概要
平安時代末期に奥州藤原氏の拠点として栄え、産出される金を求めて多くの人間が住んでいた。
平泉は産出される金を使っての貿易などで大いに栄え、当時の京都に次ぐほどの都市として発展。中尊寺金色堂に代表される多くの建築物が存在していた。
源平合戦の折、平家の監視を逃れて京都を脱出した際と、兄頼朝との関係悪化に伴い、源義経が二度この北の都に落ち延びている。
鎌倉幕府による奥州藤原氏滅亡以後は、産出される金の減少などにより都市機能が衰退。江戸時代には松尾芭蕉が『夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと』と詠まれるほどになっていた。
現代でも中尊寺金色堂などが存在。奥州藤原氏のミイラも中尊寺にて安置されている。
2011年6月、ついに「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として世界遺産に登録された。登録されたのは、中尊寺(金色堂含む)、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山。
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