伊達市とは、
2010年4月1日時点のデータ
北海道伊達市 | 福島県伊達市 | |
---|---|---|
面積 | 約444km2 | 約265km2 |
人口 | 約3.6万人 | 約6.6万人 |
人口密度 | 約82人/km2 | 約251人/km2 |
市の花 | ツツジ・ミヤマエンレイソウ | もも |
市の木 | エゾヤマザクラ・ヤマモミジ | あかまつ |
隣接市町村 | 胆振総合振興局 室蘭市、登別市 虻田郡:洞爺湖町 有珠郡:壮瞥町 白老郡:白老町 石狩振興局 札幌市、千歳市 後志総合振興局 虻田郡:喜茂別町、留寿都村 |
福島県 福島市、相馬市 伊達郡:国見町、桑折町、川俣町 相馬郡:飯舘村 宮城県 白石市 伊具郡:丸森町 |
位置 |
同一の市名になった経緯
北海道伊達市と福島県伊達市が同じ市名を名乗っているのは、偶然によるものではない。このふたつの市は、どちらも伊達氏(伊達政宗で有名な一族)にゆかりがあるという共通点があるのだ。
時代は平安末期、源頼朝の奥州遠征に従った中村常陸入道念西が、戦功を上げて伊達郡・信夫郡の地を賜り、伊達朝宗と改名したことにより伊達氏の系譜がはじまる。その後伊達氏は約360年の間、現在の福島県伊達市にあたる伊達郡一帯を支配していたという。
江戸時代には伊達政宗が仙台藩を立藩し伊達氏は繁栄したが、時代が明治に移り変わる頃に起きた戊辰戦争では会津藩に味方し敗北。このとき伊達氏の一部とその家臣たちが北海道の各地に移り住み、開拓を行った。そのうちのひとつが胆振国有珠郡、つまり現在の北海道伊達市というわけである。
1900年には有珠郡のいくつかの村が合併し、一級町村制により伊達村が誕生。1925年には町制を施行し伊達町になる。さらに1972年には市制を施行し、北海道に伊達市が誕生した。
一方の福島県はというと、全国的に平成の大合併が進む中、伊達郡に属する町の間でも合併の機運が高まり、合併協議会が設置された。合併によって誕生する新しい市の名称については、伊達氏が長く治めてきたという歴史的経緯や、その後も郡名として使われ馴染みのあることから「伊達」の名を希望する声も多かったという。しかし、この名称を採用するには大きな問題があった。
そう、先に「伊達市」と名乗っていた北海道伊達市である。ここで福島県に誕生する新市が伊達の名を名乗れば、同じ名前の市が2つ出来てしまうことになる。総務省からは「既存市名の使用は好ましくない」とするコメントもあった。このため、新市名の候補から「伊達市」は一旦除外されることになった。
ところが総務省にこの件について再び問い合わせたところ、次のような回答が返ってきたのである。「相手の市がいいと言えば同じ名前にしても問題ない」…前回と言ってることが全然違いますがな。
ともかく、これを受けて今度は北海道伊達市に問い合わせてみると、「こちらが口出しするようなことではない」との回答。かくして、市名の被りについては総務省・北海道伊達市の両方からOKが出た形となった。
その後、公募により決まった5つの候補の中から「だて市」を選定。さらにこれを漢字表記にすべきか否かについて多数決をとったところ、漢字表記の「伊達市」賛成派が多数を占め、新市の名称は「伊達市」に決定した。
このようにして、2つの「伊達市」が同時に存在することになったのである。
北海道伊達市について
福島県伊達郡の町が合併に向けて動いている頃、北海道伊達市もまた平成の大合併の波に乗り壮瞥町・大滝村との合併協議を進めていた。しかし、ちょうど伊達市と大滝村に挟まれる位置にあった壮瞥町は合併協議から離脱し、最終的に伊達市と大滝村のみで飛び地合併する形になる。
なお2006年に実施されたこの合併により、伊達市は札幌市とも境を接するようになった。しかし接しているのは都心部からはるか離れた山奥な上、札幌市・伊達市の境にまともな道は通っておらず、直接アクセスする手段は無きに等しい。なので、札幌市と伊達市がお隣同士という実感はイマイチ。
現在の伊達市のうち、内浦湾に面する旧伊達市区域は北海道にしては気候が温暖で「北の湘南」とも呼ばれる一方、旧大滝村区域は内陸性の気候で降雪量・冬の寒さ共に厳しいものとなっている。
産業は、旧伊達市区域では野菜を中心とする農業や水産業、旧大滝村区域では林業が盛ん。
福島県伊達市について
市制施行以前から伊達郡伊達町という名称であり、市制施行により北海道の伊達市と同じ名前となった。
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北海道伊達市 |
福島県伊達市 |
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