ケン・ローズウォールはオーストラリアの元テニス選手である。ロッド・レーバーのライバル的存在として知られる。
概要
Ken Rosewall | |
基本情報 | |
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国籍 | オーストラリア |
出身地 | オーストラリア:シドニー |
生年月日 | 1934年11月2日 |
身長 体重 |
175cm 68kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
デビュー年 | 1951年 |
引退年 | 1980年 |
テニス選手テンプレート |
4つ年下のロッド・レーバーと並ぶオーストラリアの伝説的テニス選手。1953年、18歳の若さで全豪選手権と全仏選手権のシングルス、全豪選手権、全仏選手権、ウィンブルドンのダブルスを制する(注:当時はオープン化前のため、四大大会は○○オープンではなく○○選手権と呼ばれていた)。この年の全豪選手権シングルス優勝は全豪オープン通史での最年少優勝記録である(ATPメディアガイドの大会最年少優勝者はマッツ・ビランデルが掲載されているが、これはオープン化後の最年少記録)。その後アマチュア時代はシングルスで1955年の全豪選手権、1956年の全米選手権に優勝。ダブルスでは1956年の全豪選手権、ウィンブルドン、全米選手権に優勝してダブルスでは早くもキャリアグランドスラムを達成している。この後プロ転向したため、ここで四大大会の出場は一旦途切れている。この当時オープン化前の四大大会はアマチュア選手の大会だった。ちなみにレーバーのライバルとして扱われることが多いが、レーバーがデビューした頃にプロ転向しており、アマチュア時代は対戦していないらしい。
当時のプロテニスではウェンブリー、USプロ、フレンチプロの3大会が最重視されていたが、1963年に史上初めて同一年での3大会制覇を達成する。前年度に年間グランドスラムを達成したレーバーはこの年からプロに参戦しており、翌年以降熾烈なライバル対決が繰り広げられることになる。1963年からオープン化直前の1967年まで上記3大会はローズウォールとレーバー二人の独壇場となっていた。
1968年に四大大会がオープン化されると全仏オープンでレーバーを下して早速優勝している。レーバーが1969年に年間グランドスラム達成後、四大大会で勝てなくなっていったのに対し、ローズウォールはレーバーより年長でありながら70年代に入ってからも強さを維持していた。1970年の全米オープンシングルス優勝はオープン化後の、1972年の全豪オープンシングルス優勝は通史で大会男子シングルス最年長優勝記録として残っている。さらに1974年にもウィンブルドンと全米オープンで決勝に残っており、いずれも準優勝に終わったもののウィンブルドンはオープン化後の、全米オープンは通史での最年長決勝進出記録となっている。最後の優勝はレーバーより2年後の1977年香港で、この頃には流石に大会出場も減っていたが、1980年まで大会出場の記録がある。
ダブルスで強かったこともあり、ボレーが巧かったようだ。バックハンドはスライス系のショットに定評があった。サーブはレーバーと違って貧弱だったらしい。長きに渡って強さを発揮し四大大会シングルスでは8回の優勝を挙げたが、ウィンブルドンのシングルスでは準優勝4回に終わった(1954年、1956年、1970年、1974年)。このためかレーバーと比べると地味な扱いをされることが多い。当時は全米オープン、全豪オープンも芝であり、苦手だったわけではないだけにウィンブルドンで優勝できなかったのは悔やまれる。しかしながらプロ転向が早かったためレーバー以上に空白期間が長い選手でもあり、もっと評価されるべきカテゴリの選手と言える。
主な実績
- 全米オープン男子シングルス優勝2回(1956年、1970年)
- 全仏オープン男子シングルス優勝2回(1953年、1968年)
- 全豪オープン男子シングルス優勝4回(1953年、1955年、1971年、1972年)
- ウィンブルドン男子ダブルス優勝2回(1953年、1956年)
- 全米オープン男子ダブルス優勝2回(1956年、1969年)
- 全仏オープン男子ダブルス優勝2回(1953年、1968年)
- 全豪オープン男子ダブルス優勝3回(1953年、1956年、1972年)
- 1956年全米オープン混合ダブルス優勝
- 1953年全豪オープン男子シングルス18歳2ヶ月での優勝は史上最年少記録
- 1970年全米オープン男子シングルス35歳10ヶ月での優勝はオープン化後最年長記録
- 1972年全豪オープン男子シングルス37歳2ヶ月での優勝は史上最年長記録
- 1974年ウィンブルドン男子シングルス39歳8ヶ月での決勝進出はオープン化後最年長記録
- 1974年全米オープン男子シングルス39歳10ヶ月での決勝進出は史上最年長記録
- 史上二組目の男子ダブルスキャリアグランドスラム達成
オープン化前後では大会レベルが全く違うため、オープン化後の最年長記録はそのまま大会記録として扱っても良いかもしれない(実際ATPのメディアガイドではそのように扱われている)。
プロ転向したのが22歳になった頃、オープン化は33歳のとき(34歳になる年)であり、この間四大大会に全く出ていなかったにもかかわらずシングルス8回の優勝(プロ転向前、オープン化後各4回)は驚異的な数字と言える。四大大会8勝はほかにフレッド・ペリー、ジミー・コナーズ、イワン・レンドル、アンドレ・アガシの4人がいるが、10年以上のブランクがあった選手など他にはいない。
ATPランキングの最高は1975年に2位があった。レーバーは1974年の3位が最高なので、ここでも息の長さが判るだろう。オープン化後の鉄人選手としては最高レベルの選手だが、ツアー最年長優勝記録は更新できなかった。1977年の最後の優勝はちょうど43歳になった直後だったが、先輩のパンチョ・ゴンザレスが43歳9ヶ月で優勝を挙げている。
レーバーとの対戦成績
レーバーとの対戦成績はATPでは7勝13敗、ITFでは7勝16敗となっている。ATPの集計ではサーフェスも全て記載されているので、これを基にサーフェス別の対戦成績を以下に示す。
この数字は1968年以降のものであり、ローズウォールが34歳になる年以降しか集計されていない。それでもクレーで勝ち越している辺り、遅いサーフェスでも強かったことは想像がつくだろう。ただしATPで集計されている通算勝率は芝の方が高い。2人の対戦は1976年が最後となっているが、恐ろしいことにこの年の2度の対戦はどちらも年長のローズウォールが勝っている。
なおオープン化前の記録は四大大会以外ほとんど集計されておらず、その全貌は不明確だが、ある調査によると両者の対戦は150回近いという。
関連動画
残念ながら記事作成時点のニコニコでは動画は見つからなかった。youtubeなどを参照。
関連項目
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