アメンホテプ4世とは、エジプトの第18王朝のファラオである。別名、アクエンアテン(イクナートン)。
概要
首都であるテーベに神殿を築き、わずか数年間で巨大な都を完成させる。
が、そのテーベを即位中に放棄した。
放棄した理由として最も有力なのが、神官の存在である。神官たちは国家の経済を握り、およそ国家収入の半分をその手中に収めていたと言われる。神官たちはテーベに自らをたたえるレリーフを建造し、ファラオさえもしのぐほどの権威と権力、そして経済力を手にした。
アメンホテプ4世はそのような現状を嫌い、テーベを放棄し、アケトアテン、現在のアマルナへと遷都する。これをアマルナ改革と呼ぶ。
アメンホテプ4世は、既存勢力が跳梁跋扈するテーベから逃れ、一から全てやり直すことを命令し、神殿や王宮を建設、さらにはそれまでの多神教を廃し、一神教・アテン信仰を始める。これは世界で初めての一神教であるが、同時にアメンホテプ4世自身も崇拝するように取り決めたため、実際には二神教と言われることもある。
しかしながら、結局遷都は失敗。現在のアマルナは砂に埋もれており、息子・ツタンカーメンの手によって首都は再びテーベに戻される。その後、アメンホテプ4世に関する石碑などの記述は削り取られ、ミイラも破壊を免れるために、別の場所に移されることになった。このことからも、神官の大きな恨みを買ったことがうかがえる。
現在は、破壊を免れた碑文がかろうじて彼の業績をたたえるのみであり、彼の存在が知られたのも、19世紀に発掘が始まってからである。それまで、アメンホテプ4世は徹底的に歴史から抹殺されていた。
一説には、ユダヤ教のルーツがこのアテンを神とする一神教なのではないかとも言われている。アテンをたたえる詩と、旧約聖書の詩編に類似点が指摘されている。
彼の始めたアマルナ美術は、写実的であることが大きな特徴であり、アメンホテプ4世の姿も、神々しいタラコ唇を含めて現在に伝わっている。
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