安美錦 竜児(あみにしき りゅうじ)は、伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士である。現在は年寄・安治川。
概要
1978年10月3日生まれ、青森県西津軽郡深浦町出身。本名は杉野森竜児。五能線の北金ケ沢駅前で旅館を営む家に二男として生まれた。兄の清寿も同じ伊勢ヶ濱部屋に所属していた元幕内安壮富士(2011年引退)で、祖父が出羽海部屋の元力士、父の従兄弟が第63代横綱旭富士(現・伊勢ヶ濱親方)という相撲一家に生まれた。
184cm、146kgと現在では標準体型よりやや細い程度であるが、以前は細身の力士であった。業師として知られ、廻しを取ると多彩な技を繰り出し、30歳を過ぎてからは体重の増加を生かした押し相撲も取れるようになり、上位をも食うことがある。大関琴欧洲には19勝18敗と、不戦勝を1つ含んではいるものの対等に渡り合っていた。琴欧洲が14勝1敗で優勝した場所があったが、この1敗は13日目の安美錦戦であった。琴欧洲は安美錦が苦手かとの質問には否定したものの、自身の著書では「目が細くて何を考えているのかわからない力士は嫌だった」と書いている。
実力は十分にありながら上位キラーの名関脇で止まっている原因として膝の怪我が挙げられる。2004年に右膝を怪我して以降はそこが泣き所となり、2013年には左膝も負傷。特注したという両膝の分厚いサポーターは絶対に欠かすことが出来ず、稽古も膝の様子を見ながらとなるので番数はこなせない。その代わりに一番一番の稽古の質を高めることで番数不足を補っている。
非常に明るくユーモラスな性格であり、土俵の外でもファンが多い。NHKの殊勲インタビューで冗談を言ってみてることがあれば、怪我で稽古や取組ができなくても巡業には帯同してちびっこ力士との稽古だけは出場してファンサービスに務めることもある。日刊スポーツ社の佐々木一郎記者との巧みな掛け合いはTwitterで好評を博している。
来歴
相撲どころ青森県に生まれて小学1年生から地元の相撲道場に通った。高校を卒業すると兄も入門しており、親戚の元横綱旭富士が師匠を務める安治川部屋(2007年11月に伊勢ヶ濱部屋に改称)に入門。1997年1月場所で初土俵を踏むと3年で十両に昇進した。十両では小幅の勝ち越しを3場所続けて2000年7月場所で入幕すると、新入幕ながら10勝を挙げて敢闘賞を受賞。以降しばらく幕内下位でも勝ち越しに苦労するが、2002年3月場所で大関武双山も破って再び10勝と自身初の技能賞を獲得すると上位に躍進した。初の総当りでも大関栃東を初顔合わせで破ると翌日には武双山にも再び勝利。しかし5勝止まりで番付を下げてしまった。
2003年1月場所では本来なら上位と当たらない番付であったが横綱武蔵丸と大関2人が全休したため上位総当りに。中日に横綱貴乃花から初金星を獲得すると、この日の取組を最後に貴乃花は現役を引退。安美錦は貴乃花の現役最後の対戦相手となった。同年7月場所では武蔵丸からも金星を獲得したが途中休場の憂いの目に遭う。2004年7月場所11日目の闘牙戦で後々まで影響することになる右膝の大怪我を負った。
怪我からも復活して2006年9月場所では上位総当りの場所で初めて勝ち越し。自身初の11勝で技能賞を獲得すると、翌場所では新三役の小結に昇進。1場所で陥落するも2007年5月場所で朝青龍からの金星と殊勲賞を獲得すると翌場所で小結に復帰。初日早々朝青龍を破って殊勲賞を獲得すると9月場所では新関脇に昇進。初日から8連勝も終盤5連敗が響いて10勝止まり。関脇3場所目で負け越して陥落したが、2008年3月場所で白鵬から金星を獲得。5月場所ではこの場所優勝の大関琴欧洲に唯一の黒星をつけて殊勲賞を獲得。9月場所で朝青龍から金星を獲得して勝ち越すと小結に復帰した翌場所では初日早々白鵬を破って最終的に勝ち越しとしたが、三役での勝ち越しはこの場所が最後となっている。
上位に定着して大勝ちが少ないということもあるが、「安美錦なんだからこれくらい活躍して当たり前」という風潮になったのか、2010年1月場所の技能賞を最後に長らく三賞からも遠ざかっていたが、2014年9月場所で久々に技能賞を獲得している。2016年は、1月場所で鶴竜から金星を獲得し、2009年5月場所の朝青龍戦以来、約7年ぶりの金星獲得となったが、インフルエンザにかかり途中休場となった。しかし、回復したため2日休んだのちに再出場を果たした。5月場所は、2日目の栃ノ心戦で左アキレス腱を断裂し、途中休場。翌場所は自身初めての全休となり、9月場所は十両へ陥落。負け越しを経験するなど、怪我の影響による決死の土俵が続いたが、次第に調子を取り戻して2017年11月場所で再入幕。39歳0ヶ月での再入幕は史上最高齢であったが、この場所を8勝7敗と勝ち越し、新入幕の場所以来実に103場所ぶりとなる敢闘賞を獲得。カムバック賞的な意味合いをもつ三賞受賞には思わず涙を流す一幕もあった。翌2018年1月場所は、5日目の千代の国戦で右膝を痛めて途中休場となったが、10日目から強行再出場となった。長い現役生活の中で、怪我を理由とした途中休場後の再出場は初めて(病気を理由に休場後再出場を含めると2回目)だったが、2勝を挙げた。しかし幕内に残れる成績まで持ち直すことはできず、3月場所で十両に陥落。しかし東十両2枚目で8勝7敗と勝ち越したため、翌5月場所で再入幕。
2019年の名古屋場所、2日目の取組で右膝を痛め途中休場。この時の番付は西十両十一枚目。状態が良くなることなく、10日目に幕下陥落が決定的となり、現役引退を表明。2019年7月17日に引退届が出され、年寄「安治川」を襲名した。関取在位117場所は魁皇と並び歴代1位タイ。
エピソード
- 安美錦という四股名の由来について、「安」は当時は安治川部屋所属だったことから、「錦」は故郷に錦を飾れという意味からつけられたが、「美」の字の由来は不明である。当時使用していたロッカーの名札が師匠によって突然張りかえられていたそうであるが、名付け親の師匠からはその由来を聞いていないようである。「顔が美しいから」と語ったこともあるが、それを聞いた新聞記者は「冗談半分(?)」だと認識している。
- 2007年に師匠が年寄名跡を「安治川」から「伊勢ヶ濱」に変更した際に、空き株となった「安治川」は安美錦が取得した。翌月からは同門の宮城野部屋に所属していた光法に貸し出したが、2010年の理事選で元光法が一門の決定に造反し、大師匠にあたる大島親方の理事選落選の原因となってしまった。その後、元光法は同年7月に名跡を安美錦に返却して一門を離脱した。
- 2013年に結婚。現在は3児の父である。
- 2014年7月場所で白鵬が優勝した際に、関係者の手違いで優勝パレードの旗手が不在となる事件があったが、この時に旗手として緊急招集されたのは安美錦だった。事件が発生した時点でまだ名古屋市内に滞在していたためであり、慌てて愛知県体育館に駆けつけた。
- 勝負がもつれることがあまりにも多く行司泣かせであるため、バラエティ番組に出演した行司はたびたび愚痴をこぼしている。40代式守伊之助に至っては本人に面と向かって「早く引退してください」とまで言い放った(この直前に安美錦が旭天鵬に対して「いつまでも年長力士になれないから早く引退してください」と発言しており、伊之助はこの発言を返した形である。なお、この3人は全員同じ一門である)。
超会議場所トーナメント戦の成績
ニコニコ超会議で行われた大相撲春巡業のワンデイトーナメント大会の結果をここに記す。
大相撲超会議場所
ニコニコ超会議3で開催された。当時の番付は東前頭6枚目(2014年3月場所)であり、巡業には帯同したが、膝の調子が悪く稽古や取組は休み、日馬富士の土俵入りの従者も照ノ富士が代役を務めた。その代わりに巡業中は芸人のあかつと稽古をするなどファンサービスに務めた。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | や | ||
2回戦 | や | ||
3回戦 | や | ||
準々決勝 | や | ||
準決勝 | や | ||
決勝 | や |
大相撲超会議場所2015
ニコニコ超会議2015で開催されたが、「右膝前十字靭帯断裂、右膝内側側副靭帯損傷及び右膝関節半月板損傷」のため休場した。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | や | ||
2回戦 | や | ||
準々決勝 | や | ||
準決勝 | や | ||
決勝 | や |
関連動画
関連商品
関連チャンネル
関連項目
- 0
- 0pt