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ガレスベイル
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ガレス・ベイルGareth Frank Bale, 1989年7月16日 - )とは、ウェールズの元サッカー選手である。
サッカーウェールズ代表

現役時代のポジションMFまたはFW。利き足は左足。186cm81kg。

ギャレス・ベイルとも表記される。

概要

ウェールズカーディフ出身。デビュー当初は左サイドバックだったが、トッテナム・ホットスパー移籍後にウイングコンバートされると才一気に。PFA年間最優秀選手賞を2回、 PFA年間ベストイレブンに3回選出されるなど、数々の個人賞を受賞し、ワールドクラスのアタッカーへと成長する。2013年には1億80万ユーロともいわれる巨額の移籍金でレアル・マドリードへ移籍。クリスティアーノ・ロナウドカリム・ベンゼマとのトリオは「BBCトリオ」と呼ばれ、三連覇を含めた4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献している。

ウェールズ代表には2006年16歳325日の若さデビュー2022年引退するまで111試合41ゴールという数字を残し、同代表の最多出場記録、最多得点記録を保持している。EURO2016ではウェールズ代表を初出場に導いたうえに本大会ではベスト4という大躍進に貢献している。2022 FIFAワールドカップでは64年ぶりの本大会出場を導き、イアン・ラッシュやライアン・ギグスといったレジェンドですら成し遂げられなかった偉業を残している。

圧倒的なスピードとフィジカル、強な左足のキック武器としており、全盛期ボールを持って前を向かせたら最後、圧倒的なスピードと推進力を駆使して一人でゴール前まで持っていくという理不尽な選手だった。キャリアの晩年期は度重なる怪で欠場が多く、ジネディーヌ・ジダン監督との間に確執が取り沙汰されていた。

大のゴルフ好きとして知られ、ハンディキャップ「2」プロゴルファー顔負けの腕前の持ちサッカーよりもゴルフのほうが好きなのではと言われることもあった。レアル・マドリード時代はゴルフをするためにサッカー試合を休んでいると揶揄されることもあった。

経歴

生い立ち

1989年7月16日ウェールズカーディフで二人兄弟の末っ子として生まれる。父親学校管理人母親はオペレーションマネージャーであり、叔父クリスパイクはフラムFCカーディフ・シティFCで活躍したサッカー選手であった。父親や周囲の環境自然サッカーに向いていたことから自然サッカーボールを蹴るようになっていた。

幼い頃からスポーツで、学校では様々スポーツを経験してたが、その中でもサッカーは特に天才と呼ばれていた。本格的にサッカーを始めたクラブであるカーディフ・シヴィル・サーヴィスで6人制トーナメントに出場したときにそのプレーぶりが注されるようになり、9歳のときにはサウサンプトンFCからのスカウトを受けていた。

10歳になった1999年サウサンプトンFCアカデミーに入団。高校時代には、教師の勧めによりホッケーラグビー、長距離走、器械体操など様々なスポーツしんでおり、14歳のときには100mを11.4で走る俊足ぶりを発揮していた。サッカーの腕前があまりにも優れていたため、学校体育教師は、ベイルワンタッチサッカーしかできず、左足を使わないようにという特別なルールを作らなければならなかった。下部組織時代はに左サイドバックウイングバックとしてプレーし、圧倒的なスピードと左足のキック、そしてプレーキックの技術を培い、セオ・ウォルコットらとともに、サウサンプトンが輩出した史上最高のタレントの一人と称されるまでになる。

サウサンプトン

2005年7月イングランドEFLチャンピオンシップ(2部)のサウサンプトンFCプロ契約を交わす。2005-06シーズン終盤になってトップチームから招集がかかり、2006年4月17日ミルウォールFC戦でプロデビューを飾る。16歳275日でのデビューはセオ・ウォルコットに次ぐ史上2番に若いデビューとなった。

2006-07シーズンになると左サイドバックレギュラーを掴み、2006年8月6日ダービーカウティ戦ではFKからの直接ゴールによるプロゴールを決める。10月17日のコベンリー・シティ戦ではまたもやFKからゴールを決める。爆発的なスピードと精度の高い左足のキック武器とする攻撃的左サイドバックとして17歳ながらもチーム力に定着し、急速に評価を高めていく。セットプレーのみならず得点力そのものも高く、サイドバックながら前半戦でリーグ戦で5ゴールを挙げていた。チームは昇格プレーオフに進出しながらプレミアリーグ昇格を逃したが、リーグ戦38試合5ゴール覚ましい活躍を見せていたことからの移籍市場ではビッグクラブがごぞって触手を伸ばす存在となっていた。

トッテナム

2007年5月25日、様々なクラブの争奪戦を制したイングランドプレミアリーグトッテナム・ホットスパーと4年契約を交わしたことが発表される。2007年8月26日マンチェスター・ユナイテッド戦でプレミアリーグデビューを果たす。出場2試合となった9月1日フラムFC戦ではプレミアリーグゴールを決める。9月15日アーセナルとのノースロンドンダービーでもゴールを決め、加入間もなくして印に残る活躍を見せる。ところが、12月2日バーミンガム・シティ戦でタックルを受けた際に右足首靭帯損傷の大怪を負い、長期の戦線離脱を強いられる。手術を受けたが、このままシーズン終了となる。

2008-09シーズンに復帰を果たしたものの、怪の後遺症に苦しみ本来のプレーレベルを取り戻すことができず、左サイドバックとしては守備面での対応の拙さやスタミナ不足が露呈され、レギュラー獲得に至らなかった。結局リーグ戦16試合0得点という不本意な結果に終わり、挫折を経験する。ちなみに、スパーズ加入以来ベイルが出場した試合は24試合勝利という事態が続ていた。

2009-10シーズン2009年6月に膝の手術を受けたことでプレシーズンに合流できず、開幕から数試合を欠場する。しかも左サイドバックポジション争いで好調のブノワアスエコットに敗れ、バックアッパーという立場に甘んじていた。それでもハリーレドナップ監督カップ戦などで少しずつ起用することでチャンスを与え、2010年4月アーセナルとのノースロンドンダービーで決勝ゴールを決め、復活狼煙をあげる。3日後のチェルシーFC戦でも2試合連続での決勝ゴールを決め、MOMに選出。この2試合の活躍が決め手となり、4月最優秀選手に選出。終盤戦の活躍により、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献する。

2010-11シーズンになると、レドナップ監督ベイルを左サイドバックから左ウイングコンバートする。2010年8月21日ストーク・シティ戦では2ゴールを決める活躍を見せ、コンバートが成功であることを明する。8月24日CLプレーオフヤングボーイズ戦ではチームの4ゴール全てをアシストする大車輪の活躍を見せる。10月20日CLグループステージ第3節アウェイインテル・ミラノ戦ではプロとなって初となるハットトリックという圧巻の活躍をやってのける。続く11月2日ホームインテル戦でも2アシスト記録し、勝利に貢献。この前年の欧州王者相手の大活躍によってベイル世界的な知名度は飛躍的に上昇し、一気にスターダムへと上り詰める。攻撃的なポジションへ配置転換されたことで弱点だった守備の負担が軽減され、スピードスタミナ、そして強力な左足シュートを活かした決定力が開し、サイドを切り裂くスペシャリストとしての地位を確立公式戦41試合11ゴールとキャリアハイを大幅に更新し、2011年4月17日、サミルナスリ、カルロス・テベスらを抑えてPFA年間最優秀選手賞を受賞。

2011-12シーズンも開幕から好調を維持し、多くの得点に関与。縦へのスピードだけでなく、カットインからのシュートスルーパスなど、攻撃の幅を広げ、 高速ドリブルと強力なキック力はすでに世界トップクラスと評されていた。2012年1月31日ウィガン・アスレティック戦で2ゴールを決め、公式戦でのゴール数が2年連続で二桁に到達。プレミアリーグで3得点2アシスト記録し、キャリアで2度プレミアリーグ最優秀選手に選ばれる。チームリーグ4位に入りながらもCL出場権を得られず、移籍も取り沙汰されたが、オフ2016年までの契約延長に合意する。

2012-13シーズンは本人の希望により背番号を3から11に変更。アンドレ・ビラス・ボアス監督によってトップ下でプレーするようになり、2012年9月29日マンチェスター・ユナイテッド戦でチームの2点を決め、チーム1989年以来となるオールド・トラフォードでの勝利をもたらす。文字通りチームの攻撃の全権を担うような存在となり、個人の力で試合を打開する場面が毎回のように見られる際立ったパフォーマンスを披露していた。ボクシング・デーのアストン・ヴィラ戦ではプレミアリーグでは初となるハットトリックを達成。むしろこのシーズンスパーズはベイルワンマンチームと言われるほどだった。特に2013年1月から2月にかけてのパフォーマンスは際立っており、2ゴールを決めた2月25日ウェストハム戦では試合終盤に30ヤード離れた位置からのロングシュートによる決勝ゴールを決める。この圧巻のパフォーマンスによって2月最優秀選手に選出。5月4日、古巣のサウサンプトン戦がスパーズでの200試合の出場となり、この試合ゴールによってリーグ戦20ゴールの大台に到達。高速ドリブルでディフェンラインを切り裂き、左足から放たれる強なミドルシュート回転ドライブシュートゴールを量産し、公式戦44試合26ゴールと個人では最高のシーズンとなり、PFA年間最優秀選手賞、PFA年間最優秀若手選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞。

レアル・マドリード

2013年9月1日スペインリーガ・エスパニョーラの名門レアル・マドリードへの移籍が発表される。契約期間は6年間で、移籍金は当時の最高額となる1億80万ユーロとなった。9月14日デビュー戦のビジャレアルCF戦でマドリーでのデビューとなり、この試合で初ゴールを決める。だが、左ウイングクリスティアーノ・ロナウドという絶対な存在がいたことからポジションがこれまであまり経験しなかった右ウイングとなったことに加え、怪がちだったことからチームへの順応に時間がかかり、10月26日の初のエル・クラシコとなったFCバルセロナ戦で低パフォーマンスだったことから批判を受ける。それでも10月30日セビージャFC戦で2ゴール2アシストと結果を残すと、11月30日のバリャドリード戦ではマドリーで初のハットトリックを達成。2014年になると調子がさらに上がり、リーガでは第31節から33節まで3試合で4ゴール記録する。4月16日、コパ・デル・レイ決勝のバルセロナ戦では75mを独走しての決勝ゴールを決め、タイトル獲得に貢献。5月24日CL決勝のアトレティコ・マドリード戦では延長後半5分にヘディングで逆転ゴールを決め、マドリーの記念すべき10回ビッグイヤー戴冠をもたらす。移籍1年公式戦22ゴール16アシストという成績を残し、クリスティアーノ・ロナウドカリム・ベンゼマとのトリオは「BBCトリオ」と呼ばれ、3人合わせて97ゴールを決めている。

2014-15シーズンも好調なスタートを切り、2014年9月20日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で2ゴールを決める。ところが、10月の代表戦で離れを起こして戦線を離脱。その間にハメス・ロドリゲスイスコが好調だったことでスタメンから外すべきという意見が出るようになる。12月モロッコで開催されたFIFAワールドカップ2014では決勝のサン・ロレンソ戦で決勝ゴールを決め、タイトル獲得をもたらす。ところが、2015年に入るとしばらくゴールから遠ざかり、利己的なプレーや守備の献身性の少なさから批判を浴びるようになる。4月にはふくらはぎの負傷でまたも戦線を離脱し、一定の数字は残したが、1年を下回る評価となった。

2015-16シーズンも怪での離脱が多く、出場した試合数は少なかったものの、出場した試合では多くのゴールアシスト記録2015年12月2日ラージョ・バジェカーノ戦では自身のキャリア初となる1試合4ゴール記録し、10-2という記録的な大勝をもたらす。ジネディーヌ・ジダン監督が就任した最初の試合となった2016年1月9日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦ではシーズン2度となるハットトリックを達成。1月19日のスポルティング・ヒホン戦でふくらはぎを負傷し、2か間戦線を離脱。リーグ戦では23試合で19ゴールと高い決定率を残したが、CLでは不思議ゴールを決めることができなかった。それでも決勝のアトレティコ・マドリード戦ではセルヒオ・ラモスゴールアシストし、ビッグイヤー戴冠に貢献している。

2016-17シーズンラ・リーガ開幕直後のレアル・ソシエダ戦で2ゴールを挙げ、チームの開幕からの快進撃に貢献する。2016年10月23日にはクラブとの契約2022年まで延長するが、11月22日CLグループステージスポルティングCP戦で右足首を負傷し、手術をおこなったことでまたもや長期の戦線離脱となってしまう。2017年2月23日ラ・リーガ第23節RCDエスパニョール戦で3かぶりに復帰し、ゴールも決めて復活アピールする。ところが、4月23日の第33節バルセロナとのエル・クラシコでは怪を再発させてまたもや戦線を離脱する。それでも故郷カーディフで開催されたCL決勝のユヴェントス戦で復帰を果たし、試合終盤にベンゼマとの交代で投入され、CL連覇に立ち会う。

2017-18シーズンの前半戦も怪に悩まされて欠場が多く、コンディションが万全でなかったことからスタメンの座を奪われることも増え、ジダン監督との信頼関係も微妙なものとなる。しかし、後半戦になるとコンディションが上がったことでゴールアシストを量産するようになり、26試合16ゴールという成績を残す。2018年5月26日CL決勝のリヴァプールFC戦では後半16分から投入されると、後半21分にマルセロクロスバイシクルキックで合わせたゴールを決め、38分には回転のミドルシュートという2つのゴラッソによりチームCL三連覇の偉業達成に貢献。CL決勝のMOMにも選出されている。

2018-19シーズンクリスティアーノ・ロナウドが移籍したことによりBBCトリオが崩壊するが、これによってチーム内での重要度が増し、開幕3試合連続ゴールと好スタートを切る。2018年12月FIFAクラブワールドカップ2018では準決勝の鹿島アントラーズ戦でハットトリックを達成し、大会三連覇に貢献。さらに大会得点王と最優秀選手の個人タイトルも獲得する。2019年2月19日アトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービークラブ通算100ゴールとなるゴールを決めるが、その際のゴールパフォーマンスが侮辱的なジェスチャーを意味するものとして物議を醸す。3月に以前から緊状態にあったジダン監督電撃的にチームに復帰すると状況が一変。出場機会が減してしまい、ベンチはおろか招集外になることさえあり、メディアファンからはチーム冠に終わったスケープゴートにもされてしまう。

オフ期間にジダン監督から構想外であることが告げられ、中国の江寧への移籍が確実視されていたが、移籍交渉はまとまらず、2019-20シーズンも残留する。ラ・リーガ第3節のビジャレアル戦で2ゴールを決めるなど開幕当初は好調だったが、10月の代表戦で負傷し戦線を離脱。しかも11月の代表戦での振る舞いによってマドリティスタとの関係も悪化し、以降ははベンチ外になることが多く、出場しても低調なパフォーマンスに終始。公式戦わずか3ゴールとキャリアワーストといえるシーズンとなり、チームリーガ優勝を果たしたが、帳の外といえる状況にあった。

トッテナム

2020年9月19日、古巣であるイングランドプレミアリーグトッテナム・ホットスパーに期限付き移籍という形で7年ぶりに復帰することが発表される。加入後は負傷やフィットネス不足に悩まされていたが、11月1日ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC戦で復帰後初ゴールを決める。12月3日UEFAヨーロッパリーグLASK戦でキャリア200ゴールを達成。2021年に入ってから身体のキレが戻り、2月28日バーンリーFC戦で2ゴール1アシスト記録3月7日クリスタル・パレスFC戦でも2ゴールを決め、直近6試合で6ゴール記録5月2日プレミアリーグ第34節マンチェスター・ユナイテッド戦でハットトリックを達成。久々の古巣で公式戦34試合16ゴールという成績を残し、復活を遂げた。

レアル・マドリード

2021-22シーズンレアル・マドリードに復帰。しかし、ここでも怪に悩まされたうえにヴィニシウス・ジュニオールの台頭によってもはやクラブに居場所はなく、2021年12月には新型コロナウィルスに感染。後半戦には恩師であったカルロ・アンチェロッティ監督からも戦力外という扱いを受けることになり、公式戦7試合1得点という成績に終わる。2022年6月1日契約満了により退団を発表。

ロサンゼルスFC

2022年6月27日アメリカMLSロサンゼルスFCに2年契約で加入することが発表される。7月23日のスポルティング・カンザスシティ戦で移籍後初ゴールを決める。レギュラーシーズンではコンディションの問題でさほど試合に出場することができず、スタメンで出場したのは2試合のみとなった。一方、MLSカップ決勝では延長前半から途中出場すると、延長後半8分にヘディンシュートを決め、値千金の同点ゴールを決める。その後チームPK戦を制し、初のMLS制覇を成し遂げる。

2023年1月9日、自身のSNSを通じて33歳での現役引退を表明する。理由として父親病気をあげている。

ウェールズ代表

祖母イングランド人であることからイングランド代表としてプレーすることも可であったが、本人の強い希望によりウェールズ代表を選択。2005年にはU-17ウェールズ代表に選出されると、その後すぐにU-19代表、U-21代表に飛び級で選出される。

2006年5月プロデビューして間もない時期にもかかわらずフル代表に招集され、5月25日トリニダード・トバゴ戦で16歳315日の史上最年少記録ウェールズ代表にデビューする。10月7日EURO2008予選のスロバキア戦で1-5と大敗したものの、FKによって史上最年少得点記録となる代表初ゴールを決める。

デビュー後間もなくしてレギュラーに定着し若くして代表の中心選手となるが、当時のウェールズ際大会に出場するだけの力はなく、EURO20082010 FIFAワールドカップEURO20122014 FIFAワールドカップとことごとく予選敗退に終わっている。2014 FIFAワールドカップ欧州予選ではアタッカーコンバートされたことでチーム最多の6ゴール記録するが、本大会出場に届かなかった。

2012年7月ロンドンオリンピックに出場するイギリスオリンピック代表のメンバーに名を連ねるが、大会直前のトレーニング中に背中と股関節を負傷したことで出場辞退を余儀なくされる。

2014年9月からスタートしたEURO2016予選では初戦のアンドラ戦で2ゴールを決め、チームスタートに貢献。この頃のウェールズ代表はアーロンラムジー、ジョーアレンといったプレミアリーグで活躍するタレントチームの中心として台頭しており、その中でもベイルは絶対的なエースとしてチームを牽引。2015年イスラエル戦、ベルギー戦、キプロス戦では3試合連続でのゴールを決め、チームの3連勝に貢献。10月13日の最終節アンドラ戦ではチームの2点を決め、ウェールズ代表を1958年以来の際大会出場となる本大会初出場へ導く。予選を通して10試合7ゴールというチームトップの成績を残している。

2016年6月フランスで開催されたEURO2016に出場。自身のキャリアで初の際大会の舞台となった初戦のスロバキア戦では前半10分にFKによる先制ゴールを決め、ウェールズ史上初のUEFA欧州予選での得点者となり、大会初勝利に貢献する。第2戦のイングランド戦でもFKによる先制ゴールを決めるが、その後チーム逆転負けを喫している。1勝1敗で迎えた第3戦のロシア戦では1ゴール1アシストの活躍で3-0の勝利をもたらし、3試合連続ゴールによってグループ2位での突破に貢献。ラウンド16の北アイルランド戦ではクロスから決勝ゴールとなるオウンゴールを誘い、この試合MOMを獲得。準々決勝では自身のゴール関与こそなかったものの、チームは強ベルギーを破る大金星によってベスト4進出の大番狂わせを起こす。準決勝でチームメイトクリスティアーノ・ロナウドを擁するポルトガルに敗れはしたが、ベスト4入りというサプライズを起こし、UEFAによる大会のベストイレブンにも選出されている。

EUROでの快進撃によってFIFAワールドカップ初出場への期待値も大きく高まった2018 FIFAワールドカップ欧州予選だったが、自身はチームトップの4ゴールを決めたものの、2017年に入って怪に悩まされて不在となったことがき、予選3位で敗退に終わる。2018年3月22日中国との試合で代表では初となるハットトリックを達成。これにより代表での通算ゴールイアン・ラッシュを抜いて29ゴールに到達し、ウェールズ代表の最多得点記録保持者となる。2019年からは正式に代表のキャプテンに就任。

2021年EURO2020で2大会連続での本大会出場を果たす。グループリーグ第2戦のトルコ戦ではPKを失敗したものの、2アシスト記録チームを大会初勝利に導き、MOMに選出。チームは1勝1分1敗のグループ2位で決勝トーナメントに進出。しかし、ラウンド16のデンマーク戦で大敗し、前回ほどの躍進を遂げることはできなかった。

2021年9月スタートした2022 FIFAワールドカップ欧州予選では初戦のアウェイベラルーシ戦で代表では2度となるハットトリックを達成。11月13日ホームベラルーシ戦で史上2人となるウェールズ代表100試合出場を達成。プレーオフでは2022年3月22日の準決勝のオーストリア戦で2ゴールを決めれば、決勝のウクライナ戦でも前半34分に値千金の決勝ゴールを決め、ウェールズ1958年大会以来64年ぶりとなる本大会出場へ導く。

2022年11月カタールで開催された2022 FIFAワールドカップが33歳にして初のワールドカップ出場となった。コンディション面に不安を抱えての大舞台となったが、初戦のアメリカ戦でPKによるワールドカップゴールを決め、チームに勝ち点1をもたらし、MOMにも選出される。第2戦のイラン戦で代表通算110試合の出場となり、ウェールズ代表最多試合出場記録保持者となる。しかしチームイラン戦、第3戦のイングランド戦に連敗し、1勝も挙げられないままグループリーグ敗退となる。ワールドカップ後の2023年1月に現役を引退

ウェールズ代表通算 111試合41ゴール

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2005-06 サウサンプトン EFLチャンピオンシップ 2 0
2006-07 サウサンプトン EFLチャンピオンシップ 38 5
2007-08 トッテナム プレミアリーグ 8 2
2008-09 トッテナム プレミアリーグ 16 0
2009-10 トッテナム プレミアリーグ 23 3
2010-11 トッテナム プレミアリーグ 30 7
2011-12 トッテナム プレミアリーグ 36 9
2012-13 トッテナム プレミアリーグ 33 21
2013-14 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 27 15
2014-15 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 31 13
2015-16 レアル・マドリード リーガ・エスパニョーラ 23 19
2016-17 レアル・マドリード ラ・リーガ 19 7
2017-18 レアル・マドリード ラ・リーガ 26 16
2018-19 レアル・マドリード ラ・リーガ 29 8
2019-20 レアル・マドリード ラ・リーガ 16 2
2020-21 トッテナム(loan) プレミアリーグ 20 11
2021-22 レアル・マドリード ラ・リーガ 5 1
2022 ロサンゼルスFC MLS 12 2

個人タイトル

プレースタイル

キャリア初期は左サイドバックだったが、左ウイングコンバートされ、キャリアを重ねるごとに前線の様々なポジションプレーするアタッカーとなっていった。圧倒的なスピードとフィジカルを武器に、サイドから強引に突破しての快な左足シュートが持ち味であり、ロングドリブルで相手ディフェンスを抜き去る力が高く、特にCL決勝など大舞台での勝負強さが際立っていた。

最大の武器爆発的なスピードであり、大きく蹴りだして、スピード勝負をするドリブルを得意としており、広大スペースを与えれば手がつけられない。初速もさることながら、全盛期は時速36.9kmというありえないほどの記録を持っており、ショートカウンターで特にきを放つ。エリア付近まで持っていかれてしまうと高確率得点アシストをするので、相手DFはその前にファールで止めるしか方法がなかった。

左足のキックの精度と威力も世界トップクラスであり、左サイドからカットイン、あるいは右サイドから斜めに切り込み、強クロスファイア(ファーポストへの鋭い弾道)のシュートによって高い得点力を発揮する。中長距離からのシュートの決定力も高く、パワフルな左足キックからのフリーキックも得意としており、何度もFKでのゴールを決めている。ベイルシュートの際に体重を乗せるのがうまく、バランスが崩れた状態でも蹴り足だけをボールに当てることができた。さらにカーブを巻いたテクニカルキックも得意で弾丸キックと使い分けも可

体格に恵まれていることからフィジカルも強く、スピード勝負で追いつかれたとしても半歩前に出て肩を押し込むことで接触されてもバランスを崩さなかった。高い打点を活かしたヘディングの名手でもあり、正確にボールを捉える技術も高かったことからヘディングでのゴールも多い。

プリント系の選手の宿命でもあるが、怪の多さから稼働率の悪さが最大の泣き所であった。サイドバック時代から守備を苦手としていたが、ウイングに転向してからは元サイドバックとは思えないほど守備の意識が低く、献身性の低さから何かと批判を受けた。規を重んじるジダン監督と対立したのも献身性のさとセルフィッシュな振る舞いが原因とされた。さらに自分の個人技に絶対の自信がある故にプレーが単調になりがちで、スペースを消されてマークを受けたときは試合から消えていた。

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ガレス・ベイル

1 ハゲ3号
2013/04/22(月) 12:42:53 ID: hDhpbzvYCP
記事作成乙
ベイルは末恐ろしい選手だ・・・。少なくともFKはクリスティアーノ・ロナウドより正確で、ドリブルく、得点力も高い選手。
このままスパーズにいてほしいなあ・・・
👍
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2 ななしのよっしん
2016/10/09(日) 10:11:05 ID: 9KifWirBUB
ジダン監督になった辺りから守備意識も高まった
代表ではユーロベスト4だし次のワールドカップも予選突破できそう
誕生日人へプロポーズして成功
いい傾向だ
👍
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3 ななしのよっしん
2017/05/23(火) 00:36:45 ID: eHQ/s1Pzko
けがが非常にもったいないなぁ。CL決勝は、ウェールズだというのに(´・ω・`)
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4 カサハンラ
2018/05/28(月) 00:29:25 ID: zZfUzuQIFS
ものすごいゴールだったね
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5 ななしのよっしん
2019/04/08(月) 02:19:54 ID: rLBdP9gLcr
かれまくってるな
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6 ななしのよっしん
2023/01/10(火) 01:11:02 ID: DFBRGsRcc+
引退しちゃったな。
キャリアの晩年はかれることも多かったけど、記憶にも記録にも残る名選手だったことに疑いの余地はない。
特にチャンピオンズリーグ3連覇のときのゴールはやばかった。
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