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アウトコストゥルツィオーニ・ソシエタ・ペル・アツィオーニ(Autocostruzioni Società per Azioni)とは、イタリア共和国の過去の自動車製造業者である。社名のSocietà per Azioniは、2020年現在のイタリア企業に見られるS.p.A.のことのようだ。
自社の略称であるASA-アーザ-をブランド名として、自動車を製造、販売した。
概要
歴史
アウトコストゥルツィオーニは元々、フェラーリが開発した量産スポーツカーを製造・販売するために創設された。
1959年12月にフェラーリから発表された、854と呼ばれる量産スポーツカーの計画は、排気量850㎤の4気筒エンジンを搭載し価格は160万イタリアリラを想定。年間3000から5000台生産するというもので、構想された車両はフェラリーナとの通称が付けられていた。
アバルト等の影響を受けてエンツォ・フェラーリが推進したこの計画は、一説では元々エンジンのみの開発が目的であり、発表もエンジンを売り込むためのものだったともされる。一方で実際にフェラーリとしての販売が検討されたこともあったという説もある。
しかし高級かつ大排気量路線のフェラーリブランドに傷が付くことを懸念され、フェラーリ及びディーノの名称を与えないと決定。また、これほどの量産を行うにはフェラーリ社工場の規模も足りなかったため、1960年にはエンツォは854の生産を別の企業に委ねることを決定した。しかし契約先の確保は難航し、1961年にはサローネ・デラウトモービレ-トリノモーターショー-にて、エンツォ自らが完成車のプレゼンを行っている。一説ではこの時点で契約先が決まっていたとの説もある。
この権利を獲得したのがエンツォ・フェラーリの友人、オロンツィオ・デ・ノーラである。彼の子、ニッコロ・デ・ノーラが自動車産業への参加に関心を示しており、その要求に応える形で取得したようだ。
オロンツィオは自らが経営するデ・ノーラ・エレクトロケミカル・グループの元、1962年4月5日にアウトコストゥルツィオーニを設立。本社はロンバルディーア州、ミラノ県ミラノ、ランブラーテのサン・ファウスティーノ通り、デ・ノーラの工場近くに置かれ、代表にはニッコロが就任した。そしてフェラーリに代わるブランドとしてアウトコストゥルツィオーニS.p.A.の略称であるASA-アーザ-が誕生。1962年のサローネ・デラウトモービレにて854はアーザ・1000GTへと名を変えて発表されることとなる。
名こそ変えたものの、製造面でフェラーリの支援を受け、販売網もフェラーリのものが用いられるなど依然フェラーリ社との繋がりは深い。特にエンジンの製造はフェラーリが担当したとも言われている。しかし生産上の問題から生産開始が2年遅れ、発売されたのは1964年になってからだった。
だが、廉価な大量生産車だったはずの854に対し、1000GTはその生産規模を大きく縮小。価格も252万イタリアリラ、米ドル換算で4000米ドルにまで高騰し、アメリカでは更に高騰し6000米ドル前後を推移した。この価格はより大排気量の車両より高額で、アメリカ価格ではあのシボレー・コルベットよりも高級であった。フェラーリとの関係は愛好家には知られていたとはいえ、新興ブランドであるアーザにはその価格差を埋める魅力もなかったと思われ、販売面で苦戦することとなる。
こうした事態を打破しブランドイメージを確立しようと、アーザはレース活動に注力した。だが、経営は安定せず1966年には財政難になり、1967年に工場も閉鎖。その後も車両開発は続けたようだが1969年には社も精算され、フェラーリ自身もあまり利益を得られなかったとされている。
最終的な生産台数は全モデル合計で100台ほどとされている。かつては200台以上とされていたが、これはシャーシの未使用番号も加算されていたと考えられている。
製品
- アーザ(ASA)
- 854を生産する為に用意されたブランド。社の略称が由来であるため、社そのものを指す際にも用いられる。1000GTを中心に様々なモデルを開発し、その品質も好評だったが、「フェラーリと同じ生産方法」だったために価格が高騰したと言われており、肝心の1000GTの競争力が失われてしまう結果となった。更に主要な顧客はフェラーリマニアとの説もあり、実際にアーザのロゴをフェラーリの跳ね馬に交換したと思われる車両が確認できることから、アーザ独自の価値を構築出来たとは言い難い。遅くとも1966年には日本に輸入されたとされる。
- フォーミュラ2
- 名称不明。アーザの名称を使用するつもりだったのかも定かではない。清算直前に製造され、1600㎤コスワースFVAエンジンを搭載したが、社の精算に伴い走る事はなかった。
関連項目
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