詳細はそれぞれの記事を参照。
この2村は馬鹿に近い。群馬県上野村、長野県南相木村をはさんで3つ隣であり、直線距離は20数キロしかない。なぜ名前かぶせた。
前者は、明治の町村制施行と同時に五村を合併して生まれたが、南牧の名はこれらの村に含まれていない。この村名はおそらく、佐久地域に存在する御牧原という広域地名に由来すると思われる。南牧村から大きく北の方、現在の東御市の一部に「北御牧村」という村が2000年代まで存在したことからもこのことを推測できる。
後者は、前者が誕生して六十数年たったころ三村を合併し成立。やはり南牧という村はそれらの中にはなかった。こちらは村内中央を流れる南牧川、及び周辺にあったとされる南牧砦(城?)に基づくと考えられる。近くの村くらい調べといてほしかった。そういえば群馬って県内に"東村"が5つ同時に存在したことがあったっけ。
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