伊39とは、大日本帝國海軍が建造・運用した巡潜乙型20番艦である。1943年4月22日竣工。雷撃で米曳船ナヴァジョーを撃沈する戦果を挙げた。11月26日、タラワ近海で対潜攻撃を受けて沈没。約7ヵ月の寿命だった。
概要
1939年に策定された海軍軍備充実計画(通称マル四)にて、乙型一等潜水艦第152号艦の仮称で建造が決定。1941年6月19日、佐世保海軍工廠で起工。1942年4月15日に進水し、1943年4月22日に竣工。初代艦長に田中万喜夫少佐が着任するとともに横須賀鎮守府へ編入。訓練部隊の第11潜水戦隊に部署して慣熟訓練を行う。7月20日、第6艦隊第8潜水戦隊第14潜水隊に転属。
7月21日、先遣部隊第1潜水部隊に属して横須賀を出港。オーストラリア東岸で哨戒したのち、7月27日にトラック諸島へ入港。8月2日、ニューヘブリディーズ諸島方面の連合軍船舶を攻撃するため出撃。8月7日、エスピリトゥサント北方で米駆逐艦に捕捉されて爆雷攻撃を受けるも被害皆無で済んだ。8月14日に連合軍のベララベラ島への上陸が確認され、連合艦隊は第三段作戦を発令。伊39が通商破壊中のニューヘブリディーズ方面に伊25と伊26が増派された。8月29日にも米駆逐艦2隻に追い回されたが、こちらも無傷で虎口を脱している。9月2日午前5時、エスピリトゥサント北方で輸送船3隻と駆逐艦4隻からなる敵船団を発見。2本の魚雷を発射するが、攻撃輸送艦フラーの手前で早爆してしまう。襲撃に気付いた敵駆逐艦が早速ソナーで捜索してきたものの、見つかる前に退避成功。9月10日午前7時50分、エスピリトゥサントに入港する敵輸送船を発見するも、雷撃の機会を逸する。翌11日16時10分にも駆逐艦に護衛された輸送船2隻を発見しているが攻撃できなかった。
9月12日、ニューヘブリディーズ諸島東方でパゴパゴからエスピリトゥサントに向かっている米曳船ナヴァジョー(1280トン)と6600トンのガソリンを載せた浮きタンクYOG-42を捕捉。伊39はイギリスのレアンダー級軽巡洋艦と誤認し、魚雷1本を発射してナヴァジョーを爆沈。船員17名が死亡した。9月25日に敵機から攻撃を受けて損傷するも、9月27日にトラックへ入港。修理を受ける。エスピリトゥサント方面に投入された潜水艦9隻のうち5隻が戻ってこなかった。
11月19日、ギルバート諸島のマキンとタラワが米機動部隊の空襲を受ける。翌20日、連合艦隊司令部は丙作戦第三法警戒を発令し、潜水艦に対して速やかにギルバート諸島へ急行するよう命じる。この時、トラックには潜水艦9隻が在泊していたが、出撃可能なのは伊39、伊40、伊174、呂38の4隻に過ぎなかった。伊39、伊40、伊174で甲部隊を編制し、敵の攻撃が集中すると思われるタラワへの配備を命令。11月21日、トラックを出撃。11月25日午前3時に哨区へ到着したとの通信を最後に消息不明となる。
最期
1943年11月26日20時49分、タラワ西方で米駆逐艦ラトフォードにレーダー探知され、急速潜航。21時30分にレーダーから消失するも、今度はソナーに探知されて爆雷攻撃を受け、沈没。乗組員96名全員が死亡した。12月3日19時24分にフナフチ方面の偵察を命じられるも、伊39からの返答は無かった。この迎撃作戦に参加した潜水艦9隻のうち6隻が未帰還になる大打撃を受け、唯一の戦果は伊175が挙げたリスカム・ベイ撃沈のみだった。
1944年2月20日、帝國海軍はギルバート諸島方面で亡失と判断。4月30日に除籍された。
関連項目
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