豊ノ島 大樹(とよのしま だいき)は、時津風部屋所属の現役大相撲力士、ものまね芸人である。
概要
1983年6月26日生まれ、高知県宿毛市出身。本名は梶原大樹。実家は梶原食品という豆腐店を営んでいて、豊ノ島が勝つとセールをするという。身長170cm、体重157kgという低身長であり、「第二新弟子検査」で入門した力士として初の関取である。
左四つからの下手投げを得意として上位力士を度々食うことから横綱白鵬には要注意力士と認定され、白鵬が時津風部屋へ出稽古に赴くのはいつしか場所前の定番となっている。ここ一番での勝負強さもあり、1勝7敗から7連勝で勝ち越す粘り強さを2度発揮(2度達成は豊ノ島が史上唯一)、2010年11月場所では14勝1敗で優勝決定戦に進出している。
現役力士の中でも特にテレビ出演の機会が多く、いっこく堂やビートたけしの物まねを披露することがある。『笑っていいとも!』に出演した最後の大相撲関係者である。
来歴
小学生の頃はサッカーに親しんでいたが、中学3年生で全国大会優勝し、宿毛高校在学中は相撲少年の部の国体メンバーとして高知県の団体優勝に貢献した。同学年で同じ高知県の明徳義塾高校に在学していたのが琴奨菊である。
高校を卒業すると時津風部屋に入門して2002年1月場所で初土俵。2004年5月場所で20歳で関取に昇進し、同年9月場所で新入幕。しばらくは幕内下位で壁に当たるも、2007年1月場所で12勝3敗で敢闘賞と技能賞を獲得したころから急成長。続く3月場所は初めての上位総当りにもかかわらず8勝7敗で勝ち越しを果たし、5月場所では新三役の小結に昇進。しかし場所前の稽古で横綱朝青龍との激しい稽古の末に破壊された。当時の師匠(元・双津竜)は朝青龍に対して時津風部屋への出入り禁止を宣告し、出場も危ぶまれる事態となったが、豊ノ島は強行出場を決めた。
結局怪我の影響で2場所は力が出せない状況だったが、ようやく完治した9月場所では横綱白鵬から初の金星を獲得(白鵬の配給した初めての金星でもある)して殊勲賞を獲得。背骨が変形してしまい激しい腰痛にも悩まされるようになったが、2008年7月場所では小結に復帰。背中のテーピングの形から「M字旋風」とも呼ばれたが、まわしに隠れた部分があるため実際にはM字型のテーピングではなく(実際のテーピングの形は「|×|」)、さらに「自分はどちらかと言えばS」とまで発言した。この場所は初日に朝青龍を破って10勝5敗。翌場所で関脇に昇進するも、負け越して陥落した。
実力的にも全盛期で十両に陥落した2010年9月場所では、他の十両力士を圧倒し、14勝1敗で十両優勝。幕内に復帰した11月場所は西前頭9枚目の番付で3日目に旭天鵬に敗れただけの14勝1敗。白鵬との優勝決定戦に臨んだが敗れて優勝はできなかった。2011年1月場所は東前頭筆頭に昇進して中日までに1勝7敗と絶不調だったが、9日目から7連勝で勝ち越し。翌5月技量審査場所では小結に昇進。小結の地位で迎えた同年9月場所でも1勝7敗から7連勝を達成し、史上初となる、1勝7敗から複数回の勝ち越しを果たす。2012年は関脇に2場所在位し、2013年3月場所と2014年5月場所で日馬富士から金星獲得と、31歳になった今でもまだまだ上位にとって怖い相手である。
超会議場所トーナメント戦の成績
ニコニコ超会議で行われた大相撲春巡業のワンデイトーナメント大会の結果をここに記す。
大相撲超会議場所
ニコニコ超会議3で開催された。当時の番付は東小結(2014年3月場所)。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | シード | ||
2回戦 | ● | 寄り切り | 西前頭12枚目 常幸龍 |
3回戦 | |||
準々決勝 | |||
準決勝 | |||
決勝 |
大相撲超会議場所2015
ニコニコ超会議2015で開催された。当時の番付は東前頭5枚目(2015年3月場所)。2日目にはリアルSUMOUに登場し、対戦相手の豪風の全身の骨という骨を粉砕した。しかしその疲れが残ったかトーナメント戦では1回戦負けとなった。しかしここで出番は終わらず、いつの間にか放送席に紛れ込んで解説をしていた。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | ● | 寄り切り | 西横綱 日馬富士 |
2回戦 | |||
準々決勝 | |||
準決勝 | |||
決勝 |
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関連項目
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