常幸龍貴之(じょうこうりゅう たかゆき)は、現役大相撲力士である。初土俵からの最速入幕記録(幕下付出入門除く)と、初土俵からの連勝記録保持者である。四股名をJKと略すことも出来る。
概要
1988年8月7日、東京都北区東十条で居酒屋を経営する夫婦の二男として生まれる。本名は佐久間貴之。小学校2年生の頃から相撲を始め、体が大きくなると次第に相撲にも勝てるようになっていった。埼玉栄高校、日本大学と、アマチュア相撲の超王道コースを歩み、高校時代にはアマチュア相撲の世界大会で優勝した。2年生で学生横綱に輝き、大相撲の幕下付出資格を取得したが、大学卒業を優先したため、資格取得から1年間のみ有効な幕下付出資格は失効した。幕下付出で入門するには4年生でもう一度四大大会のいずれか(ただしそのうちの1つは実業団の大会なので、出場できるのは3つ)で優勝する必要があったが、アマチュア横綱は実業団の選手にさらわれ、学生横綱と国体横綱は明月院秀政(当時は日本体育大学4年。現在の千代大龍)が獲得したため、入門する場合には前相撲から取らなければならなくなった。
しかし、常幸龍は前相撲からのデビューでも大相撲に入門する意志は変わらなかった。大学の先輩の木瀬親方(元・肥後ノ海)を頼って北の湖部屋に入門し、2011年5月技量審査場所で初土俵を踏んだ。この場所は八百長問題の影響で中止になった3月場所・5月場所の代わりとして開催された場所であり、3月入門組と5月入門組が同時にデビューしたが、常幸龍は5月入門組である。同期生からは千代大龍(幕下15枚目格付出)と照ノ富士も幕内に昇進している。
本名のまま初土俵を踏むはずだったが、八角部屋に佐久間という力士がいたため、関取昇進までは「佐久間山」の四股名で取った。7月場所で番付に名前が載ると、1場所で7番しか取らない幕下以下の地位にありながら怒涛の21連勝を達成。途中、序二段の優勝決定戦で敗れているが、本割ではないので連勝ストップにはならない。2012年1月場所は東幕下15枚目。この場所で全勝すれば、「初土俵から5場所で関取昇進」のスピード記録や、「前相撲から土付かずで関取昇進」という史上初の記録が達成されるところだった。この場所は6連勝として初土俵から27連勝、板井(元小結。引退後の八百長暴露で有名)の26連勝を超えたが、最後の関取昇進を争った取組で千昇に敗れてついに連勝ストップ。翌場所は5勝2敗の成績を挙げて十両昇進を決めた。
十両は3場所で通過すると、2012年11月場所で新入幕。まだ大銀杏も結えないスピード出世で、初土俵から9場所での新入幕は、幕下付出を除けば現在も破られていない史上最速記録(琴欧洲と阿覧の11場所が当時の最速)だった。しかし、怪我などで思った相撲が取れず、大学の2年後輩の遠藤が幕下付出から3場所の史上最速で新入幕を果たして大活躍したこともあり、すっかりその陰に隠れてしまった。
幕下付出からの史上最速入幕を達成した遠藤は上位で活躍する一方、前相撲からの最速常幸龍は幕内下位に甘んじる時期も長かったが、遠藤との対戦は初顔から5連勝だった。また、雑誌でこの2人の対談企画が組まれたこともある。あれ、大喜鵬は?2014年9月場所では新三役の小結に昇進。2015年1月場所では遠藤に初敗北を喫し、さらに膝を負傷する災難にも見舞われたが、7日目に土俵際の逆転で日馬富士から初金星を挙げている。
超会議場所トーナメント戦の成績
ニコニコ超会議で行われた大相撲春巡業のワンデイトーナメント大会の結果をここに記す。
大相撲超会議場所
ニコニコ超会議3で開催された。当時の番付は西前頭13枚目(2014年3月場所)。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | ○ | 寄り切り | 東前頭16枚目 鏡桜 |
2回戦 | ○ | 寄り切り | 東小結 豊ノ島 |
3回戦 | ● | 寄り切り | 東前頭筆頭 遠藤 |
準々決勝 | |||
準決勝 | |||
決勝 |
大相撲超会議場所2015
ニコニコ超会議2015で開催されたが、「右膝内側側副靭帯損傷」のため休場した。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | や | ||
2回戦 | や | ||
準々決勝 | や | ||
準決勝 | や | ||
決勝 | や |
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関連項目
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