ジャパンダートクラシック 単語

ジャパンダートクラシック

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地方か中央か、3歳ダート最終決戦
ジャパンダートクラシック
大井競馬場ダート2000m


ジャパンダートクラシックとは、10月上旬に大井競馬場3歳限定・ダート2000mで施行されるダートグレード競走である。「3歳ダート三冠」第3戦。格付けはJpnI。1着賞は7000万円(2024年)。

本項では原となった「ジャパンダートダービー」と更にその前身と呼ぶべき「スーパーダートダービー」についても取り扱う。

概要

2024年の全的なダート路線革に伴い、それまで7月中旬に開催されていたレースのジャパンダートダービーを10月上旬に大幅に後ろ倒し、現在のジャパンダートクラシックへと名称を変更。
羽田盃東京ダービーJpnI昇格と合わせて「3歳ダート三冠」競走として体系を再構成されることとなった。これ以前の詳しい歴史に関しては後述。

なお、レース回数はジャパンダートダービーを引き継いでおり、催のNAR大井競馬場としても新設レースではなく「ジャパンダートダービーが日程変更された地続きの存在」という認識のようだ。

主な前走・前哨戦

競走名 格付 施行競馬場 施行距離 間隔 優先出走権
レパードステークス GIII 新潟競馬場 1800m 中7週 1頭
黒潮 SIII 大井競馬場 1800m 中6週 地方2頭
不来方賞 JpnII 盛岡競馬場 2000m 中4週 1頭

3歳ダート三冠競走」の施行に際して、それまで岩手競馬地方重賞であった不来方賞ダービーグランプリと統合する形でJpnIIダートグレード競走に昇格したほか、中央競馬新潟競馬場で開催されているレパードステークスも本競走のトライアルとなった。

2024年の出走は、フルゲート16頭に対し中央7頭、地方9頭。ダート三冠競走の二冠は中央4頭と中央にとって非常に狭き門であったので、こちらでは大幅にが拡されていることになる。これは海外遠征を行っていたなど他路線からの合流を狙う意図があるようだ。そのほか、同じく大井2000mという同条件で開催される東京ダービーとの差別化なども考えられる。いずれにせよ大幅に合間が取れる間隔と合わせて、の勢状況からひっくり返される余地をわざと残してあると見るべきだろうか。
こうした背景もあってか、中央視点では(羽田盃東京ダービーべると)優先出走権を持つ前戦が及ぼすもそこまで大きくはない。言い換えるなら、純収得賞金による出走も十分見込める配分となっている。

また、1着には11月頭に開催される地方競馬の祭典JBCクラシックへの優先出走権が与えられる。

レースの歴史について

前身:スーパーダートダービー(1996~1998)

元々、地方の4歳(旧表記、現在の3歳)最強決定戦としては1988年から岩手競馬が「各地のダービー水沢競馬に集まって対決」という看板を掲げた全交流競走「ダービーグランプリ」を開催していた。
この頃の岩手競馬というのは、先進的な取り組みを多く取り入れ、トウケイニセイメイセイオペラを筆頭に数々の名がいた全盛期で、「地方競馬優等生」とまで呼ばれていた時代である。「地方競馬の盟」を自認する大井、そして南関東もこれに賛同し、当初こそ大井が勝ってたりしたのだが、この時期は岩手だけでなくを筆頭とした東海営、宇都宮などの北関東を中心に、地方競馬全体が絶頂期を迎えていた時代。次第に南関東ダービーグランプリに冷淡になっていき、交流化前年の1995年はわずか1頭のみの参戦となった。

そんなこともあり、中央・地方間の交流競走が本格的に始まった1996年、4歳ダート最強決定戦に位置づけられたのは、新盛岡競馬場に移転したダービーグランプリであった。しかし、南関東にとってこの決定は面いものではなかった。そこで南関東は新たな4歳ダート最強決定戦を新設し、ダービーグランプリと並ぶ競走に位置づけることを論んだ。こうして同じ1996年に創設されたのが南関東GI(当時の表記)スーパーダートダービーである。

しかし、「南関東の内部で勝手に付けた格付け通りにGIレースとして全的にも扱われる」という横が通る訳もなく、翌年ダートグレード制が施行された際スーパーダートダービーに与えられた統一格付け(当時の表記)はGIIレースの位置付けもユニコーンステークスGIII)からダービーグランプリGI)に続く4歳ダート三冠の第2戦というものであった。要するに「南関東内部における格付け(GI)と内での格付け(GII)が乖離する」というな事態を引き起こしてしまったのだ。

不満の収まらない南関東は、1998年の開催を最後にスーパーダートダービーのGII格付けを返上して、スーパーダートダービー自体も地方重賞スーパーチャンピオンシップに格下げしまう。事実上のスーパーダートダービーの消滅である。最終的にスーパーチャンピオンシップもそこから3年後の2001年を契機にレースとして消されている。
そして、代わりにの3歳ダート最強決定戦という位置づけの下に創設されたのが、現在のジャパンダートクラシックの直接的な原となる、ジャパンダートダービーである[1]

原型:ジャパンダートダービー(1999~2023)

上記の大波乱の末に生まれたジャパンダートダービーであったが、4歳に開催されるダービーグランプリやかつてのスーパーダートダービーとは異なり、較的い時期の季に開催されるという部分に需要があったのか、一定の理解を得ることに成功。あちらではわなかった南関東内部でだけなく、内でも同様の存在として扱われる統一GI2007年に表記をJpnIに変更)として、立場を固めていくことになる。

このレースの位置づけとしては、各地方定競走を勝ち上がってきた地方競馬の代表と中央競馬の強たちが戦う3歳ダート頂上決戦であったが、地方所属の逃げJRA所属ペースについていけないということもあって、最終的に4コーナーを回ったときには既に中央競馬勢だけの争いになっていることも多かった。最終回となった2023年までの25回で「地方7勝、JRA18勝」という勝ち数の差が、そのまま関係を反映していると言えるだろう。

南関東三冠体系における同レースの扱い

2023年までの南関東競馬において、羽田盃東京ダービーに続く南関東三冠レースの三戦に位置していた。2001年まではに行われていた東京王冠賞三冠の三戦に位置づけられてたが、2002年より本競争が代わりに三冠競走に定されることを受けて、2001年を最後に東京王冠賞は休止となった。
ジャパンダートダービーを加えて以降の三冠は、形式最終年となる2023年ミックファイア敗で達成した1例のみで、ミックファイア以外に最初の二冠を制覇したは4頭(03年ナイキアディライト、05年・シーチャリオット、11年・クラーベセクレタ、14年・ハッピースプリント)いたものの、いずれもジャパンダートダービーで敗れている[2]

ジャパンダートダービーを三冠に含まない時期では、1999年オリオンサンクスが現行の三冠競走全てを制したが、東京王冠賞を落としたため三冠馬とは呼ばれない。また2001年にはトーシンブリザードが旧南関東三冠競走に加え本競争も制しており、「四冠」とも称されていた。

ダービーシリーズ

2006年から2023年まで行われていた「5月下旬から6月下旬まで各地の地方競馬ダービーを集中開催する」という事実上のジャパンダートダービーの前戦にあたるイベントである。
かつてはダービーweekという名で6月第1週に渡り、佐賀岩手北海道東京兵庫名古屋の6競馬場で行われていたが、2017年からは新たに金沢高知の2競馬場も追加され、ダービーシリーズ称した。



8レースの内、東京ダービーの1・2着にはジャパンダートダービーへの優先出走権が与えられ、他の7レースの勝ちはジャパンダートダービーの出走選定にノミネートされるという仕組みだった。

しかしながら地方のジャパンダートダービー参戦は、長距離輸送に耐えられる気性面や遠征先での体の維持の大変さに加えて、の暑さへの適応も要されるため、大井で好成績を修めたは少ない傾向にあった。最終的に同レースから発展したジャパンダートクラシックの開催が、気温が下がり始める10月となったのも頷ける背景だろう。

歴代優勝馬

  • 回数についているリンククリックすると該当する動画に飛びます。
  • 齢表記は現行表記に統一。
  • 競走名は第1回から第25回まで「ジャパンダートダービー」第26回以降は「ジャパンダートクラシック」

回数 開催日 競馬場 距離 優勝 性齢 所属 勝利騎手 勝ち時計
2024年(第26回)より3歳ダート三冠開始 「ジャパンダートクラシック」として10月に移転
第25回exit_nicovideo 2023年7月12日 大井 2000m ミックファイア 3 大井 御神本訓史 2:04.6
第24回exit_nicovideo 2022年7月13日 大井 2000m ノットゥルノ 3 JRA 武豊 2:04.6
第23回exit_nicovideo 2021年7月14日 大井 2000m キャッスルトップ 3 船橋 仲野 2:05.9
第22回exit_nicovideo 2020年7月8日 大井 2000m ダノンファラオ 3 JRA 坂井瑠星 2:05.9
第21回exit_nicovideo 2019年7月10日 大井 2000m クリソベリル 3 JRA 川田将雅 2:06.1
第20回exit_nicovideo 2018年7月11日 大井 2000m ルヴァンスレーヴ 3 JRA M.デムーロ 2:05.8
第19回exit_nicovideo 2017年7月12日 大井 2000m ヒガシウィルウィン 3 船橋 本田正重 2:05.8
第18回 2016年7月14日 大井 2000m キョウエイギア 3 JRA 戸崎圭太 2:05.7
第17回exit_nicovideo 2015年7月8日 大井 2000m ノンコノユメ 3 JRA C.ルメール 2:05.6
第16回exit_nicovideo 2014年7月9日 大井 2000m ゼノ 3 JRA 秋山一郎 2:03.9
第15回exit_nicovideo 2013年7月10日 大井 2000m クリソライト 3 JRA 内田博幸 2:04.8
第14回exit_nicovideo 2012年7月11日 大井 2000m ハタノヴァンクール 3 JRA 四位洋文 2:05.3
第13回exit_nicovideo 2011年7月13日 大井 2000m グレープブランデー 3 JRA 横山典弘 2:04.9
第12回exit_nicovideo 2010年7月14日 大井 2000m マグニフィカ 3 船橋 戸崎圭太 2:05.2
第11回exit_nicovideo 2009年7月8日 大井 2000m テスタマッタ 3 JRA 岩田康誠 2:04.5
第10回exit_nicovideo 2008年7月9日 大井 2000m サクセスブロッケン 3 JRA 横山典弘 2:04.5
第9回exit_nicovideo 2007年7月11日 大井 2000m フリオーソ 3 船橋 今野忠成 R2:02.9
第8回 2006年7月12日 大井 2000m フレンドシップ 3 JRA 内田博幸 2:06.1
第7回exit_nicovideo 2005年7月13日 大井 2000m カネヒキリ 3 JRA 武豊 2:04.9
第6回exit_nicovideo 2004年7月8日 大井 2000m カフェリンポス 3 JRA 柴田善臣 2:04.5
第5回exit_nicovideo 2003年7月8日 大井 2000m ビッグウルフ 3 JRA 武豊 2:04.9
第4回 2002年7月4日 大井 2000m ゴールドアリュール 3 JRA 武豊 2:04.1
第3回exit_nicovideo 2001年7月12日 大井 2000m トーシンブリザード 3 船橋 石崎 2:05.8
第2回 2000年7月12日 大井 2000m イネルコバット 3 JRA 大西直宏 2:06.4
第1回exit_nicovideo 1999年7月8日 大井 2000m オリオンサンクス 3 大井 田秀治 2:06.9

関連コミュニティ・チャンネル

関連項目

脚注

  1. *勘違いされやすいが、一応その抜け殻的スーパーチャンピオンシップとは2001年までの3年間併存されていた形になる。
  2. *ナイキアディライトビッグウルフユートピアとの競り合いの末に3着に敗れた。シーチャリオット東京ダービー後に骨折してしまい念の回避。クラーベセクレタロジータ以来となる南関東三冠達成なるかと期待されたものの、グレープブランデーボレアスの前に3着に敗れたうえに後日失格処分となってしまった。ハッピースプリント写真判定でカゼノコと僅差の2着に敗れた。
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