地方か中央か、3歳ダート頂上決戦
ジャパンダートクラシック
大井競馬場・ダート2000m
ジャパンダートクラシックとは、大井競馬場・外回り2000mで行なわれる地方・中央競馬交流の統一のJpnI競走である。賞金は7000万円(2023年の前身ジャパンダートダービーから1000万円増額)。
このレースの前身はスーパーダートダービーとされる。『ダービー』と名がついていたが、出走条件は3歳となっていてセン馬の出走も可能だった。概要としてはダート版の日本ダービーということだったが、その立場は2024年に交流JpnIに昇格となった東京ダービーに譲ることとなった。
※2023年以前は「ジャパンダートダービー」として7月上~中旬に開催されていた。
各地方の指定競走を勝ち上がってきた地方競馬の代表と中央競馬の強豪馬たちが戦う3歳ダート頂上決戦であるが、近年は中央競馬のダート路線が整備されたので、ダート適性が高いJRA所属馬も多数出走するようになった。
ただ地方所属の逃げ馬がJRA所属馬のペースについていけないということもあって、最終的に4コーナーを回ったときには既に中央競馬勢だけの争いになっていることも多い。2023年までの25回で「地方馬7勝、JRA馬18勝」という勝ち数の差が、そのまま力関係を反映していると言えるだろう。
南関東においては、羽田盃・東京ダービーに続く南関東三歳三冠レースの三戦目に位置している[1]。
この三冠は形式最終年となる2023年にミックファイアが無敗で達成した1例のみ[2]。
ミックファイア以外に最初の二冠を制覇した馬は4頭いた(2003年・ナイキアディライト、2005年・シーチャリオット、2011年・クラーベセクレタ、2014年・ハッピースプリント。 ナイキアディライトはビッグウルフ・ユートピアとの競り合いの末に3着に敗れた。シーチャリオットは東京ダービー後に骨折してしまい無念の回避。クラーベセクレタはロジータ以来となる牝馬の南関東三冠達成なるかと期待されたものの、グレープブランデー・ボレアス(いずれも牡3)の前に3着に敗れたうえに後日失格処分となってしまった。ハッピースプリントは写真判定でカゼノコと僅差の2着に敗れた。)。
なお、2022年11月28日のJRA、NAR共同の会見により、2024年の開催分よりジャパンダートクラシック(JpnI)として、開催時期を10月に変更することが発表された。
同年よりダートグレード競走に指定される羽田盃(JpnI)・東京ダービー(JpnI)を含めた3競走を「3歳ダート三冠」として施行する。
1着賞金は7000万円に増額されるが、東京ダービーの1着賞金が1億円に増額するため、名称を含めて全国的なダートのダービーという肩書は東京ダービーに譲る形となる。
また、1着の馬にはJBCクラシックの優先出走権が付与される。
2006年から始まった、5月下旬から6月下旬まで各地の地方競馬のダービーを集中開催するイベントである。
ジャパンダートダービーの前哨戦に当たる。
かつてはダービーweekという名で6月第1週に渡り、佐賀・岩手・北海道・東京・兵庫・名古屋の6競馬場で行われていたが、2017年からは新たに金沢・高知の2競馬場も追加され、ダービーシリーズに改称した。
8レースの内、東京ダービーの1・2着馬にはジャパンダートダービーへの優先出走権が与えられ、他の7レースの勝ち馬はジャパンダートダービーの出走馬選定にノミネートされる。
しかしながら地方馬のJDD参戦は長距離輸送に耐えられる気性面や遠征先での馬体の維持の大変さ、夏の暑さへの適応も要求される為、大井で好成績を修めた馬は少ない傾向にある。JDCが気温が下がり始める10月開催という理由も頷けるだろう。
元々、地方の4歳馬(当時の表記)最強決定戦としては1988年から岩手競馬が「各地のダービー馬が水沢競馬に集まって対決」という看板を掲げた全国交流競走「ダービーグランプリ」を開催していた。この頃の岩手競馬というのは、先進的な取り組みを多く取り入れ、トウケイニセイやメイセイオペラを筆頭に数々の名馬がいた全盛期で、「地方競馬の優等生」とまで呼ばれていた時代である。「地方競馬の盟主」を自認する大井、そして南関東もこれに賛同し、当初こそ大井の馬が勝ってたりしたのだが、この時期は岩手だけでなく笠松を筆頭とした東海公営、宇都宮などの北関東を中心に、地方競馬全体が絶頂期を迎えていた時代。次第に南関東はダービーグランプリに冷淡になっていき、交流化前年の1995年はわずか1頭のみの参戦となった。
そんなこともあり、中央・地方間の交流競走が本格的に始まった1996年、4歳ダート最強馬決定戦に位置づけられたのは、新盛岡競馬場に移転したダービーグランプリであった。しかし、南関東にとってこの決定は面白いものではなかった。そこで南関東は新たな4歳ダート最強馬決定戦を新設し、ダービーグランプリと並ぶ競走に位置づけることを目論んだ。こうして同じ1996年に創設されたのがスーパーダートダービーである。
しかし、そんな横車が通る訳もなく、翌年ダートグレード制が施行された際スーパーダートダービーに与えられた格付けはGⅡ(当時の表記)。レースの位置付けもユニコーンステークス(GⅢ)からダービーグランプリ(GⅠ)に続く4歳ダート三冠の第2戦というものであった。
不満の収まらない南関東はわずか3回でスーパーダートダービーのダートグレード格付けを返上。地元重賞に格下げされて名称もスーパーチャンピオンシップに変更された挙句、3年後あっさり廃止されてしまった。そして、代わりに春の3歳ダート最強馬決定戦という位置づけの下、ジャパンダートダービーが創設され、現在に至っている。
ちなみにだが、本来の3歳ダート頂上決戦に位置付けられていたダービーグランプリは2007年をもって廃止されてしまった(地方競馬全国協会のリリース)。これは当時岩手競馬の経営改善が急務だったという事情もあった(記事)。2010年に競走名自体は復活するものの、地方競馬所属馬限定の競走となり、1着賞金も5,000万円から800万円と大幅引き下げとなった。その後ネット発売による復活を追い風に徐々に引き上げられ、2021年からは2,000万円となっている。
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最終更新:2024/06/03(月) 18:00
最終更新:2024/06/03(月) 18:00
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