横綱とは、大相撲における最高位、またその力士、またその力士の絞める綱の事である。
転じて、同類のものの中で最も優れたものを言う。
概要
元来は相撲の最高位は大関であり、江戸時代、相撲ブームに沸く江戸において行司の総元締であった吉田司家が権力確保を目的として「横綱免許」を設置。それまでは上覧相撲、奉納相撲などの特別なイベントで行われていた土俵入りを土俵上で行っていた顔見せ土俵入りを結びつけ、綱をつけさせて一人で土俵入りさせる事を立案。そして1791年、谷風と小野川が同時に横綱免許を受け「天下公認」となる。当初横綱は名誉称号にすぎなかったため、かなりな好成績を残しながら横綱とは呼ばれなかった強豪大関も存在した。その後、横綱は相撲における公式な地位となり、大関の中で相当の成績を挙げたものにのみ吉田司家が授与するという形で存続する。しかし、第40代横綱東富士までは吉田司家による本免許授与式により横綱を許されたが、その後相撲協会は吉田司家と絶縁したため、第41代横綱千代の山からは協会単独での推挙で横綱が誕生しており以後今日まで吉田司家からの横綱免許授与は行われていない。
戦後の昇進条件としては「大関の地位にあって、連覇またはそれに準ずる成績」が基準になっている。
しかしこの「連覇に準ずる成績」というのが現在まで議論の対象となっており、12勝程度でも連覇なら昇進なのか、連続で14勝の次点であっても昇進見送りなのか、はっきりした結論はいまだ出ていない。
戦後の昭和時代、連覇で昇進したのは栃錦、大鵬、北の富士、琴櫻の4人だけであり、後に大横綱と言われる北の湖や千代の富士でも連覇は横綱昇進後である。
昭和末期、北尾(後の双羽黒)が一度も優勝することなく横綱に昇進し、その後不祥事により廃業したため横綱昇進基準がより厳格化されるきっかけとなり、その後の旭富士から日馬富士までは例外無く連覇で昇進している。貴乃花や武蔵丸も、以前ならとうに横綱になっていてもおかしくない成績を挙げながら昇進を見送られた例もある(後には連覇で昇進)。しかし2014年、大関鶴竜が初場所14勝の優勝同点、翌3月14勝で初優勝と、連覇ではなかったが第71代横綱に昇進する。初場所の千秋楽本割で横綱白鵬を破った点(白鵬はこれに勝っていれば15戦全勝であった)、3月に2横綱を倒して初優勝した点などが評価されたと考えられる。また2017年1月に14勝1敗で初優勝した稀勢の里は、大関在位中の勝率が7割を超えておりカド番も一度しかないなどの安定した成績、直近6場所の勝率が8割を超えていることなどを評価されて昇進が決定した。
横綱は大関以下の力士にはない特権と責務があり、引退するまでその地位を保障される代わりに、出場する際には常に最高レベルの成績、内容を求められる。大関以下の力士は力が衰えて地位が下がっても相撲を取り続けられるが、横綱にあってはこれが許されず力が衰えれば引退の他に道はない。そのため怪我や重圧に堪えきれず若くして引退した横綱も少なくない。
部屋の規模にもよるが、大関以下の力士は付け人は3、4人であるがのに対し横綱の付け人は15人程度とかなり多い。全現役力士の代表として相撲協会の評議員の権利を持ち(ただし日本国籍保持者に限る)役員選出などの投票も行う事ができる。移動においては飛行機はファーストクラス、電車はグリーン車を利用できる。引退後は年寄株を持たなくても5年間現役名で親方として協会に残れる(大関は3年間)。また最も早く出世した横綱(不在の場合は大関)は現役力士の組合である「力士会」の代表になる。
また横綱の中でも、史上稀に見る程の好成績を残して引退した者に対しては「一代年寄」として現役名のまま停年まで協会に残れる制度もある。名前の通り一代限りの年寄名であり他の力士がこの年寄名を継ぐ事は出来ない。戦後から現在まで一代年寄を許されたのは大鵬、北の湖、千代の富士(ただし本人が辞退)、貴乃花の4人だけである。おおむねの条件としては20回以上の優勝と言われており上記の4人は全員それを達成している。しかし朝青龍は史上3位の25回の優勝を果たしていながら素行面での数々の問題や、日本国籍を取得していなかったため年寄株取得権利自体持っておらず、授与されなかった。また史上最多45回の優勝を誇る白鵬も、現役後半には言動や取口に批判を受けるようになり結局一代年寄の授与はならなかった。
横綱土俵入り
十両以上の力士は本場所の際、化粧廻しをつけて土俵に上がり各力士の紹介をするが、横綱はこれとは別に太刀持ち、露払いを従えて単独で土俵入りを披露する。これを「横綱土俵入り」と言って他力士の土俵入りと区別する。
横綱土俵入りには「雲竜型」と「不知火型」があるが、本来は名称が逆だという説もある。
雲竜型
69連勝を達成した双葉山、史上最多(当時)優勝の大鵬、史上最年少横綱の北の湖、史上初の1000勝を達成した千代の富士、史上初の外国出身横綱となった曙、22回の優勝を誇る貴乃花、史上初の年6場所完全制覇を達成した朝青龍など、偉大な横綱の多くがこの型を選択しているため、この型を選択した横綱は大活躍すると言われる。
ただし中には雲竜型を選択しながら短命で終わった横綱(前田山、武蔵山、三重ノ海、稀勢の里など)も存在する。
不知火型
せり上がる時に両手を伸ばす。
明治末期から大正初期に無敵を誇った太刀山、双葉山の引退後の第一人者だった羽黒山などの名横綱がこの型を選択しているが、戦後は全勝優勝で昇進しながらその後は一度も優勝できなかった吉葉山、圧倒的な強さから将来を嘱望されながら病気で現役死した玉の海、高齢で昇進したため結局短命だった琴櫻、不祥事で廃業した双羽黒、その双羽黒事件のおありを受けて好成績を連続しながらなかなか昇進できなかった旭富士、史上初の兄弟横綱を達成しながらライバル達に押されて長くは務められなかった三代目若乃花など、雲竜型横綱と比べると活躍できた横綱は少ない。
しかし69代目の白鵬がこの型を選択し、数々の記録を打ち立てたことからそのジンクスは払拭されたとも言われている。
横綱力士の主な記録(昭和以降) ※太字は現役力士
優勝 | 全勝優勝 | 連続優勝 | |||
白鵬 | 45回 | 白鵬 | 16回 | 白鵬 | 7連覇 |
大鵬 | 32回 | 大鵬 | 8回 | 朝青龍 | 7連覇 |
千代の富士 | 31回 | 千代の富士 | 7回 | 大鵬 | 6連覇 |
朝青龍 | 25回 | 北の湖 | 7回 | 北の湖 | 5連覇 |
北の湖 | 24回 | 朝青龍 | 5回 | 千代の富士 | 5連覇 |
貴乃花 | 22回 | 貴乃花 | 4回 | 貴乃花 | 4連覇 |
輪島 | 14回 | 輪島 | 3回 | 曙 | 3連覇 |
武蔵丸 | 12回 | 北の富士 | 3回 | ||
曙 | 11回 | 日馬富士 | 3回 |
連勝記録 | 勝率 | 横綱在位 | |||
双葉山 | 69連勝 | 双葉山 | 88.2% | 白鵬 | 84場所 |
白鵬 | 63連勝 | 白鵬 | 87.5% | 北の湖 | 63場所 |
千代の富士 | 53連勝 | 玉の海 | 86.7% | 千代の富士 | 59場所 |
大鵬 | 45連勝 | 大鵬 | 85.8% | 大鵬 | 58場所 |
朝青龍 | 35連勝 | 玉錦 | 85.2% | 貴乃花 | 48場所 |
羽黒山 | 32連勝 | 千代の富士 | 84.8% | 曙 | 48場所 |
北の湖 | 32連勝 | 朝青龍 | 83.6% | 柏戸 | 47場所 |
日馬富士 | 32連勝 | 貴乃花 | 81.3% | 輪島 | 47場所 |
貴乃花 | 30連勝 | 北の湖 | 81.1% | 朝青龍 | 42場所 |
大横綱
歴代の横綱の中でも、史上稀に見る程の活躍をした者を「大横綱」と呼び、別格の評価が与えられる事がある。
単に現役時代の実績のみならず、土俵の内外での態度、品格を含めて呼ぶ事も多く、実績を残しながら素行面での評価が芳しくない横綱は大横綱とは呼ばれない事もある。
江戸時代
- 谷風梶之助
- 実質的初代横綱。優勝相当成績20回以上、63連勝、勝率9割を誇った。「準場所」と呼ばれる当時の巡業興行を含めると、なんと98連勝を記録している。
- 雷電爲右エ門(大関)
- 横綱免許は受けなかったが、大相撲史上「古今未曾有の力士」と呼ばれる超強豪であり横綱と同列に扱われることも多い。生涯の成績が254勝10敗2分、勝率.962という脅威的な記録であり、同じ相手に二度負けることも一人を除いてなかった。現在でも「史上最強」と語り継がれる伝説的力士である。
- 稲妻雷五郎
- 小結2場所、関脇3場所で大関に昇進し、大関4場所目に横綱免許取得。「雷電の再来」と呼ばれる強豪であった。
- 陣幕久五郎
- 「負けず屋」というあだ名がついていた。横綱昇進後、明治維新の動乱に巻き込まれ2場所しか横綱を務められなかったが、結果的に14勝2分0敗で「勝率10割」という未来永劫破られないであろう記録を打ち立てた。
明治、大正時代
- 梅ヶ谷藤太郎(初代)
- 58連勝を記録。幕内在位中の勝率は9割5分1厘であり歴代横綱トップである。
- 常陸山谷右衛門
- 強さだけでなく、相撲の世界に武士道の精神を導入し、力士の地位向上に多大な貢献をし、「国技」と呼ばれる程に押し上げ、また「スポーツ」のカテゴリに加えた立役者である。大相撲の近代化に貢献した事から「角聖」の異名を取る。
- 太刀山峯右エ門
- 43連勝後に56連勝を記録し、間の1敗が無ければ100連勝に達していた。横綱時代の黒星はわずか3で、金星を与えた事も無かった。
- 栃木山守也
- 56連勝中の太刀山に土をつけた。勝率9割を超えた最後の横綱。
昭和時代
- 双葉山定次
- 皆勤で69連勝という最高記録を達成(それ以前の連勝記録は引き分け、休場、預かりを挟んでのものである)。未だに破られていない連勝記録である。
- 大鵬幸喜
- 史上最多(当時)の32回の優勝。全勝優勝8回、6連覇を2回も達成。
- 北の湖敏満
- 史上最年少横綱。年間最多勝利を20年以上も保持。
- 千代の富士貢
- 史上初の1000勝、戦後最高(当時)の53連勝を達成。
平成時代
関連動画
関連項目
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