ガレス・ベイル(Gareth Frank Bale, 1989年7月16日 - )とは、ウェールズの元サッカー選手である。
元サッカーウェールズ代表。
現役時代のポジションはMFまたはFW。利き足は左足。186cm81kg。
ギャレス・ベイルとも表記される。
概要
ウェールズ・カーディフ出身。デビュー当初は左サイドバックだったが、トッテナム・ホットスパー移籍後にウイングへコンバートされると才能が一気に開花。PFA年間最優秀選手賞を2回、 PFA年間ベストイレブンに3回選出されるなど、数々の個人賞を受賞し、ワールドクラスのアタッカーへと成長する。2013年には1億80万ユーロともいわれる巨額の移籍金でレアル・マドリードへ移籍。クリスティアーノ・ロナウド、カリム・ベンゼマとのトリオは「BBCトリオ」と呼ばれ、三連覇を含めた4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献している。
ウェールズ代表には2006年に16歳325日の若さでデビュー。2022年に引退するまで111試合41ゴールという数字を残し、同国代表の最多出場記録、最多得点記録を保持している。EURO2016ではウェールズ代表を初出場に導いたうえに本大会ではベスト4という大躍進に貢献している。2022 FIFAワールドカップでは64年ぶりの本大会出場を導き、イアン・ラッシュやライアン・ギグスといったレジェンドですら成し遂げられなかった偉業を残している。
圧倒的なスピードとフィジカル、強烈な左足のキックを武器としており、全盛期はボールを持って前を向かせたら最後、圧倒的なスピードと推進力を駆使して一人でゴール前まで持っていくという理不尽な選手だった。キャリアの晩年期は度重なる怪我で欠場が多く、ジネディーヌ・ジダン監督との間に確執が取り沙汰されていた。
大のゴルフ好きとして知られ、ハンディキャップは「2」とプロゴルファー顔負けの腕前の持ち主。サッカーよりもゴルフのほうが好きなのではと言われることもあった。レアル・マドリード時代はゴルフをするためにサッカーの試合を休んでいると揶揄されることもあった。
経歴
生い立ち
1989年7月16日、ウェールズのカーディフで二人兄弟の末っ子として生まれる。父親は学校の管理人、母親はオペレーションマネージャーであり、叔父のクリス・パイクはフラムFCやカーディフ・シティFCで活躍したサッカー選手であった。父親の影響や周囲の環境が自然とサッカーに向いていたことから自然とサッカーボールを蹴るようになっていた。
幼い頃からスポーツ万能で、学校では様々スポーツを経験してたが、その中でもサッカーは特に天才と呼ばれていた。本格的にサッカーを始めたクラブであるカーディフ・シヴィル・サーヴィスで6人制トーナメントに出場したときにそのプレーぶりが注目されるようになり、9歳のときにはサウサンプトンFCからのスカウトを受けていた。
10歳になった1999年にサウサンプトンFCのアカデミーに入団。高校時代には、教師の勧めによりホッケー、ラグビー、長距離走、器械体操など様々なスポーツに親しんでおり、14歳のときには100mを11.4秒で走る俊足ぶりを発揮していた。サッカーの腕前があまりにも優れていたため、学校の体育教師は、ベイルがワンタッチサッカーしかできず、左足を使わないようにという特別なルールを作らなければならなかった。下部組織時代は主に左サイドバックやウイングバックとしてプレーし、圧倒的なスピードと左足のキック、そしてプレースキックの技術を培い、セオ・ウォルコットらとともに、サウサンプトンが輩出した史上最高のタレントの一人と称されるまでになる。
サウサンプトン
2005年7月、イングランド・EFLチャンピオンシップ(2部)のサウサンプトンFCとプロ契約を交わす。2005-06シーズン終盤になってトップチームから招集がかかり、2006年4月17日のミルウォールFC戦でプロデビューを飾る。16歳275日でのデビューはセオ・ウォルコットに次ぐ史上2番目に若いデビューとなった。
2006-07シーズンになると左サイドバックのレギュラーを掴み、2006年8月6日のダービー・カウンティ戦ではFKからの直接ゴールによるプロ初ゴールを決める。10月17日のコベントリー・シティ戦ではまたもやFKからゴールを決める。爆発的なスピードと精度の高い左足のキックを武器とする攻撃的左サイドバックとして17歳ながらもチームの主力に定着し、急速に評価を高めていく。セットプレーのみならず得点力そのものも高く、サイドバックながら前半戦でリーグ戦で5ゴールを挙げていた。チームは昇格プレーオフに進出しながらプレミアリーグ昇格を逃したが、リーグ戦38試合5ゴールと目覚ましい活躍を見せていたことから夏の移籍市場ではビッグクラブがごぞって触手を伸ばす存在となっていた。
トッテナム
2007年5月25日、様々なクラブの争奪戦を制したイングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーと4年契約を交わしたことが発表される。2007年8月26日のマンチェスター・ユナイテッド戦でプレミアリーグデビューを果たす。出場2試合目となった9月1日のフラムFC戦ではプレミアリーグ初ゴールを決める。9月15日のアーセナルとのノース・ロンドン・ダービーでもゴールを決め、加入間もなくして印象に残る活躍を見せる。ところが、12月2日のバーミンガム・シティ戦でタックルを受けた際に右足首靭帯損傷の大怪我を負い、長期の戦線離脱を強いられる。手術を受けたが、このままシーズン終了となる。
2008-09シーズンに復帰を果たしたものの、怪我の後遺症に苦しみ本来のプレーレベルを取り戻すことができず、左サイドバックとしては守備面での対応の拙さやスタミナ不足が露呈され、レギュラー獲得に至らなかった。結局リーグ戦16試合0得点という不本意な結果に終わり、挫折を経験する。ちなみに、スパーズ加入以来ベイルが出場した試合は24試合未勝利という事態が続ていた。
2009-10シーズンは2009年6月に膝の手術を受けたことでプレシーズンに合流できず、開幕から数試合を欠場する。しかも左サイドバックのポジション争いで好調のブノワ・アス=エコットに敗れ、バックアッパーという立場に甘んじていた。それでもハリー・レドナップ監督はカップ戦などで少しずつ起用することでチャンスを与え、2010年4月のアーセナルとのノース・ロンドン・ダービーで決勝ゴールを決め、復活の狼煙をあげる。3日後のチェルシーFC戦でも2試合連続での決勝ゴールを決め、MOMに選出。この2試合の活躍が決め手となり、4月の月間最優秀選手に選出。終盤戦の活躍により、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献する。
2010-11シーズンになると、レドナップ監督はベイルを左サイドバックから左ウイングへコンバートする。2010年8月21日のストーク・シティ戦では2ゴールを決める活躍を見せ、早速コンバートが成功であることを証明する。8月24日のCLプレーオフ・ヤングボーイズ戦ではチームの4ゴール全てをアシストする大車輪の活躍を見せる。10月20日、CLグループステージ第3節アウェイのインテル・ミラノ戦ではプロとなって初となるハットトリックという圧巻の活躍をやってのける。続く11月2日のホームのインテル戦でも2アシストを記録し、勝利に貢献。この前年の欧州王者相手の大活躍によってベイルの世界的な知名度は飛躍的に上昇し、一気にスターダムへと上り詰める。攻撃的なポジションへ配置転換されたことで弱点だった守備の負担が軽減され、スピードとスタミナ、そして強力な左足シュートを活かした決定力が開花し、サイドを切り裂くスペシャリストとしての地位を確立。公式戦41試合11ゴールとキャリアハイを大幅に更新し、2011年4月17日、サミル・ナスリ、カルロス・テベスらを抑えてPFA年間最優秀選手賞を受賞。
2011-12シーズンも開幕から好調を維持し、多くの得点に関与。縦へのスピードだけでなく、カットインからのシュートやスルーパスなど、攻撃の幅を広げ、 高速ドリブルと強力なキック力はすでに世界トップクラスと評されていた。2012年1月31日のウィガン・アスレティック戦で2ゴールを決め、公式戦でのゴール数が2年連続で二桁に到達。プレミアリーグで3得点2アシストを記録し、キャリアで2度目のプレミアリーグ月間最優秀選手に選ばれる。チームはリーグ4位に入りながらもCL出場権を得られず、移籍も取り沙汰されたが、オフに2016年までの契約延長に合意する。
2012-13シーズンは本人の希望により背番号を3から11に変更。アンドレ・ビラス・ボアス監督によってトップ下でプレーするようになり、2012年9月29日のマンチェスター・ユナイテッド戦でチームの2点目を決め、チームの1989年以来となるオールド・トラフォードでの勝利をもたらす。文字通りチームの攻撃の全権を担うような存在となり、個人の力で試合を打開する場面が毎回のように見られる際立ったパフォーマンスを披露していた。ボクシング・デーのアストン・ヴィラ戦ではプレミアリーグでは初となるハットトリックを達成。むしろこのシーズンのスパーズはベイルのワンマンチームと言われるほどだった。特に2013年1月から2月にかけてのパフォーマンスは際立っており、2ゴールを決めた2月25日のウェストハム戦では試合終盤に30ヤード離れた位置からのロングシュートによる決勝ゴールを決める。この圧巻のパフォーマンスによって2月の月間最優秀選手に選出。5月4日、古巣のサウサンプトン戦がスパーズでの200試合目の出場となり、この試合のゴールによってリーグ戦20ゴールの大台に到達。高速ドリブルでディフェンスラインを切り裂き、左足から放たれる強烈なミドルシュートや無回転ドライブシュートでゴールを量産し、公式戦44試合26ゴールと個人では最高のシーズンとなり、PFA年間最優秀選手賞、PFA年間最優秀若手選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞。
レアル・マドリード
2013年9月1日、スペイン・リーガ・エスパニョーラの名門レアル・マドリードへの移籍が発表される。契約期間は6年間で、移籍金は当時の最高額となる1億80万ユーロとなった。9月14日のデビュー戦のビジャレアルCF戦でマドリーでのデビューとなり、この試合で初ゴールを決める。だが、左ウイングにクリスティアーノ・ロナウドという絶対な存在がいたことからポジションがこれまであまり経験しなかった右ウイングとなったことに加え、怪我がちだったことからチームへの順応に時間がかかり、10月26日の初のエル・クラシコとなったFCバルセロナ戦で低パフォーマンスだったことから批判を受ける。それでも10月30日のセビージャFC戦で2ゴール2アシストと結果を残すと、11月30日のバリャドリード戦ではマドリーで初のハットトリックを達成。2014年になると調子がさらに上がり、リーガでは第31節から33節まで3試合で4ゴールを記録する。4月16日、コパ・デル・レイ決勝のバルセロナ戦では75mを独走しての決勝ゴールを決め、タイトル獲得に貢献。5月24日、CL決勝のアトレティコ・マドリード戦では延長後半5分にヘディングで逆転ゴールを決め、マドリーの記念すべき10回目のビッグイヤー戴冠をもたらす。移籍1年目は公式戦22ゴール16アシストという成績を残し、クリスティアーノ・ロナウド、カリム・ベンゼマとのトリオは「BBCトリオ」と呼ばれ、3人合わせて97ゴールを決めている。
2014-15シーズンも好調なスタートを切り、2014年9月20日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で2ゴールを決める。ところが、10月の代表戦で肉離れを起こして戦線を離脱。その間にハメス・ロドリゲスやイスコが好調だったことでスタメンから外すべきという意見が出るようになる。12月にモロッコで開催されたFIFAワールドカップ2014では決勝のサン・ロレンソ戦で決勝ゴールを決め、タイトル獲得をもたらす。ところが、2015年に入るとしばらくゴールから遠ざかり、利己的なプレーや守備の献身性の少なさから批判を浴びるようになる。4月にはふくらはぎの負傷でまたも戦線を離脱し、一定の数字は残したが、1年目を下回る評価となった。
2015-16シーズンも怪我での離脱が多く、出場した試合数は少なかったものの、出場した試合では多くのゴールやアシストを記録。2015年12月2日のラージョ・バジェカーノ戦では自身のキャリア初となる1試合4ゴールを記録し、10-2という記録的な大勝をもたらす。ジネディーヌ・ジダン監督が就任した最初の試合となった2016年1月9日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦ではシーズン2度目となるハットトリックを達成。1月19日のスポルティング・ヒホン戦でふくらはぎを負傷し、2か月間戦線を離脱。リーグ戦では23試合で19ゴールと高い決定率を残したが、CLでは不思議とゴールを決めることができなかった。それでも決勝のアトレティコ・マドリード戦ではセルヒオ・ラモスのゴールをアシストし、ビッグイヤー戴冠に貢献している。
2016-17シーズンはラ・リーガ開幕直後のレアル・ソシエダ戦で2ゴールを挙げ、チームの開幕からの快進撃に貢献する。2016年10月23日にはクラブとの契約を2022年まで延長するが、11月22日のCLグループステージ、スポルティングCP戦で右足首を負傷し、手術をおこなったことでまたもや長期の戦線離脱となってしまう。2017年2月23日のラ・リーガ第23節RCDエスパニョール戦で3か月ぶりに復帰し、ゴールも決めて復活をアピールする。ところが、4月23日の第33節バルセロナとのエル・クラシコでは怪我を再発させてまたもや戦線を離脱する。それでも故郷カーディフで開催されたCL決勝のユヴェントス戦で復帰を果たし、試合終盤にベンゼマとの交代で投入され、CL連覇に立ち会う。
2017-18シーズンの前半戦も怪我に悩まされて欠場が多く、コンディションが万全でなかったことからスタメンの座を奪われることも増え、ジダン監督との信頼関係も微妙なものとなる。しかし、後半戦になるとコンディションが上がったことでゴールとアシストを量産するようになり、26試合16ゴールという成績を残す。2018年5月26日、CL決勝のリヴァプールFC戦では後半16分から投入されると、後半21分にマルセロのクロスをバイシクルキックで合わせたゴールを決め、38分には無回転のミドルシュートという2つのゴラッソによりチームのCL三連覇の偉業達成に貢献。CL決勝のMOMにも選出されている。
2018-19シーズンはクリスティアーノ・ロナウドが移籍したことによりBBCトリオが崩壊するが、これによってチーム内での重要度が増し、開幕3試合連続ゴールと好スタートを切る。2018年12月のFIFAクラブワールドカップ2018では準決勝の鹿島アントラーズ戦でハットトリックを達成し、大会三連覇に貢献。さらに大会得点王と最優秀選手の個人タイトルも獲得する。2019年2月19日、アトレティコ・マドリードとのマドリード・ダービーでクラブ通算100ゴール目となるゴールを決めるが、その際のゴールパフォーマンスが侮辱的なジェスチャーを意味するものとして物議を醸す。3月に以前から緊張状態にあったジダン監督が電撃的にチームに復帰すると状況が一変。出場機会が激減してしまい、ベンチはおろか招集外になることさえあり、メディアやファンからはチームが無冠に終わったスケープゴートにもされてしまう。
オフ期間にジダン監督から構想外であることが告げられ、中国の江蘇蘇寧への移籍が確実視されていたが、移籍交渉はまとまらず、2019-20シーズンも残留する。ラ・リーガ第3節のビジャレアル戦で2ゴールを決めるなど開幕当初は好調だったが、10月の代表戦で負傷し戦線を離脱。しかも11月の代表戦での振る舞いによってマドリティスタとの関係も悪化し、以降ははベンチ外になることが多く、出場しても低調なパフォーマンスに終始。公式戦わずか3ゴールとキャリアワーストといえるシーズンとなり、チームはリーガ優勝を果たしたが、蚊帳の外といえる状況にあった。
トッテナム
2020年9月19日、古巣であるイングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーに期限付き移籍という形で7年ぶりに復帰することが発表される。加入後は負傷やフィットネス不足に悩まされていたが、11月1日のブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC戦で復帰後初ゴールを決める。12月3日、UEFAヨーロッパリーグのLASK戦でキャリア200ゴールを達成。2021年に入ってから身体のキレが戻り、2月28日のバーンリーFC戦で2ゴール1アシストを記録。3月7日のクリスタル・パレスFC戦でも2ゴールを決め、直近6試合で6ゴールを記録。5月2日のプレミアリーグ第34節マンチェスター・ユナイテッド戦でハットトリックを達成。久々の古巣で公式戦34試合16ゴールという成績を残し、復活を遂げた。
レアル・マドリード
2021-22シーズンはレアル・マドリードに復帰。しかし、ここでも怪我に悩まされたうえにヴィニシウス・ジュニオールの台頭によってもはやクラブに居場所はなく、2021年12月には新型コロナウィルスに感染。後半戦には恩師であったカルロ・アンチェロッティ監督からも戦力外という扱いを受けることになり、公式戦7試合1得点という成績に終わる。2022年6月1日、契約満了により退団を発表。
ロサンゼルスFC
2022年6月27日、アメリカMLSのロサンゼルスFCに2年契約で加入することが発表される。7月23日のスポルティング・カンザスシティ戦で移籍後初ゴールを決める。レギュラーシーズンではコンディションの問題でさほど試合に出場することができず、スタメンで出場したのは2試合のみとなった。一方、MLSカップ決勝では延長前半から途中出場すると、延長後半8分にヘディングシュートを決め、値千金の同点ゴールを決める。その後チームはPK戦を制し、初のMLS制覇を成し遂げる。
2023年1月9日、自身のSNSを通じて33歳での現役引退を表明する。理由として父親の病気をあげている。
ウェールズ代表
祖母がイングランド人であることからイングランド代表としてプレーすることも可能であったが、本人の強い希望によりウェールズ代表を選択。2005年にはU-17ウェールズ代表に選出されると、その後すぐにU-19代表、U-21代表に飛び級で選出される。
2006年5月、プロデビューして間もない時期にもかかわらずフル代表に招集され、5月25日のトリニダード・トバゴ戦で16歳315日の史上最年少記録でウェールズ代表にデビューする。10月7日のEURO2008予選のスロバキア戦で1-5と大敗したものの、FKによって史上最年少得点記録となる代表初ゴールを決める。
デビュー後間もなくしてレギュラーに定着し若くして代表の中心選手となるが、当時のウェールズは国際大会に出場するだけの力はなく、EURO2008、2010 FIFAワールドカップ、EURO2012、2014 FIFAワールドカップとことごとく予選敗退に終わっている。2014 FIFAワールドカップ欧州予選ではアタッカーにコンバートされたことでチーム最多の6ゴールを記録するが、本大会出場に届かなかった。
2012年7月のロンドンオリンピックに出場するイギリスオリンピック代表のメンバーに名を連ねるが、大会直前のトレーニング中に背中と股関節を負傷したことで出場辞退を余儀なくされる。
2014年9月からスタートしたEURO2016予選では初戦のアンドラ戦で2ゴールを決め、チームの白星スタートに貢献。この頃のウェールズ代表はアーロン・ラムジー、ジョー・アレンといったプレミアリーグで活躍するタレントがチームの中心として台頭しており、その中でもベイルは絶対的なエースとしてチームを牽引。2015年のイスラエル戦、ベルギー戦、キプロス戦では3試合連続でのゴールを決め、チームの3連勝に貢献。10月13日の最終節アンドラ戦ではチームの2点目を決め、ウェールズ代表を1958年以来の国際大会出場となる本大会初出場へ導く。予選を通して10試合7ゴールというチームトップの成績を残している。
2016年6月、フランスで開催されたEURO2016に出場。自身のキャリアで初の国際大会の舞台となった初戦のスロバキア戦では前半10分にFKによる先制ゴールを決め、ウェールズ史上初のUEFA欧州予選での得点者となり、大会初勝利に貢献する。第2戦のイングランド戦でもFKによる先制ゴールを決めるが、その後チームは逆転負けを喫している。1勝1敗で迎えた第3戦のロシア戦では1ゴール1アシストの活躍で3-0の勝利をもたらし、3試合連続ゴールによってグループ2位での突破に貢献。ラウンド16の北アイルランド戦ではクロスから決勝ゴールとなるオウンゴールを誘い、この試合のMOMを獲得。準々決勝では自身のゴール関与こそなかったものの、チームは強豪ベルギーを破る大金星によってベスト4進出の大番狂わせを起こす。準決勝でチームメイトのクリスティアーノ・ロナウドを擁するポルトガルに敗れはしたが、ベスト4入りというサプライズを起こし、UEFAによる大会のベストイレブンにも選出されている。
EUROでの快進撃によってFIFAワールドカップ初出場への期待値も大きく高まった2018 FIFAワールドカップ欧州予選だったが、自身はチームトップの4ゴールを決めたものの、2017年に入って怪我に悩まされて不在となったことが響き、予選3位で敗退に終わる。2018年3月22日の中国との親善試合で代表では初となるハットトリックを達成。これにより代表での通算ゴールがイアン・ラッシュを抜いて29ゴールに到達し、ウェールズ代表の最多得点記録保持者となる。2019年からは正式に代表のキャプテンに就任。
2021年のEURO2020で2大会連続での本大会出場を果たす。グループリーグ第2戦のトルコ戦ではPKを失敗したものの、2アシストを記録しチームを大会初勝利に導き、MOMに選出。チームは1勝1分1敗のグループ2位で決勝トーナメントに進出。しかし、ラウンド16のデンマーク戦で大敗し、前回ほどの躍進を遂げることはできなかった。
2021年9月にスタートした2022 FIFAワールドカップ欧州予選では初戦のアウェイのベラルーシ戦で代表では2度目となるハットトリックを達成。11月13日のホームのベラルーシ戦で史上2人目となるウェールズ代表100試合出場を達成。プレーオフでは2022年3月22日の準決勝のオーストリア戦で2ゴールを決めれば、決勝のウクライナ戦でも前半34分に値千金の決勝ゴールを決め、ウェールズを1958年大会以来64年ぶりとなる本大会出場へ導く。
2022年11月、カタールで開催された2022 FIFAワールドカップが33歳にして初のワールドカップ出場となった。コンディション面に不安を抱えての大舞台となったが、初戦のアメリカ戦でPKによるワールドカップ初ゴールを決め、チームに勝ち点1をもたらし、MOMにも選出される。第2戦のイラン戦で代表通算110試合目の出場となり、ウェールズ代表最多試合出場記録保持者となる。しかしチームはイラン戦、第3戦のイングランド戦に連敗し、1勝も挙げられないままグループリーグ敗退となる。ワールドカップ後の2023年1月に現役を引退。
個人成績
| シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2005-06 | サウサンプトン | EFLチャンピオンシップ | 2 | 0 | |
| 2006-07 | サウサンプトン | EFLチャンピオンシップ | 38 | 5 | |
| 2007-08 | トッテナム | プレミアリーグ | 8 | 2 | |
| 2008-09 | トッテナム | プレミアリーグ | 16 | 0 | |
| 2009-10 | トッテナム | プレミアリーグ | 23 | 3 | |
| 2010-11 | トッテナム | プレミアリーグ | 30 | 7 | |
| 2011-12 | トッテナム | プレミアリーグ | 36 | 9 | |
| 2012-13 | トッテナム | プレミアリーグ | 33 | 21 | |
| 2013-14 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 27 | 15 | |
| 2014-15 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 31 | 13 | |
| 2015-16 | レアル・マドリード | リーガ・エスパニョーラ | 23 | 19 | |
| 2016-17 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 19 | 7 | |
| 2017-18 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 26 | 16 | |
| 2018-19 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 29 | 8 | |
| 2019-20 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 16 | 2 | |
| 2020-21 | トッテナム(loan) | プレミアリーグ | 20 | 11 | |
| 2021-22 | レアル・マドリード | ラ・リーガ | 5 | 1 | |
| 2022 | ロサンゼルスFC | MLS | 12 | 2 |
個人タイトル
- フットボールリーグ年間最優秀若手選手(2007年)
- ウェールズ年間最優秀若手選手(2007年)
- ウェールズ年間最優秀選手:6回(2010年, 2011年, 2013年, 2014年,2015年,2016年)
- PFA年間最優秀選手賞:2回(2011年, 2013年)
- PFA年間ベストイレブン:3回(2011年, 2012年, 2013年)
- PFA年間最優秀若手選手賞(2013年)
- FWA年間最優秀選手賞(2013年)
- プレミアリーグ最優秀選手賞(2012-13)
- FIFAクラブワールドカップ 得点王:2回(2014年, 2018年)
- FIFAクラブワールドカップ 最優秀選手(2018年)
- 大英帝国勲章・MBE(2022年)
プレースタイル
キャリア初期は左サイドバックだったが、左ウイングにコンバートされ、キャリアを重ねるごとに前線の様々なポジションでプレーするアタッカーとなっていった。圧倒的なスピードとフィジカルを武器に、サイドから強引に突破しての豪快な左足シュートが持ち味であり、ロングドリブルで相手ディフェンスを抜き去る能力が高く、特にCL決勝など大舞台での勝負強さが際立っていた。
最大の武器は爆発的なスピードであり、大きく蹴りだして、スピード勝負をするドリブルを得意としており、広大なスペースを与えれば手がつけられない。初速もさることながら、全盛期は時速36.9kmというありえないほどの記録を持っており、ショートカウンターで特に輝きを放つ。エリア付近まで持っていかれてしまうと高確率で得点やアシストをするので、相手DFはその前にファールで止めるしか方法がなかった。
左足のキックの精度と威力も世界トップクラスであり、左サイドからカットイン、あるいは右サイドから斜めに切り込み、強烈なクロスファイア(ファーポストへの鋭い弾道)のシュートによって高い得点力を発揮する。中長距離からのシュートの決定力も高く、パワフルな左足キックからのフリーキックも得意としており、何度もFKでのゴールを決めている。ベイルはシュートの際に体重を乗せるのがうまく、バランスが崩れた状態でも蹴り足だけをボールに当てることができた。さらにカーブを巻いたテクニカルなキックも得意で弾丸キックと使い分けも可能。
体格に恵まれていることからフィジカルも強く、スピード勝負で追いつかれたとしても半歩前に出て肩を押し込むことで接触されてもバランスを崩さなかった。高い打点を活かしたヘディングの名手でもあり、正確にボールを捉える技術も高かったことからヘディングでのゴールも多い。
スプリント系の選手の宿命でもあるが、怪我の多さから稼働率の悪さが最大の泣き所であった。サイドバック時代から守備を苦手としていたが、ウイングに転向してからは元サイドバックとは思えないほど守備の意識が低く、献身性の低さから何かと批判を受けた。規律を重んじるジダン監督と対立したのも献身性の無さとセルフィッシュな振る舞いが原因とされた。さらに自分の個人技に絶対の自信がある故にプレーが単調になりがちで、スペースを消されて徹底マークを受けたときは試合から消えていた。
人物・エピソード
- 熱狂的なゴルフ好きとして有名で、ウェールズの自宅に、マスターズ、全英オープンなどの名門コースのレプリカホールを3つ再現していた。サッカーは仕事、ゴルフは愛だと公言していたが、レアル・マドリード時代、怪我での離脱中にゴルフをプレーし、ファンやメディアから集中非難されたことがある。
- 代表戦で「ウェールズ、ゴルフ、マドリード」と書かれたフラッグを掲げたことでマドリティスタからレアル・マドリードの優先順位が低いとして非難された。
- 一切、アルコールを口にしない主義である。
- 高校時代からの恋人と同棲しており、娘2人、息子1人の父親となっている。2019年に結婚。
- ピッチ外では穏やかな性格の持ち主として知られ、トッテナムの元監督であるハリー・レドナップは「性格が凄くいい子なんだ。あんなに感じが良くて手がかからない子はそういないよ。」と発言している。
- 引退直後の2023年2月にプロアマトーナメント「AT&Tペブルビーチ・プロアマ」に出場するなど、引退後は解説者をこなしながら本格的なゴルフライフを楽しんでいる。2025年10月時点でのハンディキャップは0.1。
関連動画
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- アリエン・ロッベン
- アレッサンドロ・デル・ピエロ
- アントワーヌ・グリーズマン
- アンドリー・シェフチェンコ
- アンドレア・ピルロ
- アンドレス・イニエスタ
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- 稲本潤一
- 井原正巳
- ウェイン・ルーニー
- 上田綺世
- 内田篤人
- エデン・アザール
- エリック・カントナ
- エンゴロ・カンテ
- 大久保嘉人
- 岡崎慎司
- 岡野雅行
- 小笠原満男
- 小野伸二
- オリヴィエ・ジルー
- カカ
- 柿谷曜一朗
- カルレス・プジョル
- ガブリエル・バティストゥータ
- ゲルト・ミュラー
- 後藤啓介
- 酒井宏樹
- 佐藤寿人
- 佐野海舟
- サミュエル・エトー
- 澤穂希
- ジャンルイジ・ブッフォン
- ジョゼップ・グアルディオラ
- ジーコ
- 菅原由勢
- 鈴木淳之介
- 鈴木隆行
- スティーヴン・ジェラード
- ステファン・エル・シャーラウィ
- セスク・ファブレガス
- セルヒオ・ブスケツ
- セルヒオ・ラモス
- 孫興民
- 田中マルクス闘莉王
- 田中陽子
- タミー・アブラハム
- ダビド・シルバ
- ダビド・ビジャ
- チアゴ・シウバ
- ティエリー・アンリ
- ディエゴ・マラドーナ
- ディディエ・ドログバ
- デニス・ベルカンプ
- トニ・クロース
- 豊田陽平
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