概要
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9歳の時に脊髄腫瘍による下半身麻痺のため車いすに。11歳から車いすテニスを始める。海外で初めて大きな活躍を見せたのは恐らく2003年のワールドチームカップで、このときは出場した単複全試合に勝利して日本の初優勝に貢献した。翌2004年のアテネパラリンピックで先輩の斎田悟司と組んでダブルス金メダルを獲得している。パラリンピックではその後も2008年の北京でシングルス金メダル、ダブルス銅メダル、2012年のロンドンでシングルス金メダルを獲得した。
2006年10月にシングルスで初めて世界ランキング1位に。同年のジャパンオープンでロジャー・フェデラーが来日した際、日本人記者からの「日本の男子テニス弱いんだけど、どうすれば強くなれるの?(意訳)」という質問に対して、不思議そうに「日本にはクニエダがいるじゃないか」と答えたという有名な逸話がある。実績に対して国内一般メディアでの扱いは大きくなく、下手すると今でも海外の方が知名度が高い(さすがにテニス専門誌では頻繁に取り上げられていたが、それほど部数が出ているはずもなく)。2007年に年間グランドスラムを達成。シングルスでは2008年39勝0敗、2009年37勝0敗、2010年に敗れるまで108連勝というトンデモ記録も打ち立てている。文句なしで車いすテニスにおける最強選手である。
2009年に日本の車いすテニス選手としては初めてプロ転向した。故障で成績を落とした時期もあったが、2020年現在もランキング1位と、30代中盤に差し掛かった今でも相変わらず強さを見せている。
主な実績
- シングルス世界ランキング最高1位
- ダブルス世界ランキング最高1位
- 年間グランドスラム達成(2007年)
- パラリンピック男子シングルス金メダル2回(北京、ロンドン)
- アテネパラリンピック男子ダブルス金メダル
- 北京パラリンピック男子ダブルス銅メダル
車いすテニスのグランドスラムとは、再編成前は全豪オープン、ジャパンオープン、ブリティッシュオープン、全米ウィールチェアの4大会を指した。これらは当時のツアーで最もグレードの高いスーパーシリーズの大会である。(再編前の基準に従うなら国枝は2009年にも年間グランドスラムを達成している)
2009年にグレード再編があり、健常者テニスと同じ大会がグランドスラムとして規定されたが、ウィンブルドンでは当時ダブルスのみの開催であり、シングルスが新設されたのは2016年とつい最近の事。国枝は2017年に同大会シングルスで準優勝になっている。
- パラリンピック車いすテニスシングルス(男子)最多優勝数(2回)
- 車いすテニスシングルス(男子)最多連続勝利数(106回)
- グランドスラム 車いすテニスシングルス(男子)最多優勝数(24回)
- グランドスラム車いすテニスダブルス(男子)最多優勝数(21回)
- グランドスラム 車いすテニス最多優勝数(45回)
と、名実ともに健常者含めたプロテニス選手の中でも群を抜いた記録を打ち立てている。
関連動画
関連項目
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