国立代々木競技場(こくりつよよぎきょうぎじょう)は、東京都渋谷区にあるスポーツ施設である。
概要
本施設は、1964年東京オリンピックの開催に備えて建設され、同大会のサブ会場として使用された。
この地にはかつて大日本帝国陸軍の施設「代々木練兵場」があり、敗戦後は連合軍により接収され、連合軍の宿舎「ワシントンハイツ」として供された(主権復帰後も在日米軍施設として引き続き使用)。
その後オリンピック開催が決定した折、競技場・選手村・国際放送センターを建設する為の土地が必要となり、アメリカとの交渉の末ワシントンハイツの返還が決定する。
しかし返還交渉が難航した結果、競技場の着工は1963年2月にずれ込んだ。工事期間わずか18ヶ月、1964年7月からは24時間体制で建設が進められるという突貫工事の末、オリンピック開幕39日前の1964年8月31日に竣工する。
オリンピック終了後、競技場はスポーツを始めとした様々なイベントに使用されている。
(ちなみに、選手村の跡地は国立オリンピック記念青少年総合センターおよび代々木公園となり、国際放送センターはNHK放送センターとなっている)
なお、施設の中核となる2つの体育館はともに丹下健三氏の設計によるものであり、2021年には国の重要文化財に指定された。
施設一覧
競技場内の主な施設として「第一体育館」「第二体育館」があり、ほかにインドアプールやフットサルコートなどを備えている。
第一体育館
2本の支柱の間にワイヤーを渡し、そこから屋根をぶら下げるという構法が採用されている。
1964年東京オリンピックの競泳会場および飛込競技会場として建設され、当時は「代々木オリンピックプール」とも呼ばれていた。
オリンピック終了後もプールとして利用されたほか、冬季はプールを凍らせてアイススケートリンクとして、春秋にはプールの上に木のパネルを貼って体育館として使用された。
1993年8月の東京辰巳国際水泳場完成を機にプールとしての機能は次第に縮小、1998年3月を持ってプールとしての営業を終了した。アイススケートリンクとしての使用も2005年を最後に一般営業を終了、その後はフィギュアスケートの大会を不定期開催するに留まる。
このため、現在はほぼ体育館として使用されていて、東京オリンピック2020ではハンドボールの競技会場として使用された。
ただし、飛込用の設備は取り壊されたものの、プールの躯体は残されたままである(建物の構造に影響が及ぶ恐れがあるため)。
最大で約13,000人の収容人員は、建設当時日本武道館と並んで東京都内最大級の屋内施設ということもあり、スポーツイベント以外でも多く使用されてきた。
第二体育館
1本の支柱を中心としてらせん状に展開されたパイプに屋根をぶら下げるという構法が採用されている。
1964年東京オリンピックのバスケットボール会場として建設され、終了後もバスケットボールを中心としたスポーツ競技に使用されている。
最大で約4,000人収容と手頃なサイズであることから、プロレスを初めとした各種格闘技団体の興行会場として使用されることが多い。
室内水泳場(インドアプール)
第一体育館と第二体育館をつなぐ通路に隣接して作られ、1964年東京オリンピック当時はサブプールとして使用された。
フットサルコート
38m×19mの人工芝コートが4面ある。
2012年4月に開業した屋外施設。ナイター設備を備えている。
アクセス
【住所】
〒150-0041 東京都渋谷区神南2-1-1 (Googleマップピンで見る ※第一体育館)
関連動画
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関連リンク
関連項目
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