓としてこの商品名が使われ続けている。
そして、1974年(昭和49年)には「打吹公園だんご」を商標登録した。
さらに、1965年(昭和40年)に行われた昭和天皇鳥取県御巡幸、翌年と1978年(昭和53年)に行われた皇太子・皇太子妃(現 上皇・上皇后)の御巡幸でも御料菓として献上された。
数々の賞を受賞、「科学万博つくば85」に出展へ
打吹公園だんごは御料菓として献上して以降、菓子に関するさまざまな賞を受賞している。1951年(昭和26年)には、全国菓子協会の菓子展品評会で食糧庁長官優良賞を受賞し、これが初の受賞となった。そして、1955年(昭和30年)には全国菓子観光大博覧会で名誉金賞を受賞し、1961年(昭和36年)開催の同大会では高松宮宣仁親王より名誉無鑑査賞を受賞した。その後も、同大会で大臣賞、菓子大賞を受賞している。
そして、1985年(昭和65年)3月に開催された「科学万博つくば85」では、3月25日のお茶の日に合わせて3000人規模の茶席が設けられ、その際の茶菓として出品されている。この出品にあたって、茶道流派の裏千家名誉師範の佐方宗礼が取次役を務めており、佐方自身も自ら主催する茶会に茶菓として打吹公園だんごを使用するほど愛用していた。
万博で開催された大茶会は好評を博し、鳥取空港から直送しただんごもすべて売り切れるほど人気ぶりを見せた。また、佐方から「「お菓子をおく懐紙におだんご紹介の形で印刷されたら如何でしょうか。皆興味をもって読んで下さることと思います」というアドバイスを受けて、このときから「打吹公園」と「だんご」の由来を印字した懐紙を載せるようになったのである。
世界進出へ ~ ベルサイユ展出品から始まる世界交流
「科学万博つくば85」での大成功の後、再びイベントでの出品オファーが入った。今度は文化庁主催の「日本伝統文化・ベルサイユ展」で、フランス人との交流もあるイベントであった。当時の四代目店主石谷文海は、「地域の人に愛され、良い商品づくりに専念し、国際交流の接点となるよう協力したい」という信念を常々口にしていたため、これを快諾。そして、1986年(昭和61年)に「第6回日本伝統文化・ベルサイユ展」が開催され、2000人規模の茶会の茶菓として出品。これ以降、湾岸戦争が勃発した1991年を除いて毎年出品し、世界進出を果たしたのであった。
これを皮切りに、1987年(昭和62年)にはオーストリア建国二百年祭の一環として同国ブリスベーンで開催された「クインズランド・ジャパンフェスティバル’87」や、1988年(昭和63年)にカナダ・バンクーバーで開催された「ジャパンフェスティバル'88日本の祭」など、ベルサイユ展から数えて合計12件もの世界交流展に出品している。
四代目店主 石谷文海の悲願 ~ ワシントン桜まつりに出品へ
四代目店主を務めていた石谷文海は、打吹公園だんごを通して世界交流を推進したいという信念の上で、ぜひとも叶えたいという10年来の夢があった。それは、アメリカ・ワシントンで開催される「ワシントン桜まつり」の日本大茶会に打吹公園だんごを振る舞うことであった。
この悲願をベルサイユ展に同行し、上述で科学万博つくば85への出品を手引きした裏千家名誉師範の佐方宗礼に語ると、偶然にも佐方の孫がジョージタウンの大学に留学しており、その孫が友人に佐方から聞いた文海の話を持ち掛けた。すると、その友人の父親が現地の有力者であり、トントン拍子に話が進んでついに「ワシントン桜まつり」への出品が正式に決定。
1989年(平成元年)、打吹公園だんごを引っ提げ「ワシントン桜まつり」の日本大茶会が開催され、約10年温め続けた文海の悲願が叶ったのであった。
ちなみにこのとき開催されたパレードに、花咲じいさんの衣装に扮して参加しており、沿道にいた日本人や日系人から「花咲じいさ~ん」と声援が送られた。石谷精華堂公式サイトでは、その時に撮影された写真が掲載されている。
そして、石谷文海は2003年(平成15年)に倉吉市名誉市民に選出されたのであった。
サブカルコンテンツとのコラボ
打吹公園だんごでは、ひなビタ♪とぷよぷよとのコラボ商品を販売している。こちらでは、5本入りと10本入りの2種類のパッケージに詰められて販売されている。
ひなビタ♪とのコラボ
「ひなビタ♪」とは倉吉市がモデルとなった架空都市「倉野川市」を舞台とし、5人組ガールズバンド「日向美ビタースイーツ♪」がバンド活動を通して町おこしを図る物語で、倉吉市は2016年から倉野川市と姉妹都市提携を結び、市内各所でひなビタ♪とコラボしたイベントやコンテンツを提供している。
石谷精華堂もその流れに乗っかってひなビタ♪とコラボした打吹公園だんごを販売。パッケージ内に「日向美ビタースイーツ♪」のメンバーが描かれた全9種類の特製ステッカーが封入しており、開けて確認するまではどの種類が当たるか分からないガチャ仕様となっている。
ぷよぷよとのコラボ
SEGAの人気パズルゲームシリーズ「ぷよぷよ」とのコラボ商品。ひなビタ♪バージョンと同じく、全6種類の特製ステッカーが封入しており、こちらも開けて確認するまではどの種類が当たるか分からないガチャ仕様となっている。
ステッカーには、ぷよぷよシリーズに登場するキャラクターと倉吉の風景がコラボしたデザインが描かれている。
関連動画
関連商品
石谷精華堂公式サイトより、通信販売を行っている。⇒ 打吹公園だんご 商品の注文
※1ひなビタ♪コラボバージョンはこちらから ⇒ 打吹公園だんご ひなビタ♪バージョン
※2ぷよぷよコラボバージョンはこちらから ⇒ 打吹公園だんご ぷよぷよバージョン
関連チャンネル
関連項目
関連リンク・参考サイト
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