ケン・ローズウォール単語

ケンローズウォール
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ケン・ローズウォールはオーストラリアの元テニス選手である。ロッド・レーバーライバル的存在として知られる。

概要

4つ年下のロッド・レーバーと並ぶオーストラリア伝説テニス選手。1953年18歳若さで全選手権と全選手権のシングルス、全選手権、全選手権、ウィンブルドンダブルスを制する(注:当時はオープン化前のため、四大大会は○○オープンではなく○○選手権と呼ばれていた)。この年の全選手権シングル優勝は全オープン通史での最年少優勝記録である(ATPメディアガイドの大会最年少優勝者はマッツ・ビランデルが掲載されているが、これはオープン化後の最年少記録)。その後アマチュア時代はシングルスで1955年の全選手権、1956年の全選手権に優勝ダブルスでは1956年の全選手権、ウィンブルドン、全選手権に優勝してダブルスではくもキャリアグランドスラムを達成している。この後プロ転向したため、ここで四大大会の出場は一旦途切れている。この当時オープン化前の四大大会はアマチュア選手の大会だった。ちなみにレーバーライバルとして扱われることが多いが、レーバーデビューした頃にプロ転向しており、アマチュア時代は対戦していないらしい。

当時のプロテニスではウェンブリー、USプロフレンチプロの3大会が最重視されていたが、1963年に史上初めて同一年での3大会制覇を達成する。前年度に年間グランドスラムを達成したレーバーはこの年からプロに参戦しており、翌年以降熾ライバル対決が繰り広げられることになる。1963年からオープン化直前の1967年まで上記3大会はローズウォールとレーバー二人の独壇場となっていた。

1968年に四大大会がオープン化されると全オープンでレーバーを下して優勝している。レーバー1969年に年間グランドスラム達成後、四大大会で勝てなくなっていったのに対し、ローズウォールはレーバーより年長でありながら70年代に入ってからも強さを維持していた。1970年の全オープンシングル優勝オープン化後の、1972年の全オープンシングル優勝は通史で大会男子シングルス最年長優勝記録として残っている。さらに1974年にもウィンブルドンと全オープンで決勝に残っており、いずれも準優勝に終わったもののウィンブルドンオープン化後の、全オープンは通史での最年長決勝進出記録となっている。最後の優勝はレーバーより2年後の1977年香港で、この頃には流石に大会出場も減っていたが、1980年まで大会出場の記録がある。

ダブルスで強かったこともあり、ボレーが巧かったようだ。バックハンドはスライス系のショットに定評があった。サーブはレーバーと違って貧弱だったらしい。長きに渡って強さを発揮し四大大会シングルスでは8回の優勝を挙げたが、ウィンブルドンシングルスでは準優勝4回に終わった(1954年1956年1970年1974年)。このためかレーバーべると地味な扱いをされることが多い。当時は全オープン、全オープンも芝であり、苦手だったわけではないだけにウィンブルドン優勝できなかったのは悔やまれる。しかしながらプロ転向がかったためレーバー以上に空白期間が長い選手でもあり、もっと評価されるべきカテゴリの選手と言える。

主な実績

オープン化前後では大会レベルが全く違うため、オープン化後の最年長記録はそのまま大会記録として扱っても良いかもしれない(実際ATPメディアガイドではそのように扱われている)。

プロ転向したのが22歳になった頃、オープン化は33歳のとき(34歳になる年)であり、この間四大大会に全く出ていなかったにもかかわらずシングルス8回の優勝(プロ転向前、オープン化後各4回)は驚異的な数字と言える。四大大会8勝はほかにフレッドペリージミー・コナーズイワン・レンドルアンドレ・アガシの4人がいるが、10年以上のブランクがあった選手など他にはいない。

ATPランキングの最高は1975年2位があった。レーバー1974年の3位が最高なので、ここでも息の長さが判るだろう。オープン化後の鉄人選手としては最高レベルの選手だが、ツアー最年長優勝記録更新できなかった。1977年の最後の優勝はちょうど43歳になった直後だったが、先輩パンチョ・ゴンザレスが43歳9ヶ優勝を挙げている。

レーバーとの対戦成績

レーバーとの対戦成績はATPでは7勝13敗、ITFでは7勝16敗となっている。ATPの集計ではサーフェスも全て記載されているので、これを基にサーフェス別の対戦成績を以下に示す。

この数字1968年以降のものであり、ローズウォールが34歳になる年以降しか集計されていない。それでもクレーで勝ち越している辺り、遅いサーフェスでも強かったことは想像がつくだろう。ただしATPで集計されている通算勝率は芝の方が高い。2人の対戦は1976年が最後となっているが、恐ろしいことにこの年の2度の対戦はどちらも年長のローズウォールが勝っている。

なおオープン化前の記録は四大大会以外ほとんど集計されておらず、その全貌は不明確だが、ある調によると両者の対戦は150回近いという。

関連動画

残念ながら記事作成時点のニコニコでは動画は見つからなかった。youtubeなどを参照。

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